くわっちーさびら [教育]
2年生が12月に沖縄に修学旅行に行くというので、事前に盛り上げる企画として、私の持っている「総合学習」の時間にいろいろとあの手この手で「沖縄に関心を持つ題材」を、間を開けてやっていくことにしている。
今週はその第一弾で、「沖縄の歌を聴こう」という内容。YOU TUBEにアップされている動画から「島唄」「安里屋ユンタ」「てぃんさぐぬ花」「ありがとう」「琉神マブヤー」を生徒たちに見せ、聞かせる。この5曲に絞るために、30曲くらい延々毎日CDを聞きまくったのです。
手ごたえは、まずまずかな。食いついている生徒もいれば、修学旅行そのものに関心がないという感じの生徒もいて、なかなか難しい。
最初はこれらの曲に使われているウチナーグチの意味をネットで調べさせようとか考えていたんやけれど、諸般の都合でやめた。
やめてよかった。
りんけんバンドの「ありがとう」に「くわっちーさびら」というフレーズがあり、これは「いただきます」「あやかります」くらいの意味の言葉なんやけれど、これをネット検索したらとんでもないサイトがヒットした。
名前もそのものずばり「くわっちーさびら」というデリバリーヘルスがあるのですね。何も考えずにウチナーグチの調べ学習をしていたら、大問題になるところでした。格好の新聞ネタですわ。
いやはやネットおそるべし。ほんまに気をつけなあかんね。
今週はその第一弾で、「沖縄の歌を聴こう」という内容。YOU TUBEにアップされている動画から「島唄」「安里屋ユンタ」「てぃんさぐぬ花」「ありがとう」「琉神マブヤー」を生徒たちに見せ、聞かせる。この5曲に絞るために、30曲くらい延々毎日CDを聞きまくったのです。
手ごたえは、まずまずかな。食いついている生徒もいれば、修学旅行そのものに関心がないという感じの生徒もいて、なかなか難しい。
最初はこれらの曲に使われているウチナーグチの意味をネットで調べさせようとか考えていたんやけれど、諸般の都合でやめた。
やめてよかった。
りんけんバンドの「ありがとう」に「くわっちーさびら」というフレーズがあり、これは「いただきます」「あやかります」くらいの意味の言葉なんやけれど、これをネット検索したらとんでもないサイトがヒットした。
名前もそのものずばり「くわっちーさびら」というデリバリーヘルスがあるのですね。何も考えずにウチナーグチの調べ学習をしていたら、大問題になるところでした。格好の新聞ネタですわ。
いやはやネットおそるべし。ほんまに気をつけなあかんね。
教え子との交際 [時事ネタ]
愛すれどTigers「岩貞がプロ入り初完封勝利」を更新しました。
ネットでニュースサイトを巡回していたら、中学校の先生が、元教え子とプリクラで撮った写真が流出したとかいう記事を見た。その教え子がアイドルグループのメンバーやったことから発覚したらしい。
確かにまだ10代の女の子とそんな写真を撮ったというのは問題かもしれんけれど、もう卒業した生徒と交際してるのまで「不適切」と言われるのはちょっと気の毒な気がする。10代というたって、中学校を卒業してたら16歳以上なわけで、交際を保護者も認めてたらしいから不適切でも何でもないように思うね。民法上、保護者の承認があれば結婚できる年齢なんやから。プリクラでどんな格好して写してたってかまわんやんか。すっぽんぽんになって撮ったわけやないみたいやし。その子のスマホから情報が流出したということらしいので、そこらあたりのセキュリティの甘さは問題やろうけれど。
これ、学校の教師やから叩かれるんであって、塾の講師やったらどうなんかね。社会的地位が違うと言われたらそれまでやけれど。なんか教師やったら叩いてええというような感じがして嫌やなあ。
現役の中学生になんかやらかしたというのと違うからね。
もっともこの先生、他の教え子にも「今度デートしよう」などと声をかけていたらしいから、そこらあたりの節操のなさはとがめられても仕方ないけどね。
ネットでニュースサイトを巡回していたら、中学校の先生が、元教え子とプリクラで撮った写真が流出したとかいう記事を見た。その教え子がアイドルグループのメンバーやったことから発覚したらしい。
確かにまだ10代の女の子とそんな写真を撮ったというのは問題かもしれんけれど、もう卒業した生徒と交際してるのまで「不適切」と言われるのはちょっと気の毒な気がする。10代というたって、中学校を卒業してたら16歳以上なわけで、交際を保護者も認めてたらしいから不適切でも何でもないように思うね。民法上、保護者の承認があれば結婚できる年齢なんやから。プリクラでどんな格好して写してたってかまわんやんか。すっぽんぽんになって撮ったわけやないみたいやし。その子のスマホから情報が流出したということらしいので、そこらあたりのセキュリティの甘さは問題やろうけれど。
これ、学校の教師やから叩かれるんであって、塾の講師やったらどうなんかね。社会的地位が違うと言われたらそれまでやけれど。なんか教師やったら叩いてええというような感じがして嫌やなあ。
現役の中学生になんかやらかしたというのと違うからね。
もっともこの先生、他の教え子にも「今度デートしよう」などと声をかけていたらしいから、そこらあたりの節操のなさはとがめられても仕方ないけどね。
モノクロはモノクロで [テレビ全般]
土曜深夜にKBS京都で放送している「総天然色ウルトラQ」については以前この日記にも書いた。昨日の夜は「バルンガ」を放送。カラーで見る「ウルトラQ」は、本来のモノクロ映像と比べると、欠点が明瞭になってしまうているように思える。
モノクロ用に撮影された特撮、あるいは本編の陰影が、カラー化したことによってその映像美を半減させているような気がしてならんのですね。最初からカラーで撮影された「ウルトラマン」以降のシリーズは、カラーであることを意識して怪獣を作っているし、明るめのライティングで不気味さよりも面白さを追求しているように思える。
私は子どもの頃リアルタイムで「ウルトラQ」を見て泣いた記憶がある。どのエピソードかというと、なんと「SOS富士山」なのですね。大きくなってから見直して、どこが怖くて泣いたのか見当もつかんけれど、幼い私にはなぜかものすごく怖かった。
これはやはりモノクロの効果やなかったかと思うのです。実はアニメ「どろろと百鬼丸」の「どんぶりばら」も怖くて泣いたのを覚えている。あれもモノクロならではの不気味さやったんでしょう。原作の漫画を後から読むと、まるで印象が違うのでびっくりした。
モノクロ映画のカラー化というのは実験としては面白いけれど、モノクロやから出せる効果というものがあるので、むやみやたらにカラー化してはいかんと思うた次第。
さて、「ウルトラQ」でいえば、陰影美で見せたケムール人の回はカラー化でどう印象が変わるか、少し楽しみなような怖いような気分であります。
モノクロ用に撮影された特撮、あるいは本編の陰影が、カラー化したことによってその映像美を半減させているような気がしてならんのですね。最初からカラーで撮影された「ウルトラマン」以降のシリーズは、カラーであることを意識して怪獣を作っているし、明るめのライティングで不気味さよりも面白さを追求しているように思える。
私は子どもの頃リアルタイムで「ウルトラQ」を見て泣いた記憶がある。どのエピソードかというと、なんと「SOS富士山」なのですね。大きくなってから見直して、どこが怖くて泣いたのか見当もつかんけれど、幼い私にはなぜかものすごく怖かった。
これはやはりモノクロの効果やなかったかと思うのです。実はアニメ「どろろと百鬼丸」の「どんぶりばら」も怖くて泣いたのを覚えている。あれもモノクロならではの不気味さやったんでしょう。原作の漫画を後から読むと、まるで印象が違うのでびっくりした。
モノクロ映画のカラー化というのは実験としては面白いけれど、モノクロやから出せる効果というものがあるので、むやみやたらにカラー化してはいかんと思うた次第。
さて、「ウルトラQ」でいえば、陰影美で見せたケムール人の回はカラー化でどう印象が変わるか、少し楽しみなような怖いような気分であります。
伊勢志摩サミット [時事ネタ]
今週はよほど疲れてたんやろう。いつもなら朝食後もテレビを友とする休日に、食後すぐに睡魔に襲われ、HDDレコーダのスイッチを切って寝る。昼食後、妻とともにテレビを友とするけれど、夕刻もう一度午睡。夜はテレビでタイガースのナイター観戦。タイガース連勝でにんまり。
テレビニュースでは伊勢志摩サミットが終了とのこと。あまりに警備が堅過ぎて観光客が激減したとか。しんぞう総理のやることはたいていこんな具合なんやなあ。観光地で首脳会談なんかやるからです。
例えば京都なら国際会議場もあるし、こういう首脳会談にはうってつけやと思うんやけれど、実はまだ京都は一度もサミットの会場になったことがないのですね。これ、私には不思議でしょうがない。森総理の時の沖縄サミット、これは小渕前総理のこだわりがあり、沖縄戦のその場所でサミットを行うという意義が感じられた。洞爺湖サミットと今回の伊勢志摩サミットはなんでわざわざここで、という疑問がまだ残る。それでもまだ北海道でサミット開催という意義は感じられてはいるけれど。
日本は神の国であるということを強調したかったのか。なんかそういうのに国際会議を利用するのは違うと思うんですけどね。
とりあえず、テロの被害がなかったのはよかった。今、ヨーロッパでやったらここぞとばかりにテロ攻撃があったかもしれんからね。なんやかんやいうて、日本には今のところまだ他国と戦争できないということによるメリットがあるということやと思うね。
テレビニュースでは伊勢志摩サミットが終了とのこと。あまりに警備が堅過ぎて観光客が激減したとか。しんぞう総理のやることはたいていこんな具合なんやなあ。観光地で首脳会談なんかやるからです。
例えば京都なら国際会議場もあるし、こういう首脳会談にはうってつけやと思うんやけれど、実はまだ京都は一度もサミットの会場になったことがないのですね。これ、私には不思議でしょうがない。森総理の時の沖縄サミット、これは小渕前総理のこだわりがあり、沖縄戦のその場所でサミットを行うという意義が感じられた。洞爺湖サミットと今回の伊勢志摩サミットはなんでわざわざここで、という疑問がまだ残る。それでもまだ北海道でサミット開催という意義は感じられてはいるけれど。
日本は神の国であるということを強調したかったのか。なんかそういうのに国際会議を利用するのは違うと思うんですけどね。
とりあえず、テロの被害がなかったのはよかった。今、ヨーロッパでやったらここぞとばかりにテロ攻撃があったかもしれんからね。なんやかんやいうて、日本には今のところまだ他国と戦争できないということによるメリットがあるということやと思うね。
月刊ポーの一族? [漫画]
やっとこさ金曜日。例によって例のごとく疲弊して帰宅。帰路、毎月恒例、妻の代わりに駅前の小さな本屋に寄って「月刊フラワーズ」を買う。小さな本屋さんなんで平積みにはなってなく棚差し。背表紙を見て探す。
あらら、いつも差してあるところにないやないか。今日が発売日やのに、遅れてるのかなあ。いつものところには「ポーの一族」と目立つように書かれた雑誌が。これ、「フラワーズ」の増刊かなあ。「ポーの一族」の新作が発表されるというのは先月聞いていたけれど、それにあわせて増刊が出たのかしらん。
で、それを手に取って見たら、増刊でも何でもない。通常号でありました。「ポーの一族」で目を引こうということで、「フラワーズ」の文字が隠れてしもうているのでありました。表紙も萩尾望都さんの絵で「フラワーズ」というタイトルが隠れている。そこまでするか小学館。
というわけで、間違いなく「フラワーズ」を買うことはできたけれど、なんか「月刊ポーの一族」を買うたような気になってしもうたぞよ。帰宅して妻に見せたら妻もびっくり。まあ、そこまでしてPRしたくなるのはわかる気がするけどね。
あらら、いつも差してあるところにないやないか。今日が発売日やのに、遅れてるのかなあ。いつものところには「ポーの一族」と目立つように書かれた雑誌が。これ、「フラワーズ」の増刊かなあ。「ポーの一族」の新作が発表されるというのは先月聞いていたけれど、それにあわせて増刊が出たのかしらん。
で、それを手に取って見たら、増刊でも何でもない。通常号でありました。「ポーの一族」で目を引こうということで、「フラワーズ」の文字が隠れてしもうているのでありました。表紙も萩尾望都さんの絵で「フラワーズ」というタイトルが隠れている。そこまでするか小学館。
というわけで、間違いなく「フラワーズ」を買うことはできたけれど、なんか「月刊ポーの一族」を買うたような気になってしもうたぞよ。帰宅して妻に見せたら妻もびっくり。まあ、そこまでしてPRしたくなるのはわかる気がするけどね。
イ・ムジチの「四季」 [音楽]
仕事部屋でぼっち教諭をしているとちょいと寂しいのでBGMにクラシック名曲集などをかけているというのは以前ここに書いた。
教材作成をしていて、曲がヴィヴァルディの「四季」より「春」の第一楽章に変わった。
ふと昔のことを思い出す。あれは中学3年生の時、京都で「手塚治虫展」があって、手塚先生のサイン会のために私は並んでいた。大学生くらいの一団が近くにいて、壁に貼られたポスターを見ている。イ・ムジチ室内管弦楽団の来日公演のポスターやった。
大学生の一人が「イ・ムジチ来るんか。やっぱり『四季』やるんやなあ。イ・ムジチというたらやっぱり『四季』やからなあ」なんてことを言うている。その頃の私は今ほどクラシックにくわしいわけやなかったけれど、「イ・ムジチの『四季』」くらいの知識はあった。ただ、そういう話をする相手はいてへんかった。
ああいう会話をいつかしてみたいなあと、なんとなく格好よく見えたものでありました。なにしろ中学3年生といえばまだまだ子どもやからね。今、おっさんである私がそばにいて聞いていたら「わざわざ口にせんでもええようことを言うてるなあ」と思うやろうけれど。
で、なんか「イ・ムジチの『四季』」が無性にほしくなり、高校に合格した祝いを親戚のお兄さんがくれると言うのでイ・ムジチのLPをリクエストしたのでありました。今思うと恥ずかしいけれど、私にもそういう時代があったんやなあと、思い出した次第。
あの大学生、今はどうしているのかね。
ちなみに今日BGMになっていた「四季」はイ・ムジチではなくカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏であります。別にどうでもええことですけれど。
教材作成をしていて、曲がヴィヴァルディの「四季」より「春」の第一楽章に変わった。
ふと昔のことを思い出す。あれは中学3年生の時、京都で「手塚治虫展」があって、手塚先生のサイン会のために私は並んでいた。大学生くらいの一団が近くにいて、壁に貼られたポスターを見ている。イ・ムジチ室内管弦楽団の来日公演のポスターやった。
大学生の一人が「イ・ムジチ来るんか。やっぱり『四季』やるんやなあ。イ・ムジチというたらやっぱり『四季』やからなあ」なんてことを言うている。その頃の私は今ほどクラシックにくわしいわけやなかったけれど、「イ・ムジチの『四季』」くらいの知識はあった。ただ、そういう話をする相手はいてへんかった。
ああいう会話をいつかしてみたいなあと、なんとなく格好よく見えたものでありました。なにしろ中学3年生といえばまだまだ子どもやからね。今、おっさんである私がそばにいて聞いていたら「わざわざ口にせんでもええようことを言うてるなあ」と思うやろうけれど。
で、なんか「イ・ムジチの『四季』」が無性にほしくなり、高校に合格した祝いを親戚のお兄さんがくれると言うのでイ・ムジチのLPをリクエストしたのでありました。今思うと恥ずかしいけれど、私にもそういう時代があったんやなあと、思い出した次第。
あの大学生、今はどうしているのかね。
ちなみに今日BGMになっていた「四季」はイ・ムジチではなくカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏であります。別にどうでもええことですけれど。
何をやってもホダラダホイホイな日 [日常生活]
朝から何をやってもホダラダホイホイ。どうも集中力を欠いている。時々こういう日というのがあるんですよね。コンビニで飲み物を買うのを忘れていたり、行きのバスで降りる直前まで気がつかなんで慌ててしもうたり。仕事でも大事に至らなんだけれどちょっとずつつまずきがあった。
これはこのまま定時まで仕事をしていても、結局明日に手直しをせんならんというようなことになりそう。時間休を取って、1時間ほど早目に退出することにする。
そやけどこういう日に限って、スムーズにはいかんのですねえ。退出の少し前に懇談で来ていた保護者が担任の先生といっしょに仕事部屋に来はって、奨学金に関する手続きの相談を受けることになった。私では判断でけんことがあり、育英会に問い合わせ。折り返しの返事が来ないと帰られん。再度育英会に連絡し、お返事は明日にと伝言を頼む。ところが、玄関を出ようというところで、育英会から連絡が来ていると事務職員の方に呼び止められ、対応。問題はほぼ解決したからよかったけれど、ほんまにタイミングが悪い。
というわけで、早めに帰宅してぼーっとラジオとテレビで野球観戦。今日は早目に寝てリフレッシュせんならんなあ。
これはこのまま定時まで仕事をしていても、結局明日に手直しをせんならんというようなことになりそう。時間休を取って、1時間ほど早目に退出することにする。
そやけどこういう日に限って、スムーズにはいかんのですねえ。退出の少し前に懇談で来ていた保護者が担任の先生といっしょに仕事部屋に来はって、奨学金に関する手続きの相談を受けることになった。私では判断でけんことがあり、育英会に問い合わせ。折り返しの返事が来ないと帰られん。再度育英会に連絡し、お返事は明日にと伝言を頼む。ところが、玄関を出ようというところで、育英会から連絡が来ていると事務職員の方に呼び止められ、対応。問題はほぼ解決したからよかったけれど、ほんまにタイミングが悪い。
というわけで、早めに帰宅してぼーっとラジオとテレビで野球観戦。今日は早目に寝てリフレッシュせんならんなあ。
大人への階段 [教育]
今日は奨学金を申し込む生徒をコンピュータ室に集めて、学生支援機構のサイトより必要事項を入力させる。今回の業務で一番肝心なところであります。入力するのは生徒やからね。わかってへんところも多いので、どんどん質問してくる。他にも助っ人で何人かの先生たちがやってくれはるけれど、大事なところは私が答える。
ここから先は自分の裁量でなんとかなるけれど、ここだけは生徒たちにがんばってもらわなあかん。生徒たちも授業中には見せんような真剣な面持ちで入力している。自分の進路と、そして「経済力」という社会の壁に立ち向かう貴重な体験をしているわけで、こういう体験をすることによって大人らしくなっていくのです。学びというものは教科書の記述やの授業時間だけやないのです。ここらあたり、教科書検定や採択の時に無駄に騒ぐ大新聞の論説委員の方々に理解していただきたいものですねえ。
というわけで、ひと山越えたところでほっとして、次の仕事に進むまでのエンジンのかかりが悪くなる。それくらい緊張してたんやなあ。
ああしんどかった。責任を一人でしょいこむというのは、何度も書いているけれどほんまにきついです。
ここから先は自分の裁量でなんとかなるけれど、ここだけは生徒たちにがんばってもらわなあかん。生徒たちも授業中には見せんような真剣な面持ちで入力している。自分の進路と、そして「経済力」という社会の壁に立ち向かう貴重な体験をしているわけで、こういう体験をすることによって大人らしくなっていくのです。学びというものは教科書の記述やの授業時間だけやないのです。ここらあたり、教科書検定や採択の時に無駄に騒ぐ大新聞の論説委員の方々に理解していただきたいものですねえ。
というわけで、ひと山越えたところでほっとして、次の仕事に進むまでのエンジンのかかりが悪くなる。それくらい緊張してたんやなあ。
ああしんどかった。責任を一人でしょいこむというのは、何度も書いているけれどほんまにきついです。
お母さんがんばって [教育]
愛すれどTigers「原口が高山がプロ入り初サヨナラ打」を更新しました。
今日は試験監督、採点などなど。帰り際に保護者から奨学金に関する相談の電話を受ける。お金のことでお子さんと感情的な会話になったらしく、実務的な相談の電話が「お母さんがんばって」というようなものになってしまいました。
経済的な理由で進学をためらわねばならん、奨学金は借金を背負う形になる、私立の学費は少子化が進むにつれて年々上がっていく……。
この状況に有効な手を打たれへん現政権が、選挙権を18歳からに引き下げた理由がわからん。引き下げたなら本気で給付型の奨学金制度を拡充するというような策を無理にでも実行しそうなもんやけれど。つまり18歳から19歳の票などあてにしてへんということなのか。ほんならなんのために選挙権の年齢を下げたんや。ここらあたり、理解に苦しむところやね。
というわけで、今日も精神的にきっついパンチを食らうてからの帰宅となったのでした。でも、そんな話をきちっと聞いて最適な対応をするのが今年の私の仕事やもんなあ。
今日は試験監督、採点などなど。帰り際に保護者から奨学金に関する相談の電話を受ける。お金のことでお子さんと感情的な会話になったらしく、実務的な相談の電話が「お母さんがんばって」というようなものになってしまいました。
経済的な理由で進学をためらわねばならん、奨学金は借金を背負う形になる、私立の学費は少子化が進むにつれて年々上がっていく……。
この状況に有効な手を打たれへん現政権が、選挙権を18歳からに引き下げた理由がわからん。引き下げたなら本気で給付型の奨学金制度を拡充するというような策を無理にでも実行しそうなもんやけれど。つまり18歳から19歳の票などあてにしてへんということなのか。ほんならなんのために選挙権の年齢を下げたんや。ここらあたり、理解に苦しむところやね。
というわけで、今日も精神的にきっついパンチを食らうてからの帰宅となったのでした。でも、そんな話をきちっと聞いて最適な対応をするのが今年の私の仕事やもんなあ。
選挙運動としての表彰式 [時事ネタ]
大相撲小言場所「夏場所をふりかえって~白鵬久々の全勝優勝~」 を更新しました。
2連休なんてあっけないなあ。ちょっと午睡して野球見て相撲見てネットにつないで書きものしたりしたらおしまいですね。いやいや、ちゃんとしたお仕事があるだけで幸せな時代に生きているということやから、贅沢は言うてられん。贅沢は敵だ。打ちてし止まむ。パーマネントはやめませう。
ところで、今日の大相撲、表彰式にしんぞう総理が来ていて、内閣総理大臣杯を直接自分の手で渡していた。選挙が近くなるとこれをするのですね、この人。ものすごく嬉しそうにしていたけれど、官邸には「不謹慎攻撃」は来ないのかしらん。熊本に行ってボランティアをし、それをネットにアップする人たちよりも、今日のこのタイミングで相撲の表彰式に来るしんぞう総理の方がよほど不謹慎であると思うね。マス席に座っている時の笑い顔など、なんか下卑ていて嫌やったなあ。
2連休なんてあっけないなあ。ちょっと午睡して野球見て相撲見てネットにつないで書きものしたりしたらおしまいですね。いやいや、ちゃんとしたお仕事があるだけで幸せな時代に生きているということやから、贅沢は言うてられん。贅沢は敵だ。打ちてし止まむ。パーマネントはやめませう。
ところで、今日の大相撲、表彰式にしんぞう総理が来ていて、内閣総理大臣杯を直接自分の手で渡していた。選挙が近くなるとこれをするのですね、この人。ものすごく嬉しそうにしていたけれど、官邸には「不謹慎攻撃」は来ないのかしらん。熊本に行ってボランティアをし、それをネットにアップする人たちよりも、今日のこのタイミングで相撲の表彰式に来るしんぞう総理の方がよほど不謹慎であると思うね。マス席に座っている時の笑い顔など、なんか下卑ていて嫌やったなあ。