稲生和久の死 [追悼]
元プロ野球西鉄ライオンズ投手、稲尾和久さんの訃報に接する。享年70。死因は悪性腫瘍。
稲尾さんの名前を始めて聞いたのは母の口からやった。子どものころ、母が昔ひいきにしていたのが西鉄ライオンズで、好きな選手は稲尾さんやと言うたんである。母は「稲尾は同い年やから親近感があったの」と言うた。亡くなった祖母が熱烈なドラゴンズファンやったから、女性の野球ファンの少ない当時でも、母にとってはプロ野球に興味を持つのは珍しくもなんともないことやったんやろう。
まだ小さかった私は、ただ「稲尾」という名前だけを覚えただけで、すぐに興味を失うた。ところが、野球に興味を持ち出しその歴史やなんかを書いた本などを読んで、「稲尾」がどえらい投手やったということを知った。
シーズン42勝の大記録、年間最多登板やら日本シリーズでの3連敗4連勝という大逆転劇の主役やったことやら「神様仏様稲尾様」とファンから呼ばれていたことやら。
ロッテオリオンズの監督をしていたとき、「オレ流」の三冠王、落合博満内野手が唯一人心酔した監督となった。天才は天才を知るということか。
そして大阪朝日放送の野球解説者となり、その柔和でわかりやすい語り口で私たち野球ファンを魅了した。いつやったか甲子園でオールスターゲームが開催されて朝日放送が中継した年があった。第1試合は東京のテレビ朝日が、契約している解説者全員を放送席に座らせるという散漫な中継をしたのに対し、第2試合の朝日放送はゲストに当時バファローズのコーチをしていた元ライオンズの中西太さんを呼び、かつての仲間である稲尾さんとただ2人だけでじっくりと聞かせた。聞きごたえのある放送やった。
幼いころに聞かされた名前として、母がファンやったということで、稲尾という名前は私にとっては懐かしく響く。
近年は福岡に戻りホークスの試合の解説をしたりしてはった。交流戦で福岡からの中継があり、稲尾さんの声を久しぶりに聞いて何か嬉しく感じたのは2年前のときやったかなあ。
母と同い年か。まだまだ元気で野球界に貢献してくれはると思うていたけれど、太く短かった野球人生と同様に、あまりにも早い死やったと思う。
謹んで哀悼の意を表します。