葬礼の受付 [日常生活]
通夜の席に着いたら、受付を依頼された。この年になって、葬礼の受付は初体験。記帳をしてもらい香典を受け取り帳面に金額とお名前を控え金封を糸で縫い綴じる。次から次へと弔問客が来てくれはるので、これらを同時並行で行うので手一杯。しかも香典泥棒にあわんように注意をはらわんならん。
葬儀屋さんの「ご親族で御焼香のまだの方、どうぞ」の声に促され、式場に入る。親族一同泣き濡れているというのに、私は別な空間からやってきたためその場の空気になじまれへん。出棺の際も花を棺桶に入れたりしたんやけれど、何か別の世界のことみたいに冷静な気持ちで故人とのお別れをした。
いくらなんでも受付と焼香だけでは故人を送った気になれんので、斎場にも初七日にもおつきあいし、やっと場の空気を共有できたかな。
親戚の葬礼にはかなりの数参列しているんやけれど、ここまで疲れたのは初めて。また、ここまで冷静やったのも初めて。いや、受付という得がたい経験をして、こういう気持ちになる葬礼もあるんやなあと驚かされた次第です。
マンガ週刊誌の戦略 [時事ネタ]
“週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが来年、同時に創刊50周年を迎えるのを記念し、両誌の出版元である講談社と小学館が、共同して少年向け漫画雑誌を発行する。今年4月から月2回刊で半年間、計12冊刊行する。
内容は、マガジンで不定期連載している「金田一少年の事件簿」と、サンデーで連載中の「名探偵コナン」の過去の作品を再編集したもの。雑誌名は「コナン金田一 増刊」を予定している。(中略)両誌は59年の創刊で、高度成長期以降の少年漫画誌をリードしてきた。しかし、ゲームやインターネットなど子どもの娯楽が多様化し、漫画離れが進んだ。
マガジンの部数は97年に最高425万部だったのが、現在は187万部。サンデーは、80年代に200万部台だった部数が93万5000部まで落ち込んでいる。全盛時には650万部に達していた週刊少年ジャンプも、現在は約280万部だ(後略)”
これだけ読むとマンガそのものが不人気になっているかのような印象を受けるけれど、コミックスの売り上げは雑誌ほどには落ちこんでないらしい。つまり、これはテレビ番組がビデオデッキやHDDレコーダの普及により番組を選んで録画して見るようになって視聴率だけが人気の指標となりえなくなったのに少し似ているように思う。
昔は雑誌を読んで面白いと思ったものだけ単行本をそろえて何度も繰り返し読むというのが、マンガの楽しみ方やった。そんな中で人気の高いものだけが選ばれてアニメ化されたりした。
現在、アニメ化されるマンガは確かに人気があって面白いものやろうとは思うけれど、長期連載で単行本もかなり巻数が増えてからアニメ化するという昔の形をとるものばかりやないようや。とりあえず1クールだけでもアニメ化できる分量があればいい。それを放送し、DVDや原作の単行本の売り上げをのばすという戦略がとられているものが多い感じがする。
つまり、コミック単行本を買うのは雑誌の購買層だけに限らなくなってきたということやろう。テレビアニメをプロモーション用に製作し、多様なメディアで人気を拡張していくという戦略がとられるようになっていると、ここらあたりはアニメを熱心に見ている方たちなら、素人(私もそうですが)でもわかる構図ですね。
で、そういう層は雑誌は買わん。単行本だけを買う(私がそうです)。雑誌を買うのは、従来どおりなんとなく毎週買ってなんとなく楽しむ層と、新しいマンガの情報を常にキャッチしようという層に大きく分かれているんやないかと、これは私の勝手な推測ですが。
そこで長年ライバルとなってきた小学館と講談社も手を組み、「天才バカボン」の「マガジン版」「サンデー版」という傑作選の単行本を出してみたり、今回のような企画を立ててみたりしているんやろう。
ながら視聴対象者を相手にお手軽番組を垂れ流すようになったテレビと違い、マンガ週刊誌は読者に買うてもらわんと生きていかれへんから、いろいろと工夫せんならんのやろう。そういう話題づくりが果たして今後のマンガ週刊誌をどう変えていくか、もうしばらく様子を見てみたいところですね。
諸般の事情で明日の日記はお休みします。次回更新は金曜深夜の予定です。
受験生の視線 [日常生活]
それはともかく、今年の入試で困ったのは、試験監督にいった教室で何名かの生徒からまじまじと見つめられてしもうたこと。40過ぎのヒゲオヤジに受験生が見とれるなんていうことはまあないやろうし、ズボンのチャックが開いていたというわけでもない。推測するに、まじまじ受験生は昨年11月放送のNHK教育テレビ「きらっといきる」を見ていたんやなかろうかということ。勤務校は福祉系の科目を多数カリキュラムにそろえていて、将来介護福祉士になりたいというような生徒が多く受験してくる。11月のあたまくらいやと、志望校の絞り込みにはいるころやわな。私の勤務校に関心があり、障害者福祉に興味のある生徒が「きらっといきる」を見て、受験の参考にしようとしてもおかしくはない。そして、そこでインタビューされたり生徒に話をしている様子が映っている眼鏡をかけたヒゲオヤジの顔が記憶に残るというのもあり得ることや。
自意識過剰という人もいてるかもしれんけれど、私は今まで何度も入試の試験監督をしてきたけれど、受験生にこんなにまじまじと見つめられた経験はないもんな。ということは、それなりに理由があるはずで、それを考えたらやっぱりテレビ出演したことくらいしか思いつかんのですよ。もしこの推測があたっていたとしたら、テレビの効果というのはおそろしいものがあるなあ。4月に新入生が障害児との交流サークルに入ってきたら、たずねてみたいところですね。
CR世界名作劇場 [テレビアニメ]
「平和」というメーカーのラジオCMであの「ヤッターマン」のドロンボー一味が登場して「パチンコヤッターマン」「あたしたちが平和のために働いてるなんておかしいわね」とかいうてるのを聞いた時にはその洒落たセンスに大笑いした。
そやからというて、これはないでしょう。「CR世界名作劇場」ですか。いや、テレビで「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「あらいぐまラスカル」のDVDがついた週刊百科シリーズのCMを見ていたから、今朝、朝刊の一面広告を見た時はてっきりその宣伝かと思うた。
あれれおかしいなと感じたのは、マルコとネロのとなりにフローネが描かれていたせいで、はてDVDのCMは間違いやったんかいな。で、よく見たらあの「世界名作劇場」のパチンコ化やったというわけですわ。
いや別にパチンコをおとしめようとかそういうつもりはないんよ。そやけどなあ、お金がなくて苦労して死んでいったネロとパトラッシュの画面を見ながらパチンコしててうしろめたくならんか。なんでも大当たりしたらあの「ああ、パトラッシュ、ルーベンスの絵だ……」というシーンが出るとかいうことらしいけれど、せっかく大当たりしても気持ちが高揚するどころか落ち込んでしまうんやないかと思う。
別に制作会社が許可してるんやから、パチンコをやらん私がぼやくことなんかないと思うけれど、番組のイメージとしてパチンコは似合わんのやないかなあ。しかもちょうど廉価でDVDにして毎週よいこたちに届ける出版社とほぼ同時期に宣伝をうつとはなにか「世界名作劇場」に恨みでもあるんかというような気さえしてきたぞ。
それにしてもリーチがかかった時に荒野を破れた靴で走って倒れた上に雪がふってきて気を失いかけているマルコの画面が出てきたら、それだけでもうお客はパチンコなんかやめて帰りたくなるんやないかとひとごとながら心配するぞ。
建築物の外観と費用対効果 [時事ネタ]
建築デザインの費用対効果なんて、長期的なスパンで見んとわからんでしょう。というよりも、外観そのものの費用対効果なんてどうやって算出するの。「通天閣の外観の費用対効果」「太陽の塔の外観の費用対効果」なんてものを算出できますか。一見むだに見えるかも知れんけれど、金で換算できるものやないということですわ。 外観を問題にするんやなく、この府立大型児童館ビックバンが大阪の子どものためにどのように役に立っているか、これがあることによって「子どもが笑う大阪」になっているかどうか、橋下知事が検証すべきはそこやないかと思う。 その結果子どもにとって何の役にもたってへんということになったら、費用対効果に見合う高額な利用料を設定するもよし、民間に売却するもよし。 大阪府の赤字の元凶みたいに文化施設を扱い、それを「費用対効果」という即物的な物差しでしか計られへん。ほなら赤字解消はせんでええんか、という人もいると思うけれども、ただ自分の価値観にはないから切り捨てるという、そんな気まぐれなことで抜本的な解決ができるのかという疑問が残るのですね。「めまいがする」のは私のほうですわ、とおるちゃん。
昨日も書きましたが、ブログリニューアルの関係で、メンテナンス期間中の日記はhtmlスタイルの「ぼやき日記」で公開します。2月25日(月) 15:00 ~2月27日(水) 23:50までは公式サイトトップページ(http://www014.upp.so-net.ne.jp/t-kita/index.html)から日記をお読みください。
雪まじりの春の嵐 [季節ネタ]
今日は朝から強風が吹いていて、我が家のベランダにはどこから舞い込んだかわからんごみが飛び込んできたり、植木鉢や洗濯ハンガーがこけたり。いやはや、大変。
午後からは父の見舞いのため京都の病院へ。大阪では強風だけですんでいたけれど、京都では雪まじりの風が吹いていた。大阪に帰るとさすがに京都よりは少し暖かい。少し、だけですけどね。
夜、ベランダに出るとぐっと冷え込んでいる。
ニュースサイトを見たら、関東では「春一番」が吹いたことになってるんやて。ほーう、関東ではもう春ですか。で、関西のローカルニュースを見たら、「春の嵐」ですて。ほーう、春の嵐には雪がまじってるんですか。
ちっとも春らしいないぞー。どこが「春の嵐」ですねん。そんな記事を書いた記者は、暖房のきいた部屋で気象協会かどこかから送られてきたデータをそのまま書き写して、暦の上では「春」やから「春の嵐」にしたに違いないわい。
なんぼ歩いて体がぬくもっても、すぐに寒風がその熱をとばしてしまうから汗もかかんのですよ。新暦と旧暦をごちゃ混ぜにして使うから、こんな雪まじりの風でも「春の嵐」なんて書いてしまうんやろうか。あー寒かったあー寒かったあー寒かった。
2月25日(月) 15:00 ~2月27日(水) 10:00はSo-net blogのサーバメンテナンスでこのブログには43時間アクセスできません。
くわしくはこちらをご覧ください。
メンテナンス期間中の日記はhtmlスタイルの「ぼやき日記」で公開します。2月25日(月) 15:00 ~2月27日(水) 23:50までは公式サイトトップページ(http://www014.upp.so-net.ne.jp/t-kita/index.html)から日記をお読みください。よろしくお願いします。
オリゼーが来た! [日常生活]
Amazonで予約しておいた「もやしもん」特装限定版第6巻が今日届いた。オリゼー君のぬいぐるみつきということなんで、今回に限り妻を喜ばせたいとかいろいろと思い、えいやっと思い切って購入したのです。
実物の写真を見せたいなあどうしようかなあと思うのですが、写真を撮るのがめんどくさいのでやめ。まあ写真では実物の持つ質感なんかは伝わらんと思うけれど。
妻は特にぬいぐるみが好きというわけやない。丸いもの好きではあるけれど。私もめったに妻にぬいぐるみを買うということはない。結婚前に柴犬のぬいぐるみが実にええ顔をしていたので、「おお、こいつは私を呼んでおる!」と思い購入して妻に贈ったことはある。あ、トトロのぬいぐるみがあまりにも気持ちよさそうなので贈ったこともあった。まあそれくらい。結婚してからはDVDやらマンガの本のまとめ買いやらというプレゼントはしたけれど、ぬいぐるみを贈るというのは考えたこともなかった。
ほなら、なんで買うたかというと、これはもう“勘”としかいいようがない。直感的に「おお、これは買わねば!」と思うたのですね。
ただし、予約販売の通販やから、実物が届くまで当たりかはずれかわからん。まあ賭けですわ。
賭けには勝ったぞ。人の顔くらいある大きさなんやけれど、マンガに描かれているオリゼー君のなんとも愉快なとぼけた表情がちゃんとでている。顔のまわりのぴらぴらも弾力性があってよろしい。ほんまにうまいこと作ってあるなあ。
というわけで、新来のオリゼー君は我が家のマスコットになりそうです。
「かもすぞー」とか言うて夜中のうちにぞわぞわと増えてたらどうしよう。そんなあほな。
小野満とダン池田の死 [追悼]
昨日、小野満さんの訃報に接し、今日はダン池田さんの訃報に接する。どちらも私が子どものころ、歌番組の伴奏では欠かせない存在やった。小野さんの死因は肺炎、享年78。池田さんの死因は呼吸不全、享年72。
歌番組を見ていて、子ども心に「歌手のために“スイングビーバーズ”とか“ニューブリード”とかが演奏しているけれど、いろんな曲を演奏できひんとあかんのはたいへんやなあ」などというあまり子どもらしくない感想を抱いていたことを思い出す。
ただ、いかんせん音感のそれほど発達してへん子どもですから、“スイングビーバーズ”と“ニューブリード”の演奏がどう違うかなんてわからなんだし、大晦日の「紅白歌合戦」で白組と赤組の伴奏がこれらビッグバンドの対抗戦みたいになってても、それほど気にはならなんだ。だいたい小野さんや池田さんはただの指揮者やと思うていて、なんでこれらのバンドはいつも同じ人が指揮してるのか疑問に思うていたくらいです。なんかますます子どもらしくないなあ。
大きくなって芸能関係の本をあれこれと読むうちに、こういった人たちが戦後のジャズ・ブームから演奏していたりしたこともわかってきたし、高校時代にビッグバンドも“グレン・ミラー・オーケストラ”やら“ベニー・グッドマン・オーケストラ”やら“スタンリー・ブラック・オーケストラ”なんかをNHK-FMの番組で聴いたりして、けっこう好きになったりして(高校生らしくないけれど、並行して河合奈保子の歌をすべて覚えてみたり、新聞の読者欄に投稿しては小遣いを稼いで矢野顕子のアルバムを買うたり、誕生日の祝いに何がほしいと親に聞かれて「機動戦士ガンダム」のオリジナル・サウンドトラックをねだったりしていたから、それ相応の高校生らしさもあったと思う)、“スイングビーバーズ”や“ニューブリード”が実はただのバックバンドやないということを知ったりしたのでありました。
実は私らの世代は無意識のうちに“小野満とスイングビーバーズ”や“ダン池田とニューブリード”などの演奏を刷り込まれているのですね。そやからかどうかは知らんけれど、最近の打ち込みのシンセ伴奏やギターの音がむやみに目立つ伴奏は、私はあんまり好きやなく、管楽器中心の伴奏を聴くとなんかほっとしたりするんかもしれん。
池田さんは芸能界の暴露本を書いたりしてから“ニューブリード”のリーダーを三原綱木さんに譲った。あの角刈りに鼻髭のリーダーの姿がスタジオから消えたのは、なんか寂しい感じがしたな。それくらいなじんでいたんやね。
それにしても相次いで2人が亡くなるなんて、驚いたなあ。こんなこともあるんやね。
謹んで哀悼の意を表します。
どっちの岡田? [スポーツ]
スポーツ紙の見出しやら、新聞のニュースサイトの見出しで「岡田監督」と書いてあったら、あなたはぽてっとして眠そうな顔をしている人物の顔を思い浮かべますか? それともメガネをかけたいかにも勤め人という感じの人物の顔を思い浮かべますか?
私は前者です。この世で「岡田監督」というたら、我らが阪神タイガースを率いる岡田彰布その人以外には考えられんではないですか。
しかしですね、世の中には多様な価値観を持った人が混然と生きているから面白いのであってですね、私とは違うてサッカーの日本代表チームの監督をオシムから引き継いだ岡田武史という人の顔をすぐさま思い浮かべる人もいてるわけです。
他にも「岡田監督」と呼ばれる人はいてるかもしれんけれど、まあスポーツ紙の見出しになるのはこの2人と相場が決まっている。
問題は、ですね、新聞の見出しで「岡田監督」の文字を見たときに、「阪神の岡田監督が何かしたんかな」と思うてしまうことやね。特にインターネットのニュースサイトやとどっちの岡田監督かわからんような見出しがついていることがあり、その記事を読もうとクリックしたらサッカーの岡田監督やったりするのですよ。
新聞社の側は自分らがわかっているから別に気にもせんのやろうけれど、読む側は自分の関心の高い方の岡田監督と思い込んでしまうわけですね。これ、なんとかならんかなあ。
せめて「岡田(神)」「岡田(全)」とか印をつけるようにしてほしいなあ。もっとも、2人とも下の名前はそれほど知れ渡っているわけやないとおもうんで、「岡田(彰)」「岡田(武)」とやってもわかりにくいかもしれん。「野球岡田」「サッカー岡田」、「そらそうよ岡田」「岡ちゃん」、「どんでん岡田」「メガネ岡田」……なんでもええけど、区別するええアイデアがないかなあ。
ちなみに2人とも大阪出身で早稲田大出身なんですな。ああややこしい。
それはそうと、もし岡田監督が将来WBCの監督になんかなったりしたら、サッカー代表チーム同様「岡田ジャパン」とチーム名を呼ぶのかな。ますますややこしくなるぞ。
願書受付と老眼鏡 [季節ネタ]
大阪府・大阪市の公立高校の前期入試の出願受付が終了した。
知らん人は多いと思うけれど、各校願書の受付は教員を総動員してやるのです。私も現任校に転勤してきて6年目で、かなり慣れてはきたけれど、緊張しますね。
今年は受検票に出願者の名前を書くという役割がまわってきた。授業の空き時間に当番が回ってきて1時間ほどで交代したものの、名前を書くときにはさすがに緊張した。字を間違うのはもってのほか。ちゃんと読みやすくきちっとした字で書かなならん。
私は学生時代、手書き版下のSF同人誌の編集をしていたんやけれど(「illusion」というタイトルの同人誌でした。もうほとんどの人が忘れているか知らんと思う)、その当時「活字より読みやすい手書きファンジン」というありがたい評価をいただいていた。私も先輩の指導でそれなりにその字体をマスターしたものです。
で、今回の受検票の名前書きにはそのころを思い出してなるべくその字体に近づけるようにした。まあ読みやすい字にはなったか。
実は、受付の部屋に老眼鏡を持っていくのを忘れて難儀した。願書の名前を確認しながら書き写すわけやけれど、そうとう顔を離して書かんと自分の書いている字が読まれへん。大学時代には想像すらしてなんだ現実を突きつけられましたね。そらまあ老眼鏡を忘れた私が悪いんですけれどもね。
そんなこんなで来週は試験。試験監督やら面接監督やら、今年も忙しい時期がやってきたぞ。通常の業務をこなしながらやらんなんのやから、そこがしんどいかな。
それはともかく、受験生の皆さんにはベストを尽くしていただきたいですね。