落語家論 [読書全般]
今日は妖精さんが出たので休校。生徒の登校はもちろん禁止。生徒は感染の危険があるのに教師はないということはないわけで、教師の出勤も免除される。感染拡大の予防を優先させるための措置で、これまでこの日記で再々書いてきた「早退」も教師も感染予防のために帰宅することが認められているという制度を使用したものです。もしかしたら私たちが仕事をさぼっているようにこの日記を読んでくれてはる人に受け取られているのではないかと妻に指摘されたので、ここではっきりと書いておく。
というわけで、今日はその制度によって、私は出勤せず。むろん外出も極力控えなあかん。1日家に引きこもっていた。台風が接近してもいたし。
ストレスからくる疲労がピークに達していたんやろう。午前中に午睡。昼食後はパソコンで作業をしたり、読書をしたり。夕刻、録画した相撲中継を見る。照ノ富士が6連勝。相撲内容もどっしりとしたもので、新横綱なのに、風格はまるで何年も綱を締めているよう。台風のため、甲子園の試合は中止。夕食後も読書。
柳家小三治「落語家論」(ちくま文庫)読了。いまや人間国宝とまでなった小三治師匠が、1080年代後半に「民俗芸能を守る会」という会の会報に毎号執筆していた巻頭エッセイをまとめたもの。単行本の初刊は2001年。連載時のタイトルは「紅顔の噺家諸君!」というもので、若手の落語家に向けた小言や、自分の体験や趣味の話などが書きつづられている。立川談志師匠の場合、理論をたてて読み手を負かしてしまうようなところがあるんやけれど、小三治師匠はそうならない。頭で組み立てたものというよりは、自らの体験で感じたことを自然な言葉で文章化しているという感じになる。どちらがええというんやなくて、どちらも必要なんやないか。ここに桂枝雀師匠の著作が加わるとさらに落語の楽しみ方が増してくる。
読んでいて感じた。このエッセイが後年高座での長いまくらに発展していくんやないかと。そう思うて読んでいると、たった一度だけやけれど師匠の生の高座で聞いた長いまくらを聞いていた時の空気がよみがえってきた。小三治氏は最近また新刊を出した。本書と読み比べ、その文章での「芸」の深みも楽しみたい。
緊急事態宣言が月末までのびたので、今月の「たちよみの会」例会も休止します。いつになったら再開できることやら。
というわけで、今日はその制度によって、私は出勤せず。むろん外出も極力控えなあかん。1日家に引きこもっていた。台風が接近してもいたし。
ストレスからくる疲労がピークに達していたんやろう。午前中に午睡。昼食後はパソコンで作業をしたり、読書をしたり。夕刻、録画した相撲中継を見る。照ノ富士が6連勝。相撲内容もどっしりとしたもので、新横綱なのに、風格はまるで何年も綱を締めているよう。台風のため、甲子園の試合は中止。夕食後も読書。
柳家小三治「落語家論」(ちくま文庫)読了。いまや人間国宝とまでなった小三治師匠が、1080年代後半に「民俗芸能を守る会」という会の会報に毎号執筆していた巻頭エッセイをまとめたもの。単行本の初刊は2001年。連載時のタイトルは「紅顔の噺家諸君!」というもので、若手の落語家に向けた小言や、自分の体験や趣味の話などが書きつづられている。立川談志師匠の場合、理論をたてて読み手を負かしてしまうようなところがあるんやけれど、小三治師匠はそうならない。頭で組み立てたものというよりは、自らの体験で感じたことを自然な言葉で文章化しているという感じになる。どちらがええというんやなくて、どちらも必要なんやないか。ここに桂枝雀師匠の著作が加わるとさらに落語の楽しみ方が増してくる。
読んでいて感じた。このエッセイが後年高座での長いまくらに発展していくんやないかと。そう思うて読んでいると、たった一度だけやけれど師匠の生の高座で聞いた長いまくらを聞いていた時の空気がよみがえってきた。小三治氏は最近また新刊を出した。本書と読み比べ、その文章での「芸」の深みも楽しみたい。
緊急事態宣言が月末までのびたので、今月の「たちよみの会」例会も休止します。いつになったら再開できることやら。