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哲学者になるには [日常生活]

 今日読んだ朝日新聞の相談コーナーで、14歳の女の子が「哲学に興味があるけれど、どうすれば哲学者になれますか」という質問をしていて、回答の哲学者が「哲学者は、自分が哲学者と名乗ればそれでもう哲学者なんだ」というようなことを書いていた。
 なるほどねえ。人が生きるとはどういうことか、死ぬとはどういうことか、何のために生きるのか、幸せとは何か、人間とは何か、真理はあるのか……というようなことを常に考えているような人は確かに哲学者に違いなかろう。
 そんなこと、誰もが考えるんやないかと思う人もいてるやろうけれど、そうとも限らんのですよ。「哲学入門」という授業で「自分が死ぬということを怖いと思うか」とかなんとかいうような質問を投げかけた。レポートに書かれた答えには生徒それぞれの死生観が書かれていておもしろく感じたもんなんやけれど、中にはこんな答えもあった。
「そんなん考えたってムダ」
 ほかの問いかけに対してもこういうような調子で答えてる生徒でして、その無駄なことをああでもないこうでもないといじりたおすのが哲学なんやないですか、君はなんで「哲学入門」なんていう授業を選択したのか、と聞き返したくなったなあ。
 新聞の相談コーナーに話を戻すと、「ムダ」と答えたような生徒は哲学者には向いてへん人なんやろうと思う。おそらく自分でも「私は哲学者よ」なんて宣言したりはせんやろうけれど。
 そういう意味では私は小学生の時の方が哲学者やったように思う。「永遠に広がる果てしない宇宙」というフレーズを目にしたら、その永遠の広さに対しておびえ、不安定に浮かんでいる星に住んでいるということに不安を募らせ、永遠に生き続けたいという思いと死なないで生き続けるという終わりのない「生」に対する不安がわき上がってきたりしたものです。
 年を取ると自分自身の限界や思考の限界が見えてしもうたりするので、ああいう不安感を抱くことはなくなった。いつ頃からなくなったんかなあ。あ、手塚治虫の漫画を読み続けていくうちになにか納得できる答えを自分なりに見つけたように思う。やっぱり手塚先生は凄い。
 あれ? なんでこんな結論になったのやら。まあええか。

 2/15(日)は「たちよみの会」の例会です。多数のご参加お待ちしています。


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