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見る側の努力 [演芸]

 昨日の話の続き。
 大阪市長曰く。
「ふに落ちないのは人形劇なのに人間の顔が見える。見えなくていい」
「『西遊記』をやってくれたらうちの子どもといっしょに見に来る」
 芸術というのは、その良さを理解するためには見る側も理解しようとする努力が必要なのです。そうすることにより、その芸術の奥深さを感じ取れるようになる。私は文楽については特に何かを言えるほど見てへんけれど、それでも義太夫の節に酔ってその世界に入り込み、人形のみを凝視していたら、あら不思議、人形遣いの顔まで見えなくなってしまうという体験はしている。ちなみに、その時の頭遣いは吉田玉夫さん。人間国宝というのはそこまでの域に達するのであります。
 落語でもそうでしょう。70を過ぎたお爺さんの演じる女性が、とても艶っぽくてぞくりとしたりする。大阪市長は落語家に「女を演じる時は化粧をしないとおかしい」てなことを言うのでしょうかね。
 私は、プロ野球にしても相撲にしても落語にしてもオーケストラにしても、プロの技というものをわざわざお金を出して見せてもろうていると思うている。市長の態度は基本的には「お金を出して見てやってるんだから自分を楽しませるようサービスしろ」と要求しているわけです。
 プロの技というものは消費者が消費するものとは違うのです。そこにはプロに対する尊敬の念というものがなくてはならない。そのかわり金を払うているのにプロとしてはお粗末なものを出されたら、それは怒ってもいい。なんでもないゴロをトンネルしたり、立ち合い一瞬の変化で勝負をつけたり、客を置いて一人でべらべらとしゃべりっぱなしやったり、曲のクライマックスで音を外したり。
 プロの技の奥深さを知りもせずに、上っ面だけで知ったような口をきくことがどれだけ恥ずかしいことか。まあ、それがわかるような人でないことは府知事時代から何度となく思い知らされてますけどね。
 ここで、今朝の朝日新聞の読者欄に寄せられた川柳をご紹介。小松島市の井村晃さんという方の作であります。引用いたします。
「コスプレの文楽ならば補助出そう」

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