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島野育夫の死 [追悼]

 読書感想文「甦る封印歌謡」(石橋春海)を新規更新しました。

 プロ野球阪神タイガースコーチの島野育夫さんの訃報に接する。享年63。死因は胃がん。
 新聞報道ではどうしてもコーチとしての業績(星野仙一監督の懐刀、名参謀などなど)が表に出るので、私は現役時代の島野さんのことを思い出してみたい。
 島野さんは江夏・望月対江本・島野・池内・長谷川という大型トレードでタイガースに移籍してきた。当時のタイガースの外野というと、レフト望月、センター池辺、ライトテーラーという布陣やったけれど、1976年のシーズンを前に大幅な選手の入れ替えが行われて、レフト東田、センター池辺、ライトラインバックという形になった。島野さんは池辺選手や東田選手と交代で起用されることが多く、代走や守備固めが中心やった。南海ホークス時代はレギュラーやったけれど、タイガースではもっぱら控え。それでもくさることなく職人技を見せてくれた。
 あれは現役晩年のとき、確か1981年のシーズンやったと記憶している。レフトに入った新外国人のポール・デードという選手は、俊足巧守巧打の外野手という触れ込みやったけれど、イージーフライをお手玉してなんとか落とさずにすませるなどというはらはらするプレーを見せたりしたとんだ食わせ者。デードに代わってレフトの守備に入った島野さんは、本塁に突入するカープのデュプリー選手を見事な返球で刺してみせた。
 引退間近の選手のプレーやなかった。まさにプロの技ここにありという返球やった。
 島野さんは現役引退すぐにコーチに就任し、審判に暴行を加えたことで無期出場停止の処分を受けた。処分が解けた後、すぐに星野監督に呼ばれてドラゴンズのコーチとなる。普通やったらそんな人物をコーチに招聘することはあまりないんやけれど、それをおしてコーチに持ってきたんやから、星野さんがいかに島野さんを信頼していたかわかるやろう。つまり、そうするだけの理由があったから審判に対して殴る蹴るという行為にでたんやと、そういう信頼やろうね。
 華やかなスターだけが野球をやってるんやない。影に隠れてその力を発揮できる、そういう選手がいるからスターも光る。島野外野手は、まさしくそういう選手やった。
 謹んで哀悼の意を表します。


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