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皆が私を知っている [教育]

 昨夜は日記を更新したあとネットにつながり、メールチェックやトップページの更新などができた。曜日と時間帯によって、回線がふさがる時とすく時があるみたいやけれど、今のところその法則性がわからん。火曜の夜と土日はだいたいふさがりっぱなし。昨日つながったということは、水曜の夜はすいているということになるのかな。現在は木曜の夜。回線はまだふさがったまま。これが12時前に突然つながったりするのだが、果たして今夜はどうか。
 今日は比較的温く、来年度に向けて、受け持ちそうな授業について教材の素案を作る。3年生の現在社会か日本史か。現代社会は以前使用したものに手を加えればよいだけやけれど、日本史は明治以降は一から作らなあかんので、画像集めなどから始める。もし受け持たなんだとしても、いずれ使う時が来るかもしれんし、無駄にはなるまい。
 今日は卒業式の予行。今年教えていた3年生が久しぶりに登校していて、「卒業おめでとう」と声をかけると、「一日早いで、先生」と明るく笑う。ええ笑顔やなあ。ここに至るまでに何人も転学や退学をしている。卒業式に出られるというのは、曲がりなりにも彼らが途中でくじけずにがんばったということ。前任校やと学年で数人というところなんやけれど、お山の学校では転退学の割合がかなり多い。そうなると、友だちに引きずられて連鎖的に転退学する生徒が出てくる。そこを踏ん張って3年に進級すると、ゴールが見えてくると同時に自分の将来と真剣に向き合い進路を決定していくことになる。そうなればもうしめたもの。転退学なんて考えられなくなる。
 もっとも単位不足や欠席過多で留年が決まり。通信制や単位制に転学するものがいないわけではないけれど。
 私はこの4年間、「総合的な学習」の担当者として毎年3年生全クラスの授業を担当してきた。つまり、3年まで進級した生徒たちは誰もが私の顔を必ず見ていることになる。お山の学校に勤務している教員で、そんなふうに学年全員と向き合う機会のある者は他にはいてへんのです。ぼっち部屋で他の教員と接触がない時も、今年度のように保健室という特殊な環境にいる時も、それだけは変わってへん。卒業後に同窓会で顔を合わせた時に、学年の壁を越えて共通の話題を探そうとするならば、私の授業はどの学年でも通じるということになる。来年度はどうなるかわからんけれど、ここまではそれなりに私はお山の学校で足跡を残すことができているというてええやろう。
 そして、父の葬儀と卒業式が重なった昨年を除いて、私は毎年のようにこの晴れ晴れとした笑顔を見てきている。それが私の心の支え、なのかもしれんなあ。
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