SF史に爪跡くらいは [SF]
昨日購入した長山靖生さんの「戦後SF事件史---日本的想像力の70年」をぱらぱらとめくり、索引に並んでいる人々の名前を眺めてみる。そうそうたるメンバーがそろっている。ほんまにすごい才能の人たちがSF史を飾ってきたんやなあとあらためて感じ入る。
ありゃりゃ。なぜか私の名前が紛れ込んでいるやないの。1ヶ所だけやけれど、どうやらそうそうたるメンバーの片隅に私も入っているらしい。で、すぐにそのページを開く。
ああそうか。「SFクズ論争」の時に私もSFマガジンに寄稿したんやった。その時に寄稿した面々の名前の中に私も混じっていたので、たまたま載っていたわけね。
とはいえ、「戦後SF事件史」というSF史を語る上で必ず多くの人たちの目に触れる書物に自分の名前が紛れ込んでいるというのには何かしらの感慨やら嬉しさやらくすぐったさを感じたりするのであります。長いSF史の一時期とはいえ書評家として何かしら爪跡くらいは残したという証であるように思うからなのです。
むろん、書評家としては私よりも優れた仕事をしてはる方たちがいてはる。その人たちの名前が乗ってなくて私の名前が載っているのは「SFクズ論争」でSFマガジンに寄稿したかしなかったかというただそれだけの違いやから、これをもって私の功績を誇ろうなどとは思いませんけどね。
それはそれとして、自分の名前が「戦後SF事件史」に、いわば通行人という程度ではあっても、こうやって形として残ったということに、素直に嬉しさを感じてしまうのであります。我ながら単純やなあ。
ありゃりゃ。なぜか私の名前が紛れ込んでいるやないの。1ヶ所だけやけれど、どうやらそうそうたるメンバーの片隅に私も入っているらしい。で、すぐにそのページを開く。
ああそうか。「SFクズ論争」の時に私もSFマガジンに寄稿したんやった。その時に寄稿した面々の名前の中に私も混じっていたので、たまたま載っていたわけね。
とはいえ、「戦後SF事件史」というSF史を語る上で必ず多くの人たちの目に触れる書物に自分の名前が紛れ込んでいるというのには何かしらの感慨やら嬉しさやらくすぐったさを感じたりするのであります。長いSF史の一時期とはいえ書評家として何かしら爪跡くらいは残したという証であるように思うからなのです。
むろん、書評家としては私よりも優れた仕事をしてはる方たちがいてはる。その人たちの名前が乗ってなくて私の名前が載っているのは「SFクズ論争」でSFマガジンに寄稿したかしなかったかというただそれだけの違いやから、これをもって私の功績を誇ろうなどとは思いませんけどね。
それはそれとして、自分の名前が「戦後SF事件史」に、いわば通行人という程度ではあっても、こうやって形として残ったということに、素直に嬉しさを感じてしまうのであります。我ながら単純やなあ。