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人間たちの話 [SF]

 今日は完全休養日。午前中はテレビを見て過ごす。MBS「らくごのお時間」でリモート落語をしていた。桂佐ん吉、桂紋四郎、月亭天使、桂米輝の4人の若手落語家が自宅から「東の旅・発端~煮売屋」をリレー落語で演じるというもの。コロナウィルス禍で普段通りの落語がでけんようになっても、こういう形で工夫していけば、たとえ感染が治まったとしても、その工夫したことは残っていくんやろう。
 昼食後は午睡。夕刻起きてきて、昼に録画した「大相撲」を見る。NHKが中止になった夏場所に代わり、アーカイブからお宝映像をファンに提供してくれるというもので、本来初日の予定やった今日は「昭和63年 大相撲この一年」と「平成16年 大相撲この一年」を再放送。昭和63年は北の富士さん(当時は九重親方)が弟子の千代の富士と北勝海とともに1年を振り返る。いやあ、北の富士さんが若い! でも口調や言うてることは今とあまり変わらんね。そして平成16年は朝青龍全盛時。当時は品格がないと思うていた土俵上の仕草なども、今となっては強烈な個性として懐かしく思うのは、身勝手な見方ですねえ。
 夕食前後は今日こそ読了するぞと決意も固く読書。柞刈湯葉「人間たちの話」(ハヤカワ文庫JA)読了。小説サイトからデビューした作者の初の短編集。タイトルに惹かれて買うて読んだのですが、思いのほか読了に時間がかかってしもうた。間に週刊誌を読んだりスマホで遊んだりしていたからそうなったんやけれど、好みのスタイルの小説やったら後回しにはしないはず。私は「物語」のある小説が好きで、それは大長編でもショートショートでも関係ない。ある状況を設定し、そこで起こっていることをスケッチしたようなスタイルの小説は、私の好みやないということです。アイデアは面白いし、やりたいこともわかるけれど、次どう展開するのかとドキドキワクワクすることはないというと、これはちょっときつい。文章もあまり小気味よくなく、向こうからこちらに飛び込んでくるような感じにはならないので、頭を働かさんと読まれへん。まだプロデビューする前に書かれたという「No Reaction」という透明人間として生まれてきた少年の一人称で語られる作品だけは私の好むスタイルになっていて、もともとは物語性のあるものを書いていたけれど、そうでないものが高く評価されたためにスタイルが変わったということなんやろうか。そこらあたりは熱心な読者やないからわからんなあ。ディストピアものを逆手に取った「たのしい監視社会」などすぐれた短編やとは思うけれど、もっと起伏がほしいと望むのは、読み手としては勝手が過ぎるやろうか。こういうタイプの小説が好きな人も結構いてるんやろうけれど。もっともあとがきを読むと、自分というものをさらけ出すのが怖い人なんかなあと、よけいなことを感じてしもうた。ちょっとキャラクターを作り過ぎてるように思うぞ。ここらあたりを読むと、まだまだ文章自体がうまくないということかもしれんので、もう何年か先、成熟してきたころに期待したい。

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