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花井悠の死 [追悼]

 元プロ野球西鉄ライオンズ外野手、花井悠さんの訃報に接する。享年75。死因は敗血症。
 花井さんというたら、開始当初の「おはよう朝日です」やなあ。アットホームな雰囲気の朝の情報番組で、花井さんはスポーツコーナーを担当してはった。ライオンズ時代は野武士軍団の中で比較的地味な役割を担わされていたということやけれど、そういう人がなんで大阪ローカルのテレビ番組でレギュラーを持っていたのか。
 実は、ライオンズのコーチを辞めた後、日刊スポーツ紙に記者として再就職し、取材と解説の両方をやっていたからやと、創刊当初の「月刊タイガース」に書いてあったという記憶がある(記憶違いやったらごめんなさい)。日刊スポーツは朝日新聞の系列やから、そこから「おはよう朝日」のスポーツ担当として起用されたんやろうね、きっと。
 野球にくわしいおっちゃんというスタンスで、朝からざっくばらんな口調で解説をしてくれたはったのが懐かしい。実は高校時代は甲子園のマウンドに立ち、大学では慶応大で神宮のスターやったと知ったのはずいぶん後のこと。
 「甦れ! 俺の西鉄ライオンズ」という歌が発売されたとき、歌詞の中に昭和30年代のライオンズの選手が列記されているのに、花井さんの名前がなかったのでがっかりした記憶がある。花井さんは当時のライオンズのメンバーの一人やったということを誇りにしてはったのに。日本シリーズのスターティングメンバーに名を連ねたこともあったというのに。
 メインの司会者が若返ったりして、花井さんも番組から消えた。ラジオの解説席に座ることもなくなった。日刊スポーツからその名も消えた。今回の訃報でわかったことは、日刊スポーツOB会の会長やったということ。あっそうか。記者やったんやから定年退職したんかもしれんな。
 花形選手やなかったかもしれん。それでも、球界から離れても自力で野球にかかわる仕事を見つけ、そしてテレビの前の私たちに野球というスポーツを親しみやすいものにしてくれた。こういう人こそ野球の人気を支える縁の下の力持ちやなかったかと思う。視聴率のことばかり考えて野球というスポーツのおもしろさを伝えたいという熱意がひとつも感じられない中継をする東京のテレビ局の人には、まあこういう人がいたということの重みはわからんやろうな。
 同じライオンズのチームメイト稲尾さんの後を追うように、ひっそりと花井さんも逝った。謹んで哀悼の意を表します。


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