幼稚園の先生に小学校教諭の資格は必要か [教育]
今朝の朝日新聞の「オピニオン」欄を読んで驚いた。
大阪市では市立の幼稚園教諭の応募条件に「小学校教諭の資格も有すること」にしたんやそうな。それに対して短大の学長が抗議をしている。
当たり前でしょう。というか、小学校の先生と幼稚園の先生とでは教育目的から指導内容からまったく違う。なんでも将来的に大阪市では幼稚園と小学校の一貫教育をする予定なので幼稚園教諭と小学校教諭の免許を同時に持っている人を採用するんやそうな。
小学校教諭は四年制大学やないと資格は取られん。幼稚園教諭は短大でも取れる。専門学校でも取れる。カリキュラムが全く別物なんやからね。
これで十中八九、大阪市の幼稚園教諭の応募者は減るね。というか、なくなるかもしれんね。幼稚園教諭の資格を取ろうと短大に進学した者は小学校教諭の免許は取られん。逆に、小学校教諭の免許を取れる大学に行ったものが幼稚園教諭の資格を必ず取るとは限らん。幼稚園教諭として有能な人材がすべて私立に流れるということになる。
確かに「幼小一貫教育」は理想かもしれん。そやけど、現実の大学の課程を見たらそれができる環境は整備されてへん。そやのにそんな「理想」をおしつけるという。これが「維新」の改革やとしたら、この調子で「改革」を国政でやろうとしてもまず失敗するやろうね。現実にでけんことを制度だけ決めてやらせようとするという、これでは現場はたまったもんやないですよ。
私は高校教諭と中学校教諭の両方の免許を持っている。私の時代は両方取りやすかったからね。今は中学の免許をとりにくくしているから、私が今の大学生なら、高校の免許だけしかとらんやろう。とすると、「中高一貫校」には勤務でけんということになる。
ハードルをあげて有能な人材をとるということは意義があるとは思うけど、そのハードルがビルなみの高さやったとしたら、全然意味がないですよ。
それにしても、こんな大事なことをなんで各メディアは大きくとりあげて問題にしないのか。これは大きく取り上げないことによって世論誘導をしているということになる。なるほど、戦前の日本人はこうやって戦争に向けた世論誘導をされていたのかもしれんなあ。
大阪市では市立の幼稚園教諭の応募条件に「小学校教諭の資格も有すること」にしたんやそうな。それに対して短大の学長が抗議をしている。
当たり前でしょう。というか、小学校の先生と幼稚園の先生とでは教育目的から指導内容からまったく違う。なんでも将来的に大阪市では幼稚園と小学校の一貫教育をする予定なので幼稚園教諭と小学校教諭の免許を同時に持っている人を採用するんやそうな。
小学校教諭は四年制大学やないと資格は取られん。幼稚園教諭は短大でも取れる。専門学校でも取れる。カリキュラムが全く別物なんやからね。
これで十中八九、大阪市の幼稚園教諭の応募者は減るね。というか、なくなるかもしれんね。幼稚園教諭の資格を取ろうと短大に進学した者は小学校教諭の免許は取られん。逆に、小学校教諭の免許を取れる大学に行ったものが幼稚園教諭の資格を必ず取るとは限らん。幼稚園教諭として有能な人材がすべて私立に流れるということになる。
確かに「幼小一貫教育」は理想かもしれん。そやけど、現実の大学の課程を見たらそれができる環境は整備されてへん。そやのにそんな「理想」をおしつけるという。これが「維新」の改革やとしたら、この調子で「改革」を国政でやろうとしてもまず失敗するやろうね。現実にでけんことを制度だけ決めてやらせようとするという、これでは現場はたまったもんやないですよ。
私は高校教諭と中学校教諭の両方の免許を持っている。私の時代は両方取りやすかったからね。今は中学の免許をとりにくくしているから、私が今の大学生なら、高校の免許だけしかとらんやろう。とすると、「中高一貫校」には勤務でけんということになる。
ハードルをあげて有能な人材をとるということは意義があるとは思うけど、そのハードルがビルなみの高さやったとしたら、全然意味がないですよ。
それにしても、こんな大事なことをなんで各メディアは大きくとりあげて問題にしないのか。これは大きく取り上げないことによって世論誘導をしているということになる。なるほど、戦前の日本人はこうやって戦争に向けた世論誘導をされていたのかもしれんなあ。