立川談志の死 [追悼]
今日は勤労感謝の日。自分の勤労に自分で感謝しつつ、一日完全休養。午後からはしっかり午睡。でもまだまだ1日だけでは疲れが取れんのでありました。
相撲中継を録画したのを見ていたら、速報で立川談師匠の訃報が。
がんや糖尿病などでここ10年ずっと闘病してはったわけで、ついにこの日が来たかと。私は生の高座では1度だけしか聞いてへんから、その時の印象でしか談志落語は語られへんけれど、その力量の並々ならぬことは、その時に強く感じたなあ。「粗忽長屋」のシュールな展開、「品川心中」の迫真の語り口。今でも忘れられん。
ただ、妙なところで恥ずかしがりやなんやなあとも感じた。「品川心中」の盛り上がってきたところでいきなり噺を中断して袖の弟子に向かい「ここ、これであってたっけ」なんて声をかけるのですね。この中断は、この時はこたえた。せっかく落語の世界に没入していたのに、すっとそこから現実に引き戻され、こうゆうことをやるかなあと残念に思うた。
今思うと、噺に没入している自分をどこか恥ずかしく感じていたんやないかということやったのかもしれん。そこが、長いまくらで世間話をしつつ自分の世界に引き込んでいく柳家小三治師匠との違いやった。
持論の「落語はイリュージョンである」というのは私には得心でけんかったのはその高座を見ていたからで、「イリュージョン」というならば途中で現実に戻させるようなことはしてほしくなかったと、今でも思う。
落語研究の方面でも何冊か読み、とても面白かった。こんなに落語が好きな人はそうそういてへんのやないかと思わせた。落語が好きで寄席が好きな人が、その寄席に背を向けなならんようになってしもうたところに悲劇もあったんやないか。
謹んで哀悼の意を表します。
相撲中継を録画したのを見ていたら、速報で立川談師匠の訃報が。
がんや糖尿病などでここ10年ずっと闘病してはったわけで、ついにこの日が来たかと。私は生の高座では1度だけしか聞いてへんから、その時の印象でしか談志落語は語られへんけれど、その力量の並々ならぬことは、その時に強く感じたなあ。「粗忽長屋」のシュールな展開、「品川心中」の迫真の語り口。今でも忘れられん。
ただ、妙なところで恥ずかしがりやなんやなあとも感じた。「品川心中」の盛り上がってきたところでいきなり噺を中断して袖の弟子に向かい「ここ、これであってたっけ」なんて声をかけるのですね。この中断は、この時はこたえた。せっかく落語の世界に没入していたのに、すっとそこから現実に引き戻され、こうゆうことをやるかなあと残念に思うた。
今思うと、噺に没入している自分をどこか恥ずかしく感じていたんやないかということやったのかもしれん。そこが、長いまくらで世間話をしつつ自分の世界に引き込んでいく柳家小三治師匠との違いやった。
持論の「落語はイリュージョンである」というのは私には得心でけんかったのはその高座を見ていたからで、「イリュージョン」というならば途中で現実に戻させるようなことはしてほしくなかったと、今でも思う。
落語研究の方面でも何冊か読み、とても面白かった。こんなに落語が好きな人はそうそういてへんのやないかと思わせた。落語が好きで寄席が好きな人が、その寄席に背を向けなならんようになってしもうたところに悲劇もあったんやないか。
謹んで哀悼の意を表します。