力道山 [読書全般]
今日は節分。昨日より寒さはましに。朝から昨夜録画した深夜アニメやら「仮面ライダーガヴ」やら「ブンブンジャー」やらを見る。「プリキュア」は新シリーズの開始。前シリーズはいつもの「プリキュア」とは違う感じ(そういえばカタカナでなく「ぷりきゅあ」とひらがなやった)やったけれど、今回はいつもの「プリキュア」と同じような感じ。ええ歳をしたおっサンが「プリキュア」を語るというのもなんですけれど。
昼食後、午睡。夕刻起きて社説のダウンロードやら読書やら。
夕食はもちろん「恵方巻」などというものは食さず、イワシと福豆。我が家は船場の商家と違うから、そんな風習は関係ないのです。
夕食後も読書の続き。この4日間はほんま、晴読雨読でした。
斎藤文彦「力道山――『プロレス神話』と戦後日本」(岩波新書)読了。「力道山」とは日本にとって何者やったか。「力道山」にとって日本とは何やったかを、その生涯をたどることによって明らかにしようという試み。数多くの文献や当時の新聞記事を読み解き、朝鮮半島出身の若者が何を求めて相撲界に入り、何を思って髷を自ら切り、そしてどのようにしてプロレスと出会い、どのようにプロレスという新しい文化を日本に移植し、定着させていったかをたどっている。そこには日本という狭い枠を脱して広い世界を求めた男と、戦後に復興、発展しようとする時代がものの見事にリンクしていった様子が描かれる。また、力道山とは別ルートでプロレスという世界に入ってきた木村政男らとの比較により、力道山という人物の特別さが浮き彫りにされていく。著者は私と同世代のプロレスライター。したがって力道山を生で見た記憶はない。しかし、力道山の次の世代のジャイアント馬場とアントニオ猪木についてはリアルタイムで見てきた世代である。つまり、力道山が作り上げた「日本のプロレス」をそれぞれの個性で発展、展開させていったのを知っている。そやからこそ、自分たちの世代が知るプロレスの源流というものをたどろうという思いも強かったんやないかと思う。戦前戦後の日本の様子、そしてその中でヒーローとして生きた力道山の実像と虚像。それらを真摯に解き明かそうとした意欲的な試みが本書で、それは昭和へのノスタルジーではなく、歴史となった「昭和」のある一面をあぶりだす試みなんやろう。なぜ今「力道山」なのか。それは読み手の世代別によって受け止め方は変わると思うけれど、「時代と寝る」というのはこういうことなんやと感じさせる一冊になっていることは間違いなかろう。
昼食後、午睡。夕刻起きて社説のダウンロードやら読書やら。
夕食はもちろん「恵方巻」などというものは食さず、イワシと福豆。我が家は船場の商家と違うから、そんな風習は関係ないのです。
夕食後も読書の続き。この4日間はほんま、晴読雨読でした。
斎藤文彦「力道山――『プロレス神話』と戦後日本」(岩波新書)読了。「力道山」とは日本にとって何者やったか。「力道山」にとって日本とは何やったかを、その生涯をたどることによって明らかにしようという試み。数多くの文献や当時の新聞記事を読み解き、朝鮮半島出身の若者が何を求めて相撲界に入り、何を思って髷を自ら切り、そしてどのようにしてプロレスと出会い、どのようにプロレスという新しい文化を日本に移植し、定着させていったかをたどっている。そこには日本という狭い枠を脱して広い世界を求めた男と、戦後に復興、発展しようとする時代がものの見事にリンクしていった様子が描かれる。また、力道山とは別ルートでプロレスという世界に入ってきた木村政男らとの比較により、力道山という人物の特別さが浮き彫りにされていく。著者は私と同世代のプロレスライター。したがって力道山を生で見た記憶はない。しかし、力道山の次の世代のジャイアント馬場とアントニオ猪木についてはリアルタイムで見てきた世代である。つまり、力道山が作り上げた「日本のプロレス」をそれぞれの個性で発展、展開させていったのを知っている。そやからこそ、自分たちの世代が知るプロレスの源流というものをたどろうという思いも強かったんやないかと思う。戦前戦後の日本の様子、そしてその中でヒーローとして生きた力道山の実像と虚像。それらを真摯に解き明かそうとした意欲的な試みが本書で、それは昭和へのノスタルジーではなく、歴史となった「昭和」のある一面をあぶりだす試みなんやろう。なぜ今「力道山」なのか。それは読み手の世代別によって受け止め方は変わると思うけれど、「時代と寝る」というのはこういうことなんやと感じさせる一冊になっていることは間違いなかろう。
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