ネット右翼になった父 [読書全般]
今日は端午の節句。日中は非常に暖かく、夜もそれほど冷えこまなくなった。もう初夏なんやねえ。
午前中は録画した番組を見たあと、読書。読了後、昼食。それから午睡……と思うたら、柱や床などがみしっ、びきっと音を立て、ゆらりゆらりと振動。スマホにLINEのニュースの速報が入り、能登で震度6の地震が発生したとか。これでぶっ飛んだテレビ番組も多かったらしい。
タワーマンションの耐震構造でゆらゆら揺れるのはしばらく続き、目が冴えてしもうた。一服つけて気を落ちつけたかったけれど、まだゆらゆらしてるのにベランダに出るのは無鉄砲にすぎる。しばらくもぞもぞと寝がえりを打ちながらなんとか寝ようとするけれど、なかなか眠気がしない。そやけど揺れが落ち着いたくらいにやっと入眠。夕刻……より少し遅めに目覚める。一服つけてからナイター中継を追っかけ再生で見る。今日はマツダスタジアムでカープ戦。サンテレビが中継してくれるおかげで夕食を取ったりしつつ、全部見られた。大山とサトテルとミエセスのホームランで快勝。全得点がホームランというのはタイガースとしては非常に珍しい。試合終了後は社説のダウンロードなど。
鈴木大介「ネット右翼になった父」(講談社現代新書)読了。貧困問題に関するルポライターである著者が、癌で亡くなった父君の生前の言葉の端々からネット右翼の使うヘイトスラングが出てきたので、死後、晩年の父はネット右翼になったという文章を書いた。反響も大きかったけれど、なんで父親がそうなったかを検証する必要があると考え、家族や親戚、父君の友人などにインタビューをするうちに、ことはそう単純でないことに気づく。確かにネットにアクセスした履歴を見れば、ネット右翼のよく見るサイトなどにアクセスしたり、「嫌中嫌韓」というフォルダを作っていたりしているんやけれど、いわゆる「ネトウヨ」の主張するようなことに全面的に賛成していたわけでもないことが分かる。
実はそこには父君が思春期の子どもに接するスキルを持たず、著者とのコミュニケーションがうまく取れなくなってきたことや、幼少時に叩かれたことにより父君に反論できないようになっていた著者自身の問題など、様々な要素が絡み合っていくことが明らかになっていく。
読んでいて身につまされる思いになった。著者と私は少し年が離れているけれど、親の世代のものの考え方などとのギャップに苦しんだり、円滑なコミュニケーションが取れず亡父とは話もしたくなかった時期があったことなど、まるで自分のことを書かれているような気がした。問題は世代間のギャップや老人が歳を取るにつれて新しい価値観に順応しにくくなってしまうことなどにあり、そこにうまくはまるパズルのピースがネット右翼やったということらしい。私の亡父はネット右翼にはならなんだけれど、家族への態度、外向けの顔など、著者の父君と共通したところが多々ある。つまり、本書は戦後の日本を支えた世代とリベラルな教育と価値観の中で育った者の葛藤の書やったのです。そしておそらく今後は私たちの個性と自由を求める世代と、同調圧力の中で育ってきた世代の相克が来るんやろうなと思う。今後、高齢化していく社会で、世代間の軋轢を起こさないようにするためにはどうしたらよいか。そのヒントになる一冊やった。
午前中は録画した番組を見たあと、読書。読了後、昼食。それから午睡……と思うたら、柱や床などがみしっ、びきっと音を立て、ゆらりゆらりと振動。スマホにLINEのニュースの速報が入り、能登で震度6の地震が発生したとか。これでぶっ飛んだテレビ番組も多かったらしい。
タワーマンションの耐震構造でゆらゆら揺れるのはしばらく続き、目が冴えてしもうた。一服つけて気を落ちつけたかったけれど、まだゆらゆらしてるのにベランダに出るのは無鉄砲にすぎる。しばらくもぞもぞと寝がえりを打ちながらなんとか寝ようとするけれど、なかなか眠気がしない。そやけど揺れが落ち着いたくらいにやっと入眠。夕刻……より少し遅めに目覚める。一服つけてからナイター中継を追っかけ再生で見る。今日はマツダスタジアムでカープ戦。サンテレビが中継してくれるおかげで夕食を取ったりしつつ、全部見られた。大山とサトテルとミエセスのホームランで快勝。全得点がホームランというのはタイガースとしては非常に珍しい。試合終了後は社説のダウンロードなど。
鈴木大介「ネット右翼になった父」(講談社現代新書)読了。貧困問題に関するルポライターである著者が、癌で亡くなった父君の生前の言葉の端々からネット右翼の使うヘイトスラングが出てきたので、死後、晩年の父はネット右翼になったという文章を書いた。反響も大きかったけれど、なんで父親がそうなったかを検証する必要があると考え、家族や親戚、父君の友人などにインタビューをするうちに、ことはそう単純でないことに気づく。確かにネットにアクセスした履歴を見れば、ネット右翼のよく見るサイトなどにアクセスしたり、「嫌中嫌韓」というフォルダを作っていたりしているんやけれど、いわゆる「ネトウヨ」の主張するようなことに全面的に賛成していたわけでもないことが分かる。
実はそこには父君が思春期の子どもに接するスキルを持たず、著者とのコミュニケーションがうまく取れなくなってきたことや、幼少時に叩かれたことにより父君に反論できないようになっていた著者自身の問題など、様々な要素が絡み合っていくことが明らかになっていく。
読んでいて身につまされる思いになった。著者と私は少し年が離れているけれど、親の世代のものの考え方などとのギャップに苦しんだり、円滑なコミュニケーションが取れず亡父とは話もしたくなかった時期があったことなど、まるで自分のことを書かれているような気がした。問題は世代間のギャップや老人が歳を取るにつれて新しい価値観に順応しにくくなってしまうことなどにあり、そこにうまくはまるパズルのピースがネット右翼やったということらしい。私の亡父はネット右翼にはならなんだけれど、家族への態度、外向けの顔など、著者の父君と共通したところが多々ある。つまり、本書は戦後の日本を支えた世代とリベラルな教育と価値観の中で育った者の葛藤の書やったのです。そしておそらく今後は私たちの個性と自由を求める世代と、同調圧力の中で育ってきた世代の相克が来るんやろうなと思う。今後、高齢化していく社会で、世代間の軋轢を起こさないようにするためにはどうしたらよいか。そのヒントになる一冊やった。
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