今くるよの死 [追悼]
台風1号の影響で朝から雨。なんで私が登校指導の立ち番の日になると雨が降るんや。
今日も空き時間はひたすら採点。放課後、日直当番で校内の巡視。体育祭が近く、応援旗を描く3年生が熱心に活動中。下校時間には帰るようにと声をかけたりしてから、また採点。定時から1時間くらい残業。さすがに集中力が続かなくなり、あと少しというところやったけれど退出する。明日返却のクラスには十分間に合うやろうというところまで進めたし、ええか。
雨は昼頃最も強く、一服つけに外に出ただけで足元はずくずく。帰宅時は弱まっていたけれど、それでもまだ降り続いている。夜になってやっとあがった。
帰宅後、夕食を取って寝床でどぶさってスマホをいじっていたら寝落ち。甲子園のタイガースの試合は当然中止。さすがの阪神園芸もこれだけ降ったらお手上げというところか。
漫才師今くるよさんの訃報 に接する。死因は膵癌。年齢は未公表やけれど、おそらく70は過ぎていたと思う。※後に享年73と発表。
訃報の見出しには「どやさ」のギャグでおなじみの、とあるけれど、これは本来は腹叩きのギャグを売り物にしていたのが、痩せて腹を叩いても音が響かなくなったので、代わりに考え出したものやと思う。まだ売れてなんだころ、NHKのラジオ「上方演芸会」で今いくよくるよの漫才を初めて聞いた。やはり腹叩きと、いくよさんの厚化粧いじりのネタが中心やった。1980年代の漫才ブームでは、プロデューサーの澤田隆治さんは、実は若井小づえみどりを東京に呼ぶつもりやったのが、吉本興業の関係者が勘違いしていくよくるよを「花王名人劇場」出演のメンバーに入れてしもうたと、澤田さんご本人の講演で聞いた。ところがこれがいくよくるよには幸運を呼んだ。放送された「漫才新幹線」で見たネタは、かつてラジオで聞いたものと全く同じものやったけれど、館内は大爆笑。あっという間に売れっ子になった。いくよさんもくるよさんも愛嬌があり、ビジュアル的にもよかったんやと思う。大学時代に今は亡き京都花月でご両名の漫才を直接聞いたけれど、自信に満ちあふれていて、同じネタとわかっていても思わず笑わせてしまうだけの勢いと迫力があった。
高校時代、ソフトボール部でいっしょやった二人は、くるよさんの誘いで今喜多代さんのもとに弟子入りしたけれど、とにかく売れず、副業のスナックで何とか生活していたという。吉本興業のマネジャーの取り違えがなかったら、解散していたかもしれん。前述したように、くるよさんは病気で痩せて腹叩きの芸ができなくなった。そこで「どやさ」を編み出したんやけれど、やはり全盛期の奇抜な衣装と腹叩きが印象に残る。どちらも未婚のまま、いくよさんが早世。ピン芸人として活躍してはったけれど、やはり漫才コンビは相方あってのもの。あの、京都花月で感じた勢いはいまだに忘れられん。互いをいじりあっても嫌な感じが全くしないという稀有な女性コンビやった。度胸と愛嬌では歴代の女性コンビの中でも随一やったんやないかと思う。
謹んで哀悼の意を表します。
今日も空き時間はひたすら採点。放課後、日直当番で校内の巡視。体育祭が近く、応援旗を描く3年生が熱心に活動中。下校時間には帰るようにと声をかけたりしてから、また採点。定時から1時間くらい残業。さすがに集中力が続かなくなり、あと少しというところやったけれど退出する。明日返却のクラスには十分間に合うやろうというところまで進めたし、ええか。
雨は昼頃最も強く、一服つけに外に出ただけで足元はずくずく。帰宅時は弱まっていたけれど、それでもまだ降り続いている。夜になってやっとあがった。
帰宅後、夕食を取って寝床でどぶさってスマホをいじっていたら寝落ち。甲子園のタイガースの試合は当然中止。さすがの阪神園芸もこれだけ降ったらお手上げというところか。
漫才師今くるよさんの訃報 に接する。死因は膵癌。年齢は未公表やけれど、おそらく70は過ぎていたと思う。※後に享年73と発表。
訃報の見出しには「どやさ」のギャグでおなじみの、とあるけれど、これは本来は腹叩きのギャグを売り物にしていたのが、痩せて腹を叩いても音が響かなくなったので、代わりに考え出したものやと思う。まだ売れてなんだころ、NHKのラジオ「上方演芸会」で今いくよくるよの漫才を初めて聞いた。やはり腹叩きと、いくよさんの厚化粧いじりのネタが中心やった。1980年代の漫才ブームでは、プロデューサーの澤田隆治さんは、実は若井小づえみどりを東京に呼ぶつもりやったのが、吉本興業の関係者が勘違いしていくよくるよを「花王名人劇場」出演のメンバーに入れてしもうたと、澤田さんご本人の講演で聞いた。ところがこれがいくよくるよには幸運を呼んだ。放送された「漫才新幹線」で見たネタは、かつてラジオで聞いたものと全く同じものやったけれど、館内は大爆笑。あっという間に売れっ子になった。いくよさんもくるよさんも愛嬌があり、ビジュアル的にもよかったんやと思う。大学時代に今は亡き京都花月でご両名の漫才を直接聞いたけれど、自信に満ちあふれていて、同じネタとわかっていても思わず笑わせてしまうだけの勢いと迫力があった。
高校時代、ソフトボール部でいっしょやった二人は、くるよさんの誘いで今喜多代さんのもとに弟子入りしたけれど、とにかく売れず、副業のスナックで何とか生活していたという。吉本興業のマネジャーの取り違えがなかったら、解散していたかもしれん。前述したように、くるよさんは病気で痩せて腹叩きの芸ができなくなった。そこで「どやさ」を編み出したんやけれど、やはり全盛期の奇抜な衣装と腹叩きが印象に残る。どちらも未婚のまま、いくよさんが早世。ピン芸人として活躍してはったけれど、やはり漫才コンビは相方あってのもの。あの、京都花月で感じた勢いはいまだに忘れられん。互いをいじりあっても嫌な感じが全くしないという稀有な女性コンビやった。度胸と愛嬌では歴代の女性コンビの中でも随一やったんやないかと思う。
謹んで哀悼の意を表します。
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