最終戦の感傷 [プロ野球]
どうも甲子園最終戦というのに無理をしてでも前売り券を手に入れようと思わなんだのはなんでかと考えた。
大体私が毎年甲子園の最終戦に行くようになったのは、11年前に甲子園最終戦で中西投手と木戸捕手が花束を渡されるのを見にいきたいと思うたのがきっかけで、がらんとした甲子園でマウンドの上に並んだタイガースの選手たちが挨拶するのを見て、なんともいえん寂寥感を覚え、これは毎年味わいたいと思うたからである。
これで来年4月まではタイガースは甲子園で公式戦をしない。本格的に秋が来た。それを確認するために足を運んだ。以来、和田選手の引退試合の年以外、何が何でも最終戦を見に行っていた。そこで、亀山、遠山、伊藤敦、星野伸、長嶋清、吉田監督、片岡といった人たちの最後の雄姿を心にとどめてきた。
最終戦のとき、常に順位は決まっていた。最下位の年も、優勝の年も、あと一歩で届かなかった年も。
ところが、今年はまず順位が決まってへん。また、もし決まっていたとしても「クライマックス・シリーズ」なるものに出場するかもしれん。寂寥感も何もない。
幸い、今年は最終戦の前日に連敗脱出という心躍る試合を見せてもろうた。それでもやっぱり、まだ「終り」という感じがせんのです。シーズンが終わってからも盛り上げようという意図で導入された「クライマックス・シリーズ」やけれども、そのせいで毎年の楽しみを奪われたような気分になっている者もいるんやということ。これは、私の個人的な感傷でしかないんやけどね。
私の「甲子園最終戦」を返してほしいなあ。ほんまに。
コメント 0