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隆の里の死 [追悼]

 朝から体が重い。過労性のめまいが昨晩出た。今朝はかなりましになったとはいえ、まだふらつきも見られる。そやけど、明日の「芸術鑑賞会」に向けてやらんならんことがいっぱいある。これは私の責任でやらんならんことなんで、なんとしても出勤せんならん。気力で出る。午前中いっぱいかけて、生徒向けのプログラムの配布や諸注意の印刷と配布、座席表の配布などをすませる。午後からの授業はくらくらしながらも内容はしっかりと。気力を振り絞る。搾りかすになって帰宅。
 夕刊に目を通していたら、元横綱隆の里の鳴戸親方の訃報 に接する。死因は急性呼吸不全。享年59。まさに急死というしかない。
 これはまた、言葉もない。若くして糖尿病に罹患し、それを克服して横綱にまで上り詰め、最盛期の千代の富士の最大のライバルとして立ちはだかった。親方になってからは若の里、隆乃若、隆ノ鶴、稀勢の里、高安、隆の山などを育成した。部屋全体で八百長などとは無縁。師匠の元横綱初代若乃花幹士の薫陶よろしく、弟子たちも猛稽古で鍛え上げた。いちはやくウェイトトレーニングなどを導入したり、研究熱心なことでも知られていた。
 最近は「週刊新潮」に「角材で弟子を殴った」「隆の山を太らせるためにインスリン注射をすすめた」「部屋の行司が同性愛者だった」というような記事が掲載され、放駒理事長から事情聴取を受けたりするなど、かなり心労がたまっていたと思われる。持病のぜんそくが悪化して入院中の急死。弟子の稀勢の里が九州場所で大関昇進をかける大事な時期にこういう記事が出たことで、稀勢の里が平常心でいられるように気を配っていたという。
 記事の正否は私にはわからん。ただ、自分が現役のころの二子山部屋の猛稽古を今も行っていたとしたら、それを「しごき」と非難するような風潮には内心穏やかではいられなんだやろう。信念を持って厳しく力士を鍛え上げようとしたことが悪意のこもった目で見られたら単なる暴力行為にとられることがあったとしてもおかしくない。
 稀勢の里が大関を狙う場所の直前に、そういうネガティブ・キャンペーンをはられたことが間接的に親方の死に結びついていたという見方もできるやろう。
 全盛時の隆の里の豪快な取り口、「おしん、家康、隆の里」と称されたほど、耐えに耐えながら栄光をつかんだその精神力の強さ。それだけの人物でもストレスがたまり過ぎると持病を悪化させ死に至らしめることになるんやなあ。
 短い期間ながら最強というほどの強さを示し、親方としてもすぐれた指導力を発揮した人物が、こんなに早く逝ってしまうとは。こんな状態で大関昇進をかけて土俵に上がらなならん稀勢の里の心境はいかばかりか。平常心で相撲が取れるかどうか。
 堂々たる不知火型の土俵入りを、今も思い出す。威風堂々という言葉がふさわしい、強烈に記憶に残る横綱やった。
 謹んで哀悼の意を表します。
 それにしても、毎日ショックをじわじわと受けるようになってるなあ。これはほんまにきついでえ。

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