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ベートーヴェンと日本人 [読書全般]

 今日も出勤日。考査の日も明らかになり、試験範囲も確定し、今日は2クラスが試験前最終授業となった。空き時間のうち一コマが自習監督のような形でつぶれてしまう。放課後はなんやかんやで定時より少し遅れて退出。明日からは考査の問題作成に励むことにしよう。今回は少し難しめにせんとなあ。どうしても解きやすい問題を作ることに慣れてしまい、難しい問題はどんなもんか、そのさじ加減がわからん。
 10月に入ってから気温がぐっと下がり、これまでシャワーですましていたのも風呂に変わったり、半袖シャツから長袖シャツに衣替えしたり。自律神経なるものが気温の激変についていかれへんようですね。
 今日もタイガースの試合はなし。帰宅後は寝床でだらだら読書など。
 浦久俊彦「ベートーヴェンと日本人」(新潮新書)読了。本の移動をしたりしていたら、見つけた一冊。面白そうやと買うて3年ほど放置してあった。明治時代、西洋文明を取り入れていく中で、ドイツ音楽も日本に入ってきた。本書は日本で初めて演奏されたベートーヴェンの曲は何かとか(「ヴァイオリンと管弦楽のロマンス」という小曲らしい)ベートーヴェンが日本人に受容されていく状況をたどりながら、明治以降の日本文化と西洋文明の関係などを明らかにしていく。面白かったのは、オペラが「輸入」された当初、ソプラノのアリアを聴いて日本人の聴衆が大笑いした、なんてところ。それまでの音曲と全く異質なものを聞いて、「鶏が絞め殺されるような歌声」がおかしくて仕方なかったということやそうです。それがわずか数年でヨーロッパ留学をして西洋音楽の本質をつかんだ女性が出てきたり、山田耕筰や近衛秀麿らによって日本のオーケストラを作る準備がなされたりするようになったというからすごいものです。数多い西洋音楽の作曲家の一人にすぎなんだベートーヴェンが大正時代に入り「ピアノソナタ“月光”」のブームが起こって一気に人気者になり、「交響曲第九」のレコードや楽譜が輸入され、そして初演されることによって精神高揚の象徴のように扱われるようになり、関東大震災をきっかけに年末の「第九」が定番となっていく。またドイツ文学者によって翻訳されたり書かれたりした「苦悩から栄光へ」というベートーヴェン像が確立し、ついには「楽聖」とあがめられるようになり、戦時中には出陣する学徒のために演奏され、戦後は敗戦から復興しようとする人々のために演奏され「第九」がまるで第二の国歌のように聴かれるようになるまでが解き明かされる。それはそのまま日本人の西洋文化受容の歴史に重なってくる。そこらあたりのことは私は漠然としか知らなんだので、非常に興味深く読んだ。平易な文章でわかりやすく時系列をたどっているので、特にクラシック音楽に興味のない人でも、近現代史に関心のある方なら新しい発見がある一冊やと思う。

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