言論は自由 [新聞]
今日は定休日。午前中はたまっているアニメを見たり、ドラマを見たり。HDDレコーダの残容量が少なくなって、録画中の番組が録画中断をしたりなんていうこともあるので、妻も私もこの悪魔の機械にとりつかれたように見まくっている。そうせんと、正月に録画しておきたい番組を録画でけんようになるのです。幸い深夜アニメは次々と最終回を迎え、今は録画する本数が減っているんで、ためていたドラマの方に時間を割くことができる。
そやけど、テレビばっかり見てたら脳が疲弊し、結局午睡せんならんようになってしまう。いかんなあ。
で、午後は午睡。起きて社説のダウンロードやら読書やら。
社説といえば、昨日の産経新聞の社説(主張)がなかなか面白かった。学術会議の新メンバーを当時の菅総理が任命拒否したのがそのままになっていて、後継の岸田総理も任命していない。それどころか法改正して会員選考に第三者委員会なるものの審査をつけ加えようとしている。それに対し、学術会議側が「学術会議の独立性を損なう」と表明した。
さて、産経新聞の主張でを要約すると、「学術会議には政府が税金を使うてやってるんやから、政府の言うことを聞くのが当たり前。それが嫌なら民営化しろ」というもの。読んでこんなに笑える社説も久しぶりで、笑うた後でぞっとしたのも久しぶり。これって、戦前、政府が京大の滝川教授とそれに連なる学者たちの学問の自由を奪うた「滝川事件」や、美濃部達吉の「天皇機関説」を弾圧した事件に考え方がいっしょやないか。滝川教授らは京大から去り私学に移った。「天皇機関説」が封じ込められた後、軍部が統帥権を国会から切り離して独走するようになった。国が金を出してやってるから国に従う学者だけの学術会議にしろというのは憲法の「学問、思想の自由」の保障に反しているように思う。この声が放置されると嫌やなと思うていたら、今日、東京新聞(中日新聞)がさっそく反論の社説を掲載している。引用すると“そもそも日本学術会議法の規定などから、首相の任命は形式的なものに過ぎないのは明白である”ということ。その上で国のイエスマンを並べるだけの学術会議では適切な提言はできないとし、“学問領域に政府が干渉・介入する愚を重ねて戒めたい”と締めている。
名古屋の論説委員か東京の論説委員かどちらの記者が書いたか知らんけれど、即座にこういう反論が出ると、ほっとする。
言論の自由はこうやって守られていかんとあかんと思うた次第。それにしても産経の論説委員はこんなことを書いてたらいずれ自分たちの言論の自由を縛ることになるとは思わんのかなと思うが、如何。
そやけど、テレビばっかり見てたら脳が疲弊し、結局午睡せんならんようになってしまう。いかんなあ。
で、午後は午睡。起きて社説のダウンロードやら読書やら。
社説といえば、昨日の産経新聞の社説(主張)がなかなか面白かった。学術会議の新メンバーを当時の菅総理が任命拒否したのがそのままになっていて、後継の岸田総理も任命していない。それどころか法改正して会員選考に第三者委員会なるものの審査をつけ加えようとしている。それに対し、学術会議側が「学術会議の独立性を損なう」と表明した。
さて、産経新聞の主張でを要約すると、「学術会議には政府が税金を使うてやってるんやから、政府の言うことを聞くのが当たり前。それが嫌なら民営化しろ」というもの。読んでこんなに笑える社説も久しぶりで、笑うた後でぞっとしたのも久しぶり。これって、戦前、政府が京大の滝川教授とそれに連なる学者たちの学問の自由を奪うた「滝川事件」や、美濃部達吉の「天皇機関説」を弾圧した事件に考え方がいっしょやないか。滝川教授らは京大から去り私学に移った。「天皇機関説」が封じ込められた後、軍部が統帥権を国会から切り離して独走するようになった。国が金を出してやってるから国に従う学者だけの学術会議にしろというのは憲法の「学問、思想の自由」の保障に反しているように思う。この声が放置されると嫌やなと思うていたら、今日、東京新聞(中日新聞)がさっそく反論の社説を掲載している。引用すると“そもそも日本学術会議法の規定などから、首相の任命は形式的なものに過ぎないのは明白である”ということ。その上で国のイエスマンを並べるだけの学術会議では適切な提言はできないとし、“学問領域に政府が干渉・介入する愚を重ねて戒めたい”と締めている。
名古屋の論説委員か東京の論説委員かどちらの記者が書いたか知らんけれど、即座にこういう反論が出ると、ほっとする。
言論の自由はこうやって守られていかんとあかんと思うた次第。それにしても産経の論説委員はこんなことを書いてたらいずれ自分たちの言論の自由を縛ることになるとは思わんのかなと思うが、如何。