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考える習慣 [教育]

 先日、授業で「友達とは」というテーマでディスカッションさせた。ふだんはこの授業は哲学的なテーマで抽象的な概念について高校生に無理から考えさせてディスカッションさせるという無茶を承知の「哲学入門」なる授業なんですけどね。たまには身近なテーマについて考えさせてみるのです。
 毎週高校生には歯がたたなさそうなテーマについてとにかく考えさせているから、一つのテーマについて抽象的な概念を掘り下げるという訓練ができてるわけですね。そやから、逆に身近なテーマについて語らせると、掘り下げる癖がついているから、おそらく4月の段階やったらそこまで深く考えなんだやろうなというような生徒でも、こちらがびっくりするほどいろいろな意見を出すようになる。
 いやほんまは考えてはいるんやろうけれど、それをうまく言葉にする機会がなかっただけなんかもしれん。ところが、2ヶ月くらいの間にかなり難しいことをやってきたおかげで、考えを言葉にする習慣ができたということなんかもしれんな。
 つまり「学ぶ」とはそういうことなんやと、この5年ほどこういう授業を続けてきて実感している。「詰め込み」だけでもあかん。「ゆとり」だけでもあかん。詰め込ますんやったら、その詰め込んだ知識を活用する場を与えて自らそれを生かす方法を身につける。知識がなければ話にならん場合もあるし、知識があってもそれを生かす方法をしらなんだらどうしようもない場合もある。
 データの取り方によってどうとでも解釈できる統計だけを物差しにして、白か黒かみたいな問題提起をするから、なにやらおかしげな「教育改革」論議になるんやないかと、毎年「哲学入門」を担当するたびに思うわけですね。


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