子ども時代と送り火 [季節ネタ]
今日は京都では五山送り火の日。これでお盆も終わるのですねえ。子どもたちにはまだこのあと地蔵盆があって、私も子ども時分には「地蔵盆が終わったら夏休みも終わり」という意識があったなあ。
墓参りのあと、「たちよみの会」。「たちよみの会」の初期には送り火の日が重なった時に、メンバーみんなで出町まで行って大文字を見たりしたものです。近年は学生さんが多くて帰省したりしているので、それもなし。最も私自身体力が衰えているので墓参りに行って「たちよみの会」でおしゃべりして、それから大層な人出の出町まで行くというような真似はもう出けへんな。
小学生のころ住んでいた左京の家では、当時高い建物がほとんどなかったということもあって、2階の窓から大文字の送り火が大きく見えたもので、夏休みの宿題の絵日記にでかでかと大の字を描いてたりしたのを覚えている。京都市内の子どもは、そうやって行事を通じて季節の移り変わりを自然に覚えていった。今は観光行事的になった送り火も、40年も前にはまだまだ京都人の季節行事のひとつという感じやったかな。
もっとも、その日にはたいてい父が友だちを家に呼んで大文字を肴にちょっとした宴会をしていたなあ。月見酒ならぬ送り火酒というようなもんかな。
今の京都の子どもには、送り火はどううつっているのかな。大阪に移ってからけっこう長くなったから、そこらあたりはもうわからんようになったなあ。
墓参りのあと、「たちよみの会」。「たちよみの会」の初期には送り火の日が重なった時に、メンバーみんなで出町まで行って大文字を見たりしたものです。近年は学生さんが多くて帰省したりしているので、それもなし。最も私自身体力が衰えているので墓参りに行って「たちよみの会」でおしゃべりして、それから大層な人出の出町まで行くというような真似はもう出けへんな。
小学生のころ住んでいた左京の家では、当時高い建物がほとんどなかったということもあって、2階の窓から大文字の送り火が大きく見えたもので、夏休みの宿題の絵日記にでかでかと大の字を描いてたりしたのを覚えている。京都市内の子どもは、そうやって行事を通じて季節の移り変わりを自然に覚えていった。今は観光行事的になった送り火も、40年も前にはまだまだ京都人の季節行事のひとつという感じやったかな。
もっとも、その日にはたいてい父が友だちを家に呼んで大文字を肴にちょっとした宴会をしていたなあ。月見酒ならぬ送り火酒というようなもんかな。
今の京都の子どもには、送り火はどううつっているのかな。大阪に移ってからけっこう長くなったから、そこらあたりはもうわからんようになったなあ。
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