専門誌は複数あった方がいい [大相撲]
愛すれどTigers「2008年度開幕に向けて」を新規更新しました。
今日は相撲雑誌の発売日。私は以前も書いたけれど「相撲」(ベースボールマガジン社)と「大相撲」(読売新聞社)の2誌を購読している。このところ朝青龍や時津風部屋の問題などで2誌の視点が明らかに違うんで、今月号も楽しみにしていた。むろん、優勝した朝青龍の扱いがどない違うかを比べたいんですわ。
表紙の見出しが違うね。「相撲」は“横綱朝青龍の復讐”と書き、朝青龍がインタビューで観客席に向けて手を上げている写真を使うている。これに対し、「大相撲」は“ほぼ復活”の見出しで白鵬に勝ってガッツポーズをしている朝青龍を表紙に持ってきた。
明らかに「相撲」は朝青龍に好意的、「大相撲」は批判的と色分けされた。まあ予想してたことやけれど。それにしても“ほぼ復活”というのはおもろい見出しやなあ。朝青龍の優勝はあの強さの復活やないということを「ほぼ」と入れることで表現している。
「大相撲」の誌面では総評座談会で旭道山さんが「(朝青龍は)筋肉に張りがあったが、ウェイト・トレーニングをかなりやったんでしょう。しかし、稽古でついた筋肉でないと相撲は取れません」という趣旨のことをはっきりと言うてはる。つまり、朝青龍の途中の連敗は稽古不足のせいやということですな。これは元力士である旭道山さんが言うたはるだけに説得力がある。そして、その言葉をそのまま掲載した「大相撲」誌のほかの記事でも朝青龍に対する批判が随所にみられる。
かたや「相撲」の誌面では、場所前の言動などを紹介して多少は批判しているんやけれども、全体に朝青龍の“復讐”をほめたような記事が多くを占めている。おそらく相撲協会全体の見方を反映しているんやろう。
こうやって読み比べると、やっぱり専門誌は複数あった方がええなと思う。以前「SFマガジン」で「クロス・レビュー」という1冊の本を複数の評者が書評するという企画があったけれど、これなどはSFの書評をする専門誌が1誌しかないから、せめて批評は立体的にやったらという私の提案が(たぶん)反映されたものやった。専門誌が1誌しかない場合、どうしてもそのジャンルでは唯一の専門誌が権威になってしまう。「相撲」と「大相撲」みたいに違う視点の専門誌が並立していると、読者の見方も平面的にならんですむし、関係者も批判について向き合うこともできる。
まあSFの場合、まず複数あってもなかなか部数は出されへんやろうし、下手したらパイの食い合いになる恐れもある。そやけど、文庫でいうたら早川書房と東京創元社がそれぞれの立場で新刊を出したり復刊をしたりするから、若いファンが最新の作品から昔の作品まで広く親しむことができるんで、やっぱり専門誌は複数あってほしいなあと、相撲の雑誌を読みながらSFのことを考えたりしたのでありました。
今日は相撲雑誌の発売日。私は以前も書いたけれど「相撲」(ベースボールマガジン社)と「大相撲」(読売新聞社)の2誌を購読している。このところ朝青龍や時津風部屋の問題などで2誌の視点が明らかに違うんで、今月号も楽しみにしていた。むろん、優勝した朝青龍の扱いがどない違うかを比べたいんですわ。
表紙の見出しが違うね。「相撲」は“横綱朝青龍の復讐”と書き、朝青龍がインタビューで観客席に向けて手を上げている写真を使うている。これに対し、「大相撲」は“ほぼ復活”の見出しで白鵬に勝ってガッツポーズをしている朝青龍を表紙に持ってきた。
明らかに「相撲」は朝青龍に好意的、「大相撲」は批判的と色分けされた。まあ予想してたことやけれど。それにしても“ほぼ復活”というのはおもろい見出しやなあ。朝青龍の優勝はあの強さの復活やないということを「ほぼ」と入れることで表現している。
「大相撲」の誌面では総評座談会で旭道山さんが「(朝青龍は)筋肉に張りがあったが、ウェイト・トレーニングをかなりやったんでしょう。しかし、稽古でついた筋肉でないと相撲は取れません」という趣旨のことをはっきりと言うてはる。つまり、朝青龍の途中の連敗は稽古不足のせいやということですな。これは元力士である旭道山さんが言うたはるだけに説得力がある。そして、その言葉をそのまま掲載した「大相撲」誌のほかの記事でも朝青龍に対する批判が随所にみられる。
かたや「相撲」の誌面では、場所前の言動などを紹介して多少は批判しているんやけれども、全体に朝青龍の“復讐”をほめたような記事が多くを占めている。おそらく相撲協会全体の見方を反映しているんやろう。
こうやって読み比べると、やっぱり専門誌は複数あった方がええなと思う。以前「SFマガジン」で「クロス・レビュー」という1冊の本を複数の評者が書評するという企画があったけれど、これなどはSFの書評をする専門誌が1誌しかないから、せめて批評は立体的にやったらという私の提案が(たぶん)反映されたものやった。専門誌が1誌しかない場合、どうしてもそのジャンルでは唯一の専門誌が権威になってしまう。「相撲」と「大相撲」みたいに違う視点の専門誌が並立していると、読者の見方も平面的にならんですむし、関係者も批判について向き合うこともできる。
まあSFの場合、まず複数あってもなかなか部数は出されへんやろうし、下手したらパイの食い合いになる恐れもある。そやけど、文庫でいうたら早川書房と東京創元社がそれぞれの立場で新刊を出したり復刊をしたりするから、若いファンが最新の作品から昔の作品まで広く親しむことができるんで、やっぱり専門誌は複数あってほしいなあと、相撲の雑誌を読みながらSFのことを考えたりしたのでありました。