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「ロザリオとバンパイア」に見る異端者排除 [テレビアニメ]

 大相撲小言場所「春場所をふりかえって~またも横綱相星決戦、朝青龍が雪辱はたす~」を新規更新しました。

 今日、昨日の晩に録画した「ロザリオとバンパイア」というアニメを見ていて思うたこと。
 妖怪ばっかりの通う学校の願書をなぜか手渡された少年がそこに入学して、人間であることを隠して通っている。校内の公安委員とかいう学生たちの手で彼はそのことを明かさなければならなくなって、人間であるというだけで処刑されてしまう。まあ、そんな話。
 この「異端者」を排除するというシチュエーションは、やっぱり万国共通なんやろうなあ。欧米であれば「異教徒」というのはキリスト教徒に比べるとどうも信用されないみたいやし。日本の場合は宗教では異端者扱いしないけれど、「血筋」で区別、そして差別する。朝青龍や白鵬は、おそらく知らない人が見たら他の力士とそう変わらんように見えると思うんやけれど、彼らが「モンゴル人」というだけで嫌う人が出てくる。
 「ロザリオとバンパイア」では、妖怪たちは生身をさらさず人間の姿にカモフラージュしている。それで見た目の違いがはっきりとわからんようになる。ここらあたりは日本的な発想かなあと思う。見た目が変わらんので、差別もない。ところが血筋は妖怪やなく人間なので、「異端者」として糾弾される。「血筋」として見れば日本的やけれど、これが「人種」ととったらアメリカ的か。「部族」としてみるとソマリアあたりの内戦を想起させる。
 一瞬、これは日本的な発想のストーリーやないかと見たときには思うたんやけれど、よう考えてみたら人類普遍のテーマかもしれん。なんとなくぼーっと見てきたアニメなんやけれど、最終回を前にしてこんなことを考えさせられるとは思わなんだ。うーむ、どの世界も奥が深いのう。私が考えすぎなだけですか。

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