ぼやき日記も14年目 [日常生活]
昔、筒井康隆さんのエッセイで「自分は分裂症的な性質なので、躁鬱にはならない」という趣旨の文章があったことを記憶している。なんというエッセイやったかは忘れた。「狂気の沙汰も金次第」やったかなあ。
その文章を読んでいて、自分もどちらかというと分裂症的な性質なんやないかと漠然と思うたことも覚えている。
ストレスが重なってきつくなっても、基本的に「仕事をやめたい」とか「俺は世の中にとってなんの役にも立たん人間と違うか」「生まれてきてごめんなさい」みたいな落ち込み方はしたことがない。
また仕事がきつくてやめたいと思わないこともないんやけれど、その場合、「売れっ子の物書きになってそっちの仕事が忙しくなったらやめたる」と妄想を抱く。落ちこむこともあるけれど、そんなときはたいてい「俺にはこの仕事が向いてないだけで、実はタレントになった方がよかったのかも」みたいな落ちこみ方になる。逆にハイテンションになって勢いに乗ってむちゃくちゃ張り切るということも、実は少ない。なくはないけど、「そんなに張り切ったら後ろの席のあの人が鼻で笑うのと違うか」というような妄想を抱く。
去年精神的に苦しい時期を乗り切ったのは医師の処方で飲んだ薬が効いたのと、脳内で人には言われんような妄想を思い浮かべては虚しくストレスを解消していたからなんやないかと思う。
知り合いに「中高年鬱症」らしき人がいててしばらく仕事を休むらしいけれど、自分にはないものだけにどう対処してええかようわからん。ただ、なんとか乗り切ってすぐに社会復帰してほしいなあと思うのみ。親しい人が落ち込んでるのを見るのは辛いものです。
あ、そういえばこの方は10年間ずっとweb日記を更新し続けてはったのに、8月末から1ヶ月半、更新が途絶えている。鬱状態になったからなにも書けなくなったのか、書くのをやめてしもうたからストレスがたまりまくって鬱状態になったのか。どっちなんやろう。
そう思うと、たとえこんなくだらんブログでも毎日なにかを書き続けているというのは大切なことなんやなあ。ちなみにこの日記は10月9日でまる13年をクリアし、10月10日から14年目に入った。なんとなく書かんと落ち着かんので書いているけれど、やめたらあかんのかもなあ。
その文章を読んでいて、自分もどちらかというと分裂症的な性質なんやないかと漠然と思うたことも覚えている。
ストレスが重なってきつくなっても、基本的に「仕事をやめたい」とか「俺は世の中にとってなんの役にも立たん人間と違うか」「生まれてきてごめんなさい」みたいな落ち込み方はしたことがない。
また仕事がきつくてやめたいと思わないこともないんやけれど、その場合、「売れっ子の物書きになってそっちの仕事が忙しくなったらやめたる」と妄想を抱く。落ちこむこともあるけれど、そんなときはたいてい「俺にはこの仕事が向いてないだけで、実はタレントになった方がよかったのかも」みたいな落ちこみ方になる。逆にハイテンションになって勢いに乗ってむちゃくちゃ張り切るということも、実は少ない。なくはないけど、「そんなに張り切ったら後ろの席のあの人が鼻で笑うのと違うか」というような妄想を抱く。
去年精神的に苦しい時期を乗り切ったのは医師の処方で飲んだ薬が効いたのと、脳内で人には言われんような妄想を思い浮かべては虚しくストレスを解消していたからなんやないかと思う。
知り合いに「中高年鬱症」らしき人がいててしばらく仕事を休むらしいけれど、自分にはないものだけにどう対処してええかようわからん。ただ、なんとか乗り切ってすぐに社会復帰してほしいなあと思うのみ。親しい人が落ち込んでるのを見るのは辛いものです。
あ、そういえばこの方は10年間ずっとweb日記を更新し続けてはったのに、8月末から1ヶ月半、更新が途絶えている。鬱状態になったからなにも書けなくなったのか、書くのをやめてしもうたからストレスがたまりまくって鬱状態になったのか。どっちなんやろう。
そう思うと、たとえこんなくだらんブログでも毎日なにかを書き続けているというのは大切なことなんやなあ。ちなみにこの日記は10月9日でまる13年をクリアし、10月10日から14年目に入った。なんとなく書かんと落ち着かんので書いているけれど、やめたらあかんのかもなあ。