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未完の敗戦 [読書全般]

 今日も出勤日。今日は大阪府育英会に書類を出さんならんので、休むわけにはいかん。朝からかなり暑く家を出たところで引き返したくなったけれど、そうはいかんのです。
 育英会に送る書類というのはくわしくは書かれんけれど、奨学金を借りている生徒たちに提出してもらわなならんもの。ほんまやったら夏休み前最後の登校日に全員提出してもらわなならんのやけれど、長期欠席の生徒や新型コロナウィルス感染しで欠席していた生徒などもいて、耳をそろえて提出、というわけにはいかん。電話で事情を説明して、とりあえず提出されている生徒の分だけでも送付。午後からは未提出の生徒の家に電話をかけたりして(というても、ほとんどが携帯電話)何人かは連絡がつき、書類は育英会に直接送付してもらうよう依頼した。夏休みに学校に持ってきてもらうのはそれはそれでお互い面倒やし、残り全員分がそろうまで待ち切れなんだりもする。こちらは締め切りぎりぎりまで待ったわけやから、それ以降は自己責任で、というわけ。
 定時までエクセルでの作業をしたりしてから退出。やはり暑い。今日は妻が日帰り帰省をしているので、帰宅してすぐに窓を開けて換気をしたりする。夏バテでとりあえず休みたかったんで、寝床にどぶさっていたら知らぬ間に寝ていた。目覚めたら妻が帰宅したところ。しばらく待って、夕食。相撲も終わったし、野球はオールスターブレイクで試合はないし。食後、しばらく読書。
 明日からいよいよペナントレース再開。タイガースはスワローズと対戦。ジャイアンツはまだ選手がそろわんということで、とりあえず2試合は中止やそうな。さあ、ここから首位スワローズを追撃、といってほしいものです。
 山崎雅弘「未完の敗戦」(集英社新書)読了。この人の著作は「日本会議」や「歴史戦と思想戦」などを読んでいて、いろいろと納得のいくところが多かった。本書はそれらで書き切れなんだ部分をまとめたもの。「未完の敗戦」というタイトルは、太平洋戦争で敗戦したあと、敗戦の理由をしっかりと見据えてきっちりと「敗戦」でそれまでの問題点を清算せんならんはずやったのに、大日本帝国を正しい姿とする思想が亡霊のように残ってしまい、完全な「敗戦」にならなかったという意味。そして、世代が変わると「保守派」と呼ばれる大日本帝国時代を正しいものとする風潮がだんだん強くなってきたと著者は考える。その思想は「日本会議」によって政界に大きな影響を及ぼし、その思想を広げようとするものと阻止しようとするものの間で「思想戦」が繰り広げられている、というわけ。
 例えば太平洋戦争で日本軍が行った行為に対して諸外国に反省の意を示すものを「反日」と決めつけたり、特攻などの愚かな行為に対してそれを愚かであったと主張すれば「自虐」と責めたりする風潮がそれですね。ところが、戦後すぐ、文部省は民主化のために「新教育指針」というものを出していて、著者はそれをかなりの紙幅を割いて紹介しているんやけれど、この指針が貫かれていたら、敗戦は完全に受け入れられていたやろうという、今読んでも実にまっとうな指針なのです。というか、今こそ文科省はこれを再度指針とすべきやと思うくらい。ところが東西冷戦の開始で日本が西側陣営に入ると、GHQの方針も変わり「逆コース」や「レッドパージ」と呼ばれる民主化の反動が来てしまい、大日本帝国の亡霊が生き返ってしもうたと、著者は考えているのです。そして、現在の日本で格差や階級がはっきりとし、下に置かれた人は戦前のように粗末に扱われるようになったということになる。そう言われたら、「リベラル」というレッテルはまるであかんことのように張られてしまうようになったなあ。久しぶりに奨学金の担当をして、経済的に苦しい家庭の生徒が高等教育を受けるためには若くして多額の借金を背負わんならんという実態もまた、「保守派」と呼ばれる(私は「復古派」と呼ぶへきやと思う)政治が生み出したひずみなんやろうと思う。たぶん「保守派」の人が読めば本書は「反日」の書ということになるんやろうけれどね。それでも、いろいろな疑惑に対してちゃんと決着をつけぬまま亡くなった元総理を「国葬」という形で疑惑も何もなかったことのようにしてしまおうとしている政府をどう思うか。「モリカケ」も「桜を見る会」も解決せぬまま功績のみを強調してしまうことに対して疑念を抱くことを許さぬ人が一定数存在するということからも、著者が危惧する大日本帝国時代への回帰が進んでいるということの現れやないのか。
 著者には今後ももっと深くこの点を掘り下げていってほしいと思う。

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