SSブログ

目黒考二の死 [追悼]

 今朝も厳寒。さすがにバスは動いていたけれど、お山の学校まで行ったら積もった雪が残り、霜柱が立っていた。
 1時間目の授業が終わった後は、試験問題作成。しかし遅々として進まず。昨日の疲労が取れていないのか、頭が働かん。3分の1程度作ったところで会議。その後も少しばかり問題作成を進める。完成にはいたらず、明日からの休みの間の宿題とせねばなるまい。
 もっとも、月曜日中にこしらえたらええから、手つかずとなったとしてもなんとかなろう。
 定時に退出。
 妻が日帰り帰省していたので、だらだらとスマホをいじりながら待つ。妻が帰宅してから夕食。二人とも疲れていたのか食後もむやみに饒舌になる。どうでもええ会話を延々と続けてしまう時は、たいていどちらかが疲れている時なんやけれど、今日はどちらも疲れていることを自覚していて、適当なところで話を打ち切る。
 食後、寝床で社説のダウンロードをし始めたけれど、そのまま寝落ち。目覚めてから作業の続きをし、パソコンに向かう。こんな調子では宿題は無理みたい。
 本の雑誌の創始者で、書評家北上次郎としても活躍していた目黒考二さんの訃報に接する。享年76。死因は肺癌。
 薄っぺらいミニコミ誌やけれど、なんか面白そうな「本の雑誌」に出会うたのは高校生の時。京都は一乗寺の恵文社書店やった。今でこそおしゃれな外観で文化の発信地として全国に知られるようになった書店やけれど、当時は店長さんの趣味全開の漫画とサブカルチャーの巣窟みたいなところやった。後に大学時代、所属していた創作同人の会誌を置いてもらうことにもなる。そんな書店で平積みになっていて、しかも他の書店では見たこともない。ぱらぱらと立ち読みすると、私が当時あこがれていた「遊ぶ大人」たちが集まっているような雑誌やった。
 昼飯代を節約し、初めて買うたのは創刊15号くらいやったか。椎名誠さんの2冊目の著書、「気分はだぼだぼソース」の広告が載っていた。つまり椎名さんもまた一部の人たちから注目されていたけれど、まだまだマイナーな存在やったころということになる。発行人は目黒考二という人。まさか書評を書いている北上次郎という人と同一人物やということは知る由もない。
 以来、目黒さんや椎名さんが一線を引いたあとも買い、読み続けている。転居を重ね、手近に「本の雑誌」を置いている店がないので、現在は定期購読。できたら書店で購入したいんやけれど、こればかりは仕方ない。「三角窓口」に「支出における書籍代の割合のことを目黒係数と呼んではどうか」という投稿が載った時は狂喜したものです。「本好きの女友達と話していて……」と書いたけれど、その人は今は約30年いっしょに暮らす妻です。
 目黒さんが一線を引いた後、編集部の松村さんから電話があり、原稿依頼とわかった時も嬉しかったなあ。大好きなSF雑誌に「SFワールド」「SFアドベンチャー」「SFマガジン」「SFJapan」に自分の文章が掲載され、そして「本の雑誌」からも原稿依頼がきた。零細ものかきとしては果報者やと思うてます。
 残念ながら目黒さんにお目にかかることはないままに訃報を聞くことになったけれど、「本の雑誌」のおかげで私の読書の稼動域はとても広くなった。生意気な頭でっかちの高校生が、気がつけば還暦。その間、ずっと「本の雑誌」は私の読書の指針となってきたように思う。私という人間の血肉の一部として、大きな存在であることには違いない。そんな雑誌を作ってくださった目黒さんに心から感謝したい。
 謹んで哀悼の意を表します。

nice!(2)  コメント(3) 
共通テーマ: