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金田正一の死 [追悼]

 今日は完全休養日。午前中はテレビを友とし、パソコンを立ち上げて少しかきもの。昼食後、午睡。爆睡する。それでも疲れが取れたという感じにはならんなあ。
 夕刻、追っかけ再生でプロ野球中継を見る。昨日は6点差を逆転したけれど、今日は3点差を追いつき、1点差を追いつきとどんなに負けていても食らいついたけれど、サヨナラホームランで敗戦。とはいえ、シーズン中やと3点先取されたらそこでもうおしまいという感じやったのに、この粘り強さはどうよ。負けて悔しい反面、ようがんばったという思いもある。こんなに「勝ちたい」という気持ちを前に出せるチームになったんやなあ。矢野監督、すごいぞ。
 夜は読書をしたり、妻と録画したドラマを見たり。明日の仕事に備えて早目に寝たいところですけれどね。
 この日記を書くためにパソコンを立ち上げ、ネットニュースを巡回していたら、もとプロ野球、ロッテオリオンズ監督金田正一さんの訃報 に接する。享年86。死因は急性胆管炎による敗血症。
 いや、むろん国鉄スワローズのエースとして400勝をあげた大投手やということは知ってます。晩年はジャイアンツに今でいうところのFA権(当時はB級10年選手の権利)を行使して移籍し、ジャイアンツでは34番を永久欠番にしているということも承知しています。そやけど、私の記憶ではオリオンズの監督として「やったるで」とかいうてる姿が印象深いのですね。実際、監督としてもオリオンズを日本シリーズで優勝させたし。漫画「アストロ球団」ではアストロ球団の最初の対戦相手の監督として登場していた。あの漫画なんかでは必ず関西弁なのですね。あれは不思議やったね。解説とか聞いてたら標準語やし、出身は愛知県でしょう。なんで関西弁の「カネヤン」が定着していたのでしょう。どなたかご存知でしたらご教示ください。
 スワローズはヤクルト球団になったのでOBとしての愛着はなかったとみえて、解説などでも自分はジャイアンツのOBであることを誇りにしてはったみたいやけれど、その割にはジャイアンツは金田さんには冷たかったんやないかなあ。結局指導者としてジャイアンツに呼ばれることはなく、2度目の監督もロッテオリオンズで、オリオンズ最後の監督としてユニフォームを脱ぐことになったんやからね。選手としての実績はスワローズで積み上げて、指導者としてのキャリアはオリオンズで残した。そやのにプロ野球OBとしてはジャイアンツの金田としてふるまった。あれだけの大投手やのに、なんかそういう哀しさみたいなものを感じさせるなあ。あと、「昭和名球会」なる団体をこしらえたことに対しては罪の部分が多かったと思うている。200勝に達したなかった名投手や2000本安打に達しなかった大打者の存在が軽んじられてしまうような、そんな基準を作ったことは、プロ野球の歴史を作ってきた数多くの記憶に残る名選手な対して失礼やないかという思いはいまだに残ってますね。金田さんにとっては数字が一番の頼りやったんかなあ。
 私としては、当時不人気やったパ・リーグを盛り上げようとした功績を一番に挙げたいんやけれど。
 謹んで哀悼の意を表します。

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承服亭すまん

わしらの世代はなんちゅうてもオウ、カネダ、ヒロオカ!ですもんね。しかし、かねやんのフォームはダイナミックでしたなあ、背が高いし手足も長い。今おもたら盗塁ようされたんかなあ、という疑問もでてきます。名球会はメジャー志向のない時代にはそれなりの意義もあったかもしれませんが、今の選手はどう捉えているのかしりたいですなあ。
by 承服亭すまん (2019-10-07 21:56) 

t-kita

 金田投手にしてみたら、どれだけ盗塁されようと、打者を抑えたら点は取られないから全然問題にしてなかったんやないでしょうか。何しろクイックモーションというものを考案したのは福本対策のためと野村さんがあちこちで書いてますからねえ。全体にそういう意識はなかったのかもしれません。
 名球会を昭和生まれ以降にしたのは、別所、川上といったうるさがたを排除するためやったと聞いています。金やんのための会やったんですね。
 落合やイチローみたいに名球会に価値を見出さない人たちもいますから、今後はそういう選手も増えてくるんやないでしょうか。
by t-kita (2019-10-08 00:05) 

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