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記録は風化しない [1月17日の記憶]

 また今年も阪神淡路大震災の日がめぐってきた。
 今年に入り、慰霊碑に「馬鹿」など書かれた落書きが発見されたという。
 毎年のように書くけれど、記憶というものは年々風化していくものやから、こういう落書きをする輩が現れても何の不思議もない。おそらく震災の記憶どころか、震災そのものを体験してへんもしくは幼すぎて記憶してへんというような者の仕業やろう。そして記憶の伝達に失敗したため、あの日に失われた多くの命や、親しいものを失うた遺族のことなど「他人事」でしかないんやなかろうか。
 各新聞の社説でも、以前とはトーンが変わってきている。
 以前は「この震災の記憶を風化させるな」という主張が多かったんやけれど、東日本大震災以降は「教訓を生かせ」が大勢を占めているように思う。そのかわり、「東日本大震災の記憶を風化させないように」という論調がかつての阪神淡路大震災のポジションに立っているような感じや。
 これもまた当然といえるやろうね。記憶に新しい方が風化の度合いは少ないし、だいたい論説委員なんて東京の人が中心やろうから、阪神淡路大震災なんて正真正銘の「他人事」なんやろうからね。
 ただ、数年前に読んだ、関東大震災の時に書かれた、震災の様子を描いた小説などに触れると、当時の状況が目の前に現れてくる。年老いて「記憶」を「物語」で強化して風化や忘却から防ぐ「語り部」の言葉が若い世代の心に響かなくなったとしても、まだ記憶が生々しいうちに書かれた物語や記事や映像がいずれ心を揺さぶるんやないかと思う。その時に刻まれたきれいごとやない記録は、記憶のように風化したりはしないと思う。
 そんなことを考えながら、23年目の1月17日のまだ夜の明けぬ朝、雨の強く降る中、駅に向かうて歩いていたのでありました。

 1月21日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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