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麒麟児の死 [追悼]

だらだらと高校倫理「第8回 フラストレーション」を更新しました。

 今日は全日2年生インターンシップ授業の日。1年間同じメンバーが、半期ごとに実習先を変えて職業体験をする。そのガイダンスやら講話やら。
 1日緊張しっぱなしで疲れた。午後から雨。よけいにしんどいのか。帰宅してしばらくは寝床でどぶさっておりました。
 昨日の日記は疲れている上に急いで書いたので文意が通らんところがあまりにも多かったので、ちょっとばかり書きなおしました。少しは読みやすくなったかな。
 大相撲もと関脇麒麟児の訃報に接する。享年67。死因は多臓器不全。
 昭和50年代の土俵を盛り上げた気風のよい突き押し相撲を得意とした力士やった。やはり回転の速い突っ張りが信条の富士桜とは毎場所熱戦を繰り返し、昭和天皇の天覧相撲では陛下が身を乗り出して見ていた。昭和天皇やなくとも、身を乗り出して見ずにはいられん相撲やった。
 麒麟児も富士桜もとにかく突っ張り一本。しかも回転の速い突っ張りで、これが決まると北の湖や輪島でも圧倒された。後の寺尾の突っ張りとはまた違う重みもあった。現役引退までその相撲で通した。
 引退して北陣親方となると、相撲解説でもはきはきとした口調でわかりやすく解説をしてくれていたけれど、ある時期から表に出なくなった。そして相撲雑誌の付録の名鑑の写真を見て驚いた。脳出血でもしたのか、顔半分がゆるみ、髪も抜け、見ていられんような面変わりをしていた。たいていの親方は定年退職をする時にはNHKのテレビ中継でゲスト解説をしたりして、現役時代の相撲を振り返ったりするんやけれど、北陣親方はそれもなかった。おそらく親方が固辞したんやろう。
 そして退職から2年、あまりにも早い死に、驚かされはしたものの、おそらく体はボロボロやったんやろう。そんな姿を人前にさらさないという、あの元気はつらつな麒麟児のイメージを崩さんようにという思いもあったのかもしれん。
 輪湖時代を飾った名脇役として、その激しい相撲と人懐こい笑顔はファンの胸に今も残る。決して引き技に頼るとのない、そんな力士はほんま少なくなったなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

 新型コロナウィルス蔓延防止のため。大阪も京都も他府県への越境がはばかられる状態となってますので、「たちよみの会」の例会は今月またお休みします。せっかく先月は一応開いたのになあ。残念。

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