二元論の脅威 [時事ネタ]
今読んでいるのが菊池誠さんと香山リカさんの対談本で、ニセ科学やスピリチュアルに騙される人について語り合うというもの。またいずれ感想は書きますが(実は感想を書ける本がかなりたまっているんやけれど、諸般の事情で感想を書いている余裕がないのです)、面白いのは「白か黒か」という二元論的な発想をする人が増えてきたのではないかというくだり。「善か悪か」と言い換えてもいい。
善悪二元論で凝り固まった人がどんなに困った存在かというと、米国の環境保護団体「シー・シェパード」が日本の調査捕鯨船を襲撃した事件あたりをみたらはっきりわかる。以下、読売新聞のサイトより引用。
“水産庁に3日入った連絡によると、同日朝(日本時間)、南極海を航行していた日本の調査捕鯨船団の母船「日新丸」が、米国の環境保護団体「シー・シェパード」の船から液体入りの瓶や白い粉の入った袋を計100個以上投げつけられた。
一部の瓶が割れて液体が飛び散り、甲板の乗組員1人と海上保安官2人の計3人が目の痛みを訴えた。
水産庁によると、同団体の船は2日午前中から日新丸の追跡を開始。日新丸では安全確保のため離れるよう警告したり放水したりしたが、約10メートルの距離まで近付かれ、3日午前7時10分から約1時間にわたって妨害行為を受けた。同団体の船はその後も日新丸の近くを航行している(後略)”
液体というのは酪酸とみられていて、下手したら失明してたかもしれんような劇薬やそうな。ここまでいくと、鯨の命を守るためなら人間はどうなってもええという「鯨=善、捕鯨=悪」なる二元論が「シー・シェパード」の人々を支配しているとしかいいようがない。
自分たちの立場を絶対的な善としたら、ある生き物の命を守るためならば自分と同じ種類の生き物の命を危険にさらしても気にならん。悪は滅びてもええんやから。そんな考え方になってしもうているんやろうか。
私は「シー・シェパード」なる団体が反捕鯨団体の中でどういう位置づけにあるのかくわしくは知らんけれど、過激派というのは往々にしてこういう矛盾を抱えたまま極端に走ってしまうもんなんやろうと思う。
もし現代の日本人人の大勢が二元論的な方向に傾いているとしたら、私らは「シー・シェパード」の愚かさに単純に怒ったり嘆いたりしている場合やないと思う。国民全体が「シー・シェパード」のような極端な行為に走ってしまう危険性をはらんでいるといえるからですわ。
そういう意味でも菊池さんと香山さんの警鐘はもっと広く響き渡るべきやと思うし、私もまたなるべく柔軟な考え方ができるように意識して物事を見つめなあかんなあと思うたりする今日此頃でございます。
善悪二元論で凝り固まった人がどんなに困った存在かというと、米国の環境保護団体「シー・シェパード」が日本の調査捕鯨船を襲撃した事件あたりをみたらはっきりわかる。以下、読売新聞のサイトより引用。
“水産庁に3日入った連絡によると、同日朝(日本時間)、南極海を航行していた日本の調査捕鯨船団の母船「日新丸」が、米国の環境保護団体「シー・シェパード」の船から液体入りの瓶や白い粉の入った袋を計100個以上投げつけられた。
一部の瓶が割れて液体が飛び散り、甲板の乗組員1人と海上保安官2人の計3人が目の痛みを訴えた。
水産庁によると、同団体の船は2日午前中から日新丸の追跡を開始。日新丸では安全確保のため離れるよう警告したり放水したりしたが、約10メートルの距離まで近付かれ、3日午前7時10分から約1時間にわたって妨害行為を受けた。同団体の船はその後も日新丸の近くを航行している(後略)”
液体というのは酪酸とみられていて、下手したら失明してたかもしれんような劇薬やそうな。ここまでいくと、鯨の命を守るためなら人間はどうなってもええという「鯨=善、捕鯨=悪」なる二元論が「シー・シェパード」の人々を支配しているとしかいいようがない。
自分たちの立場を絶対的な善としたら、ある生き物の命を守るためならば自分と同じ種類の生き物の命を危険にさらしても気にならん。悪は滅びてもええんやから。そんな考え方になってしもうているんやろうか。
私は「シー・シェパード」なる団体が反捕鯨団体の中でどういう位置づけにあるのかくわしくは知らんけれど、過激派というのは往々にしてこういう矛盾を抱えたまま極端に走ってしまうもんなんやろうと思う。
もし現代の日本人人の大勢が二元論的な方向に傾いているとしたら、私らは「シー・シェパード」の愚かさに単純に怒ったり嘆いたりしている場合やないと思う。国民全体が「シー・シェパード」のような極端な行為に走ってしまう危険性をはらんでいるといえるからですわ。
そういう意味でも菊池さんと香山さんの警鐘はもっと広く響き渡るべきやと思うし、私もまたなるべく柔軟な考え方ができるように意識して物事を見つめなあかんなあと思うたりする今日此頃でございます。