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旭國斗雄の死 [追悼]

 本日も採点三昧。出勤時、いつもはやり過ごして次に来るバスに余裕をもって乗っているんやけれど、大急ぎで早い方のバスに乗り、5分だけでも早く職場につき、すぐに採点を始める。そんなこんなで、日程的に本日までに返却しなければあかんクラスの分はすべて採点をすます。
 午後からは明日返却する分の採点を始めたけれど、昼食後、腹の皮が突っ張ると目の皮がたるむというやつで、20分ほどうとうと。それがかえってリフレッシュになったか、ひとクラス分が完了。残業1時間で最後のクラスの4割まで完了。とはいえもうゲシュタルト崩壊を起こしかけていて、これ以上やるとミスが増えてしまう予感がしたので、中断して退出。まあ、明日返却できるめどはついたかな。
 帰宅してすぐに夕食。食後は社説のダウンロードなどをして、すぐに寝落ち。そらあんたもうへろへろですねん。なに、あと1日。それにもう返却さえすませたら昨日今日みたいな強行軍はする必要はないしね。
 大相撲元大関の旭國斗雄さんの訃報に接する。享年77。相撲を見始めたころ、とにかく小兵でしぶとく食らいついたら離れん力士がいて、膵臓病で入院しているのに「土俵で死ねたら本望」と病院から場所に通うた力士に夢中になった。旭國斗雄。「ピラニア」の異名を持つ力士。
 本命は貴ノ花やったけれど、私は地味に旭國を応援していた。旭國は少しずつ実力をつけ、とったりなどの技の切れだけやなく、正攻法でも相手を圧倒する相撲を見せるようになり、ついに大関に昇進。ただ、一度も優勝をすることはかなわなんだ。
 惜しかったのは14勝1敗という星を残した場所。普通なら文句なしに優勝という星なんやけれど、この場所優勝したのは15戦全勝の横綱北の湖。横綱最盛期でした。小兵の旭國は真っ向から突っこんでいき、圧倒されて寄り切られた。
 引退後は大島部屋を創設し、横綱旭富士、関脇旭天鵬、小結旭鷲山、旭道山など個性豊かな力士を輩出し、名伯楽としても知られた。特にモンゴル力士を初めて入門させ、現在のモンゴル力士の活躍への道を開いた。定年後は部屋を閉じ、力士を友綱親方に預けた。弟子の旭天鵬が友綱を継ぎ、友綱部屋の師匠となったけれど、名跡を交換して大島親方となり、師匠の開いた部屋を再興した。旭國さん、嬉しかったやろうなあ。あとは大島部屋から次に旭國のしこ名を継ぐ力士が出て来てくれたらもっと嬉しかったやろうに。
 常に満身創痍で、膵臓に爆弾を抱えながらも大関まで上り詰めた旭國の異名は「ピラニア」から「相撲博士」に変わっていた。それだけたゆまぬ努力を周囲が認めたという事なんやろうね。
 高見山のまわしを取って出し投げを繰り出した相撲をリプレイで見たら、まわしではなくサガリやったという一番も忘れ難い。横綱輪島との優勝決定戦で惜しくも叩き落とされた相撲も強く印象に残っている。その決定戦に出たことで大関に昇進できたんやもんな。
 目いっぱい相撲を取ってはったからやろうか。77歳で逝くのはまだ早いと思わんではないけれど、それだけ中身の詰まった力士、親方人生やったんやろう。関脇麒麟児といっしょにサントリービールのCMに出演し、アサヒ国とキリン児がサントリービールを飲む加山雄三さんに「あんたが主役」というコミカルなものやった。そういう仕事も受ける茶目っ気のある一面もあったんやね。横綱三重ノ海、大関貴ノ花とは大の親友として知られていた。もと三重ノ海の石山五郎さんは寂しい思いをしてはるんやろうなあ。
 書き出したらいっぱい思いがあふれてくる。それくらい大好きな力士やった。
 謹んで哀悼の意を表します。
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