円熟の名人芸 [演芸]
毎日ドラマ「ちりとてちん」を見ていると、無性にほんまの落語を聞きたくなってくる。今日はBS放送で桂米朝師匠の「七度狐」を放送してくれたので、もちろん録画。夕食後、妻とじっくりと見る。1990年の放送ということなんで、今から17年前の高座でありますね。
今では「米朝よもやま噺」と題した座談で軽くすましている米朝師匠やけれど、この時期はまさに円熟の極みともいえる時代で、これがあと5年ほど後になると声がかすれたり言葉が少しずつ出にくくなってきたりする。
細かなしぐさ一つ一つに意味がある。七度狐という前座にやらせる噺を、聞きごたえたっぷりのものに仕上げてしまう。これこそ米朝の「芸」。ドラマ「ちりとてちん」では俳優さんの落語と比較して「さすが落語家」と桂吉弥さんの口調を楽しんでいたりするんやけれど、当然ながら米朝師匠の円熟芸とは比較にはならん。吉弥さんはまだ「若手のホープ」なんやなあと実感する。
よう考えたら私は幸せもんやなあ。六代目松鶴は生では1度だけしか聞くことはでけなんだけれどなんとか間に合うたし、米朝、五代目文枝、三代目春団治の「四天王」の最も気力体力話芸が充実していたころの高座に何度も接している。
このドラマ「ちりとてちん」で上方落語に興味を持ち始めた人たちの目の前には松鶴、文枝はおろか、枝雀も吉朝も先代小染もいてへんのや。
もちろんこれからの上方落語を背負って立つ若手、中堅にはおおいに期待してますよ。そやけど、それはそれ、これはこれ。
てなことを「七度狐」を聞きながら思うたのでした。