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美化せず貶めず [漫画]

 えーと、「はだしのゲン」問題を各紙の社説でとりあげたりしているんやけれど、朝日新聞のように美化し過ぎたり、産経新聞のように(社説ではなく論説委員の署名記事やけれど)天皇否定のセリフをとりあげて「子どもに読ませるのにふさわしくない」と否定してみたり、なにかピントが外れているなあ。
 あれは戦中戦後の広島という、現在の我々から見たら異空間にも等しい状況で、人間のもつ醜い面を徹底的にさらけ出した漫画で、反戦平和のバイブル的にもちあげるものでもないし、子どもに思想教育をほどこすものでもないと私は思う。
 だいたい主人公の中岡元というのはちゃんと母親が生きているのに戦災孤児のふりをして大人から金を巻き上げたりするような、どう考えても悪ガキ以外の何者でもない。正義感は強いけれど、良い子では決してないのね。
 私は小学生の時に「少年ジャンプ」の連載時にリアルタイムで読んでいたりするんやけれど、私にとっては(あの泥臭い絵柄も含めて)ホラー漫画みたいな感覚で読んでたもんなあ。平和の尊さよりも、時流に乗って行き方をホイホイ変える代議士やとか、ゲンの生まれたての妹をさらって天使のように崇める被災者たちやとか、人間の愚かさをこれでもかこれでもかと見せつけてくれた。
 そやから面白かったのですよ。そして、そういう人間の本質的なものを飾らずに提示してくれたからこそ、「はだしのゲン」は説教臭くなく「平和」や「戦争」について考えさせられたのですよ。
 あれはね、右翼とか左翼とかそんなせせこましい思想をこえた根源的なものを、中沢啓治さんが子どもだましみたいなことをせずに描き上げたから名作やと思うのですよ。
 とにかく「子どものため」を隠れ蓑にして自分の都合ばかりを主張するのはやめてほしいなあ。

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道路標識のルビ [時事ネタ]

 本日は事務作業を粛々と。盆休み中は扇風機生活やったけど、職場は冷房が効いていて、かえって体が冷えて帰宅したらかなり辛い。へたっておりました。タイガースは7点差をひっくり返され、なんとか追いついたけれど結局サヨナラ負けで、さらに辛い。
 ところで、東京都が道案内の道路標識についているローマ字のふりがなを変更するというニュースを新聞で読む。「国会前」という表記の下に「Kokkai」とつけていたのが外国人にはわかりにくいと不評やったので「The National Diet」というふうに英訳したものに治すんやそうです。
 それやったらついでにひらがなのルビもつけてほしいなあ。というのも、知的障碍児を指導していた時に一番困ったのは、この手の道路標識やったからなんですね。知的障碍者の場合、いくら軽度でも漢字の読み書きが難しいというケースはよくあった。障碍というのは、環境さえ整っていればそれは障碍にはならない。町を歩く時に漢字の道路標識が読めなくて迷う者でも、電車での移動やったら問題がなかったりするのです。なんでかというと、音声アナウンスがある上に、プラットホームの駅名表示は大きくひらがなで書いてあったりするからですわ。漢字の読み書きが難しいということが電車の場合は障碍にならんのです。
 むろん障碍者だけやなく、高齢者で子どもの頃に学校に行けずひらがなならなんとか読めるという人もいてる。いや、漢字は読めても難読地名の場合、ふりがながついていたら助かる場合もあるやろう。たとえば「“くまた”まで行ってください」と言われても読み方がわからなんだら「杭全」という標識の場所を素通りする場合もあるやろう。
 ユニバーサルデザインやのバリアフリーというのはつまりそういうことでありまして、「Kokkai」を「The National Diet」に書きかえるならば、それを機に同じ手間で「こっかいまえ」というふりがなをつけるくらいできるやろうと思うのですが、如何。

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盆休み明けにフル回転 [日常生活]

 愛すれどTigers「鶴、藤浪、松田ら若手の奮投で自力V復活」を更新しました。

 少し長めにとった盆休みも終わり、今日から職場復帰。今日は一日ずっと会議。会議室は冷房が効いていて、体が冷えるほど。夕刻に近づいてくると、かえってクーラー負けしてきつくなった。
 で、仕事が終わってから、京都の医者に。いつもは土曜日に行くんやけれど、先週の土曜日は医院が盆休みやったので、今日にまわしたというわけ。むろん、通勤の帰りの人たちが電車にはたくさんのってはるわけで、席があくまでは立ち詰め。これが膝に響くのですね。医院では私の前の人の問診がかなり長くて待合室でひたすら読書。帰りの電車も座れたのは全行程の半分ほど。帰宅したらもうへろへろ。すぐに夕食。食後、お腹がくちくなったらほっとして動くのもおっくうに。
 というわけで、今日の日記はこんなんです。ごめんなさい。
 あ、電車と待合室で読んでいた眠狂四郎、しびれました。雷蔵の映画も無性に見たくなってきたぞ。

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マジックナンバー消滅と勝ち運 [プロ野球]

 今日は「たちよみの会」例会やったけど、参加者は私一人。まあ、盆休みの最終日ともなれば、家でゆっくりしたいわな。というわけで、フランソア喫茶室でさくさくと読書。「眠狂四郎」はおもろいなあ。
 いつもよりも早めに帰宅して、夜はゆっくりナイター観戦。勝ち運の持ち主藤浪晋太郎くんが悪いなりに抑えて9勝目。そして、デーゲームでジャイアンツがドラゴンズに敗れたために、タイガースとのゲーム差が縮まって、マジックナンバーが消滅。まあこれは数字上の優勝の可能性を示す数字なんで、現時点でどうのこうのということはないにしろ、自力で逆転優勝をする可能性があるというだけで、気持ちが違うやないですか。
 こういう試合で勝利を呼び込むんやから、やはり藤浪くんの勝ち運というのはすごいものがある。運も実力のうち。また、彼に引っ張られて秋山くんや鶴くんまで好投するわけですから、ここからが若手のはつらつとした働きで一気に勢いに乗りたいところですぞ。むふふふふふふふ。

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残酷でない戦争はない [教育]

 一昨日の日記で、私は戦争の残酷さを漫画から学んだと書いたけれど、学ぶ機会があったのは幸いやったと思う。
 というのも、松江市の教育委員会が描写が過激やという理由で学校図書館に置いてある「はだしのゲン」を閉架扱いにするよう市内の小中学校に指示したというニュースを読んだからですわ。
 漫画というのは伝えたいことがあるから、描写が過激になることもある。ただ、意味もなく残酷な描写をしているものならともかく、「はだしのゲン」という漫画は戦争の残酷さというものを表現するためにあえて過激とも取れる描写をしているわけで、それは子どもであっても読んだらわかりますよ。
 読売新聞のサイトにによると“古川康徳・副教育長は「立派な作品だが、表現が教育上、不適切。平和学習に使う場合は教員が解説を加えるべきだ」としている”そうな。
 共同通信やと副教育長のニュアンスが変わる。“作品自体は高い価値があると思う。ただ発達段階の子供にとって、一部の表現が適切かどうかは疑問が残る部分がある”やそうです。
 戦争とは残酷なものです。日本軍の兵隊がアジアの民間人を殺す場面が不適当というなら、「私は貝になりたい」というドラマで捕虜を一般兵士につき殺させて人を殺すことに対して鈍感にさせていくという描写も不適当ということになる。
 残酷でない戦争はないし、著者の中沢啓司さんは自分で見たり聞いたりしたことをそのまま漫画という手段で伝えたかった。しかも、それは大人に対してやなく、子どもに対して。「はだしのゲン」が最初に連載されたのは「週刊少年ジャンプ」であります。
 戦争体験が風化、もしくは劣化コピーしていく中、その体験を漫画という形で劣化せぬまま体験させてくれる、その機会を奪うことのほうが、「不適切」やと私は思うんやけれど、如何。

 明日8月18日(日)は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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時代考証と喫煙 [映画]

 宮崎駿監督の新作アニメ「風立ちぬ」に禁煙学会がクレームをつけたとか。喫煙シーンが多い上に病気の妻のそばで喫煙をしているシーンもあり、青少年に悪影響を与えるという抗議やそうです。
 そうかてなあ、分煙どうのこうのというようになったのはここ20年ほどのことで、1980年代から90年代前半くらいまでは会議中に煙草を吸っていたり、職員室でもごく普通に自分の席で吸っていたりしてたよなあ。私の高校時代の担任の先生なんか、缶ピースを職員室の席に置いて生徒の前でチェーンスモーキングしてましたよ。それが良いか悪いかは別として、そういうことが当たり前に行われていた時代やったということ。1960年代の映画やドラマを見てごらんなさい。登場人物が至る所でくわえ煙草をしていたり、「よーし仕事だ」とかいいながらまず煙草に火をつけたりしているよ。
 確かに現在の者から見たら(特に禁煙学会の方々にとっては)噴飯ものかもしれん。それでも、時代考証ということを考えたら、その時代に分煙したり喫煙者が一人もいてなんだりしたら、その方がおかしいということになるのやないかなあ。
 宮崎監督は別に青少年に喫煙を推奨しているわけでなく、その時代のリアリティということを考えて喫煙シーンを入れているんやと思う。それは作品として見た時に、青少年たちも理解してくれるんやないかな。
 以前朝のテレビ小説「カーネーション」で一番違和感を覚えたのが、喫煙している人が一人もいてなんだことですわ。戦前戦中の成年男子がすべて煙草を口にしてへんというのは、私から見たら奇異に感じられたんやけど、こんなところまで自主規制せんならんというのは嫌な時代になったなあと思うた記憶がある。
 私は「風立ちぬ」はまだ見てへんけれど、もしテレビ放送をする時に喫煙シーンをすべてカットしてしまうような行き過ぎたことをするようなことがあるとすれば、それは映像表現への過度な介入やないかと思う。そんなことを言うていたら、ミステリは殺人シーンが多く青少年に悪影響を与えるやとか、時代劇で刀をさしているのは銃刀法違反者を増価させる悪影響があるとか、なんとでも文句をつけることはできるのね。
 大河ドラマなんかちょっとしたことでも「時代考証がおかしい」と文句をつけられるのに、時代考証をちゃんとしている作品に現代的視点で文句をつけるのはなにかおかしいと思うが、如何。

 8月18日(日)は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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戦争体験の伝承と漫画 [季節ネタ]

 本日は終戦(敗戦)記念日。例によって各紙の社説を読み比べ、どの新聞も毎年同じようなことしか書いてへんなあと思いつつも、読売と産経を除く各紙が「右傾化」への懸念を表明しているところが去年までとの違いやなあと感じる。産経なんかまだ物足りん、安倍総理は靖国に参れ、と無茶を書いている。まあどう主張してもそれはその新聞の姿勢なんで、別にかまわんのですが。もっとも産経は自分たちの主張が実現しないことを前提に極論を書いていると思われる節があるので、そこらあたりは日本共産党の選挙公約と同質やないかしらん。
 どちらにしても、ポツダム宣言受諾から68年。第二次世界大戦そのものが「歴史」として認知される時期に来ているわけで、そういう意味では戦争体験の伝承というのは必要というても、歳を経るごとに劣化コピーになっていくのは仕方ない。
 私の場合、手塚治虫、中沢啓司、石森章太郎などなど、漫画によって伝えられた戦争観が根底にある。「はだしのゲン」はただの反戦平和漫画やなく、戦争そのものが生み出す狂気というものをえぐり出して突きつけてきたし、「サイボーグ009」では兵器商人の利権が戦争を生み出すというシステムの恐ろしさを知った。そして手塚治虫作品のすべてから「戦い」の残酷さや虚しさを血肉として育った。他にもいろいろあるけれど、小学生までに私に「戦争」というものを教えてくれたのは漫画やった。
 そういう意味では、劣化せず風化しないのはこれらの漫画やと思うし、今後も読み継がれていくことを期待したい。

 8月18日(日)は「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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「大人のいない国」に肩透かし [読書全般]

 本日も完全休養。左膝はかなり曲がるようになっているんやけれど、ちょっと油断して曲げたまま力を入れたりしたらやはり痛い。ただ、膝の調子がよくなるほどに背中の張りや腰の痛みが和らいできたような感じがする。つまり、それだけ負担が軽くなってきたということかな。
 内田樹・鷲田誠一「大人のいない国」(文春文庫)を読了。両者の対談とそれぞれのエッセイ数本で構成されているけれど、タイトルに関する話題は対談で少し出てきたくらい。いろいろと気づかせてくれることは書いてあるけれど、本のタイトルを見て「大人論」を期待していると、ちょっとばかり肩透かしを食らう。
 相変わらずテレビと午睡に明け暮れているけれど、少しは本も読んで頭もリフレッシュさせんとね。
 タイガースは初回に岩田がぼこぼこに打たれて、マートンが判定に怒り退場をくらい、これは逆転優勝なんていう雰囲気にはなかなかならんなあ。昨年は松山でカープに引導を渡されたけれど、今年は京セラドームで、てなことにならんよう、明日のスタンリッジにはがんばってもらわんとね。

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ご近所のご主人としては [日常生活]

 墓参りの疲れが出たか、昨夜は熟睡。午前中テレビを見倒したということもあって、昼食後はまた午睡。とにかくよく寝た。夕刻起きたら妻は買い物に出ていた。寝起きでぼーっとしていたら、いきなりドアチャイムが鳴る。頭が働かんもんやから、何も考えんとインターフォンの受話器をとる。マンションのご近所さんでありました。
 あわてたね。寝起きのぼさぼさ頭に、寝間着がわりに着ている「となりのトトロ」のTシャツ。下は寝間着のズボン(ただし、薄手のジャージに見えないこともない微妙なズボンであります)。
 頭が働いたら、相手を待たしてでももう少しまともな格好に着替えて応対するところやねんけれど、ここがもう何も考えてへん上にパニック状態になってまして、とりあえず玄関の鏡で髪の様子だけは見る。乱れているところを手櫛で適当に整えて、無精ひげもそのままに応対。
「お休みのところすみませんねえー」
 きちっとした格好でやってきはった奥様に対して、あまりにも不細工すぎましたなあ。気を遣わせたんやないかしらん。昨日は「おっさんは気楽」と書いたけれど、ご近所のご主人というポジションはそんなに気楽ではなかったのであります。円山公園で上半身裸になっているのとはわけが違う。
 帰宅した妻に報告するのがちょいと恥ずかしゅうございました。常の付き合いは妻がしてくれているわけやからね。

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おっさんは気楽 [日常生活]

 愛すれどTigers「連日の延長戦を制してカード勝ち越し」を更新しました。

 盆休みであります。したがって、京都東山まで墓参に行ったわけであります。
 この日記でずっと書き続けているように、現在私は左膝を痛めている。かなり曲がるようになり、階段を上る時はそれほど苦にならんのやけど、下る時はまだまだきつい。特に今日のように遠出をすると、膝まわりの筋肉が落ちているのが戻ってへんこともあって、歩くことがだんだん苦痛になってくる。
 で、東山の墓はというと、山の斜面にあるので、階段をかなりの距離で上り下りせんとあかん。しかも、ここ数日の猛暑がまだまだ続いていて体温並みに高い。ただでさえ汗かきでちょっと歩くだけでも額に汗が浮かぶ私が、長距離を、しかも斜面の往復となると、これはもう服がずくずくになってしまうわけでありますね。
 今までやったら四条河原町から祇園までの間も歩いていたんやけれど、今日は市バスに乗る。気温が上がる前にと思い午前中に行ってるんやけれど、それでも歩けば暑い。お金は少々かかっても、とにかく体を保護することを優先させた。でもねえ、お墓についた時はもう汗だらだら。したたってるもんなあ。帰途、円山公園を通り、日陰のベンチに座る。ここで用意してきたポロシャツの着替えを取り出し、人が見てようが見てまいがお構いなくずくずくのポロシャツを脱ぎ、新しいものを着る。いやあ、おっさんになるというのは気楽でよろしいなあ。おっさんが上半身裸になってようが何しようが誰も気にせえへんもんね。私の子ども時分なんか近所のおっさんで上半身素っ裸でステテコいっちょうなんて人がいてたなあ。
 というわけで、へろへろになって帰宅。午睡しようと布団に横になったけど、妻が干しておいてくれたおかげで布団はぬくぬく。あまりにぬくすぎて寝られまへんわ。まあ、今晩はぐっすり寝られるね。

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