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四代目朝潮太郎の死 [追悼]

 午前中は「葬送のフリーレン」などを見てからパソコンで作業をしたりする。昼食後もパソコンに向かい、それから少し遅めの午睡。
 夕刻目覚めて社説のダウンロードなどをし、追っかけ再生でプロ野球日本シリーズ第6戦を見る。今日の中継はMBS。ただし、製作はTBSらしく、解説はもとジャイアンツの槙原さんともとベイスターズの佐々木さん、スワローズの中村捕手。このシリーズ初めてタイガースともバファローズとも関係のない解説陣になった。昨日のサンテレビ「熱血! タイガース党」にゲストで出ていた俳優の渡辺謙さんの話の方が非常にくわしくて奥深く面白かった。渡辺謙さん、どんだけタイガースが好きやねん。福本豊さんと非常に仲が良く、その関係もあって阪神間ローカルの番組にゲスト出演してもらえたらしいけれど、サンテレビを見られる虎党は非常に贅沢な思いができたねえ。TBSですら解説席に呼べんハリウッドスターを独占できたんやからなあ。
 試合は村上投手が打たれてタイガースが負け、決着は明日に持ち越し。バファローズの山本由投手を2回表の満塁の場面で攻略でけなんだのが大きかったなあ。明日はついにタイガースは青柳投手が先発。昨年までの功労者が日本シリーズに登板でけんところやったから、今日は負けたけれど、それでもよかったのかもしれん。
 大相撲の元大関四代目朝潮太郎さんの訃報 に接する。享年67。死因は小腸癌。
 新型コロナウィルス禍の規則違反のため退職してそれほどたたない訃報に驚く。小腸癌というのはかなり珍しい癌らしく、治しにくい癌やったらしい。
 私の母が現役時代、朝潮関のファンやった。朝潮関の唯一の優勝のとき、日刊スポーツの写真パネルサービスに申し込み、玄関に朝潮関と富士櫻関の大喜びしているパレード写真のパネルを飾っていたくらい。
 愛嬌があり、いしいひさいちさんが「ワイはアサシオや」というマンガにしたくらい。そやけど実は非常に頭の回転の速い人で、支度部屋でのコメントなどもとても楽しいものやった。大関に上がるチャンスを何度も逃したり、優勝も結局1回だけやったりしたけれど、頭から当たった時の破壊力は強く、特に当時の大横綱北の湖関には無類の強さを発揮した。額が割れて血が流れることもしばしば。ただ、額が割れた時が一番いい相撲やったりした。
 親方としても名門高砂部屋を継ぎ、横綱朝青龍、大関朝乃山をはじめとする関取を多く輩出。ただし、朝青龍の暴走を止められず理事からの降格という憂き目にも。
 近大出身で、大阪場所で優勝し、大阪場所で引退するという、大阪に縁のある人やった。初優勝した年にタイガースが日本一になり、亡くなった年にタイガースが優勝しているというのも不思議な縁ですね。
 謹んで哀悼の意を表します。

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犬塚弘の死 [追悼]

 今日は定休日。朝早く目覚め、まずはスポーツ紙で昨日のドラフト会議の詳細をじっくりと読みこむ。こういうときは紙の新聞がありがたい。パソコンやスマホやと、全球団の指名結果を一望にでけん。いろいろなチームの指名選手を見比べてなんでタイガースはこの選手を指名でけなんだんやろうとか、なんでこのチームはこの選手を指名したんやろうなんてぱっとわからんからね。画面構成上、どうしても限度がある。
 その後はひたすらテレビに向かい、今週録画したアニメでまだ見てなんだのと昨日の深夜録画したのをほとんど見てしまう。
 昼食後、午睡。夕刻起きてから、スマホで社説のダウンロードやら、ものかき関係の作業をする。日本シリーズと並行して作業することになるから、なるべく早めに作業は終えてしまいたい。
 夕食後もものかき関係の作業の続き。少しうとうと。昨日風邪薬を服用したため、くしゃみ鼻水鼻づまりはなんとかおさまった。
 クレイジーキャッツのベーシストで俳優の犬塚弘さんの訃報に接する。享年94。死因は非公表。
 いつかはこの日が来るとは思うていたけど、さすがに寂しいね。クレイジーキャッツは解散宣言みたいなことはしてへんから、一人でも御存命であればこの希代のコミックバンドはまだなくなってへんと思うていた。つまり、御存命やった最後のメンバーの逝去によって、ほんまにクレイジーは解散したということになるんやなあ。
 私がドリフターズよりクレイジーが好きなことはこの日記で何度か書いているので繰り返さん。あの「8時だョ! 全員集合」が諸般の事情で半年休止していた間、先輩格のクレイジーがリリーフ役として「8時だョ! 出発進行」という番組を担当した時に、このままずっと続けてほしいと思うたのが小学生の時。中学時代にNHKの「ビッグショー」でクレイジーが久々に集まって集大成みたいなショーを見せてくれて、そのスマートで音楽性の高いコントに魅了された。「テレビ探偵団」みたいに昔の番組を振り返る番組では「シャボン玉ホリデー」エンディングで犬塚さんのベースのソロをバックにハナ肇さんとザ・ピーナッツが締めている場面が何度も流された。
 大人向けのテレビバラエティの笑いというものを「ゲバゲバ90分」やこうした番組で知っていったんやなあ。大学時代はクレイジーキャッツの復刻レコードをテープにダビングして、ポータブルカセットテーププレイヤーでしょっちゅう聞いていたし、CD時代になると大瀧詠一さんの編んだベスト盤を愛聴していた。
 実写映画「野球狂の詩」では犬塚さんが水原勇気の父親役で出演し、尻間スカウト役の谷啓さんと将棋を指しながら水原の東京メッツ入りの許可についてアドリブと思われる軽妙なやりとりで楽しませてくれたのを記憶している。そのひょうひょうとした演技はどの映画やドラマでも印象に残っている。
 これでクレイジーキャッツのメンバーはすべて鬼籍に入ったことになる。もしあの世があるんやったら、ぜひ7人揃うて亡者たちを楽しませてほしいものです。
 謹んで哀悼の意を表します。

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財津一郎の死 [追悼]

 今日は定休日。朝はゆっくり目に起き、たまっている録画を見ながら朝食を取る。昨日まで同じ体勢でずっと採点をしていたのが祟ったか、肩凝りがきつい。
 昼食後、午睡。夕刻起きて社説のダウンロードなどをしてから、追っかけ再生でプロ野球セ・リーグCSの第2戦を見る。見応えのある投手戦で、最後は木浪選手のサヨナラヒットでタイガースが連勝。あと1勝で日本シリーズ進出となった。
 試合終了後、少しうとうと。なかなか疲れが取れないですねえ。明日もゆっくり過ごしたい。
  俳優の財津一郎さんの訃報 に接する。享年89。死因は慢性心不全。長らく闘病中やったという。
 ネットのニュースでは「タケモトピアノCM」の人という見出しが多かった。確かに今の世代では「電話してちょーだい」というあの宣伝でしか知らん人も多かったと思う。あのCMがテレビで流れると、泣いている子どもが泣きやむというのを「探偵! ナイトスクープ」でやっていた。確かにええ声の人。私の記憶では「花のピュンピュン丸」のオープニングが印象的。あの美声で「ありゃりゃんこりゃりゃんおへそのねーじが」と歌うた後、最後に持ちネタの「さびしーっ」というセリフが入っていた。「タケモトピアノ」での「ちょーだい」も持ちネタで、どちらも「てなもんや三度笠」で浪人蛇口一角の役作りをしていく中で出てきたものなんですね。「てなもんや」のビデオでも財津さんが奇声を発している映像が残っている。
 関西では長年三島ゆり子さんと夫婦役で「日本フルハップ」という中小企業の互助組合のCMにも長年出ていはった。中小企業のおやじさんが財津さんで、奥さんが三島さん。息の合うた演技でこちらのCMも長年親しまれてきたと思う。現在はオール阪神・巨人師匠が後をついではる。
 映画やドラマでは演技派。でも、ABCの開局記念番組ではビデオ出演で「てなもんや三度笠のおかげでぼくは名前が売れた」と述懐してはった。そやから晩年まで「ちょーだい」や「さびしーっ」の持ちネタを求められたら楽しそうに披露してはったんやろう。
 あと、「ケロロ軍曹」のオープニングを一時歌うてはったのも記憶に新しい。ミュージカルでもアニソンでもその個性を愛する人たちがいてたということですね。
 藤田まことさん、白木みのるさん、そして財津一郎さんと、「てなもんや三度笠」をステップに全国的にその名を輝かせていた人たちがなくなって、ますます昭和が遠くなっていくなあと思う。ABC開局記念番組は録画してDVDにダビングした。その中で流れた「タケモトピアノ」のCMもちゃんと置いてある。またとりだしてきて、見返してみたいなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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古沢憲司の死 [追悼]

 今日は完全休養日。朝は少しゆっくり目に起き、録画した番組を見て過ごす。昨日と一昨日に放送された「キングオージャー」も2回分まとめて見る。早くもラスボスとの対決というような展開になっていて、今後どう話が進んでいくのか楽しみ。ラスボスの意図があまりよくわからなんだ「仮面ライダーギーツ」よりも面白い。
 昼食後は少し読書をして午睡。たっぷり寝る。夕刻起床し、追っかけ再生でプロ野球中継を見る。今日は東京ドームのジャイアンツ戦。BS日テレのサブチャンネルで試合終了までたっぷりと見る。タイガースの圧勝。ジャイアンツの選手はリードされたらもうそこで戦意喪失という感じ。ホームランでしか点の取れんチームにホームランが出なんだら、それはもう得点は相手のミスに頼るしかないよね、という感じ。明日からもこんな感じで連勝してほしいものです。
 優勝マジックナンバーは22に。
 元プロ野球投手の古沢憲司さんの訃報に接する。享年75。癌で闘病中やったという。
 私がタイガースファンになった頃のローテーション投手。めっぽう球が速かった。ただ、ポカも多かった。この時期に背番号51で活躍していた人というたら古沢さん、大杉さんなど数えるばかりやったんと違うかな。ニックネームはバーディー。ゴルフでパーの一つ下やから、やそうです。なんというニックネーム! この頃のタイガースのローテーション投手というたら、江夏、上田、古沢、谷村、山本和といったところか。江夏さんとの交換でホークスから来た江本さんと非常に仲がよかったという。残念ながらトレードで田淵さんといっしょに西武ライオンズに行ってしもうた。当初背番号は23やったけれど、すぐに51に戻してはった。愛着のある数字やったんやろう。カープでは16をつけていた。
 カープ時代、県営岡山球場でのタイガース戦、ピッチングモーションに入ったところでいきなり画面が真っ暗になったのを覚えている。蛇が電線に巻きついたかでショートし、球場の照明がすべて停電してしもうたんです。地方球場ならではというところやけれど、それ以降そういう試合は見たことがないんで、かなりの珍プレーやね。カープに移籍してすぐ、解説の後藤次男さんに「ユニフォーム似合うでしょう」とニコニコしながら話しかけていたという記事を読んだ記憶がある。愛媛出身やから、タイガースよりもカープの方が身近な存在やったんかな。
 引退後はカープやタイガースの二軍投手コーチをつとめてはった。また、カープのドミニカのアカデミーで長年指導してはったというから、指導者の適性があったんやろうね。
 スリークォータから投げこむ速球が決まった時の威力はすごかったし、私は好きな選手の一人やったなあ。それだけにライオンズに移籍した時は寂しかったし、タイガースの二軍コーチとして戻ってきはった時は嬉しかった。75歳は、ちょっと早すぎますよ。
 謹んで哀悼の意を表します。

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桑原和男の死 [追悼]

 今日は完全休養日。午前中は例によって録画した番組を見、午後は読書と午睡。夜は追っかけ再生でナイター中継を見る。今日はサンテレビ。解説は佐藤義則さんと濱中治さん。佐藤さんの投手に関する分析が細かく鋭く、これこそが解説という感じで、さすがいろいろなチームでコーチとして引っ張りだこやっただけのことはある。試合は延長12回5時間19分という今季両リーグ最長のもの。佐藤輝のサヨナラ犠牲フライでタイガースが9連勝。実況の湯浅アナウンサーが「犠牲フライといっても、そう簡単に打てるものじゃないですよね、濱中さん」と聞くと、濱中さんは「まあ、そうなんですけど」と少し言葉を濁す。と、佐藤さんはぼそりと「簡単ですよ」。これは、今日のスワローズ田口投手からなら簡単に打てる、という意味。それくらい球が高くフライを打ちやすい状態やったということなんやけれど、それを一言で言い切る鋭さに感服。佐藤さんの解説を聞いて勉強したらどうですか、宮本和知さん。
 というわけで、野球を見てるだけでもうばてばて。
 吉本新喜劇の桑原和男さんの訃報に接する。享年87。死因は老衰。吉本新喜劇の貴重なバイプレーヤーで、喫茶店のマスターなどの役からおばあちゃんの役までこなす芸達者な喜劇役者やった。何より貴重なのは、あのいとしこいしさんの数少ない直弟子やったということ。宝塚新芸座時代に原あち郎こち郎というコンビを組んで漫才をしていたという。いとこい師匠はそれ以降は「漫才は師匠が弟子に伝えられるもんやない」と弟子を取らなんだ。寛太寛大さんが晩年に「弟子」を名乗っていたけれど、これは寛太寛大さんの方から「弟子と名乗らせてほしい」と言うてきたのでそれを許したということなので、直弟子で笑芸の世界に残ったのは桑原さんだけということになる。そこらあたり、確認せんと寛太寛大さんをいとこい師匠の弟子と書いたりしている人がいてるので、お気をつけください。
 なんでも心残りは漫才を続けられなんだことやったという。いとこい師匠の貴重な直弟子やのに、喜劇に転向したことを師匠の期待にこたえられなんだと思うたはったんかなあ。そやけど、宝塚新芸座は小林一三翁の意向で喜劇の一座として作られ、協力した秋田稔さんは漫才をする場を求めてたという食い違いもあって、漫才師であっても落語家であっても喜劇役者として舞台に立ってはったんやから、そちらの流れで吉本新喜劇に行っても不自然やないし、漫才師というのはええ相方と出会えるかどうかによって決まってくるから、桑原さんにとっては喜劇役者の道の方が合うていたということやったんやと思う。
 一番印象に残っているのは、おばあちゃん役をしている時に布製の垂れ乳をつけてはったこと。なんと奥さんといっしょに作った手作りのものやったそうで、どうすれば役になり切ってお客を笑わせることができるかということを考えてはった一つの成果やったんやないかと思う。
 岡八郎、花紀京、船場太郎といった看板役者を支えながら、他の誰にも出せん存在感のある役者やったし、子どもの頃からずっと楽しませてもろうたことに感謝したい。
 謹んで哀悼の意を表します。

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森村誠一の死 [追悼]

 愛すれどTigers「伊藤将が神宮球場で初勝利」を更新しました。

 今日は出勤日。猛暑であります。クーラーがほどほどに効いた社会科の職員室でひたすら事務作業。この夏休み中は事務作業に徹する予定。昼、一服つけに外に出たら、暑い眩しい。大阪市内は天神祭やもんなあ。一番暑い季節ですわ。
 定時に退出し、梅田の眼鏡市場で眼鏡を新調。来週の月曜には新しい遠近両用の眼鏡が手に入る。これまでは最寄駅前のビジョンメガネで作っていたけれど、値段はそれほど安くないのにいたみやすいので、友人の勧めてくれた眼鏡市場で作ってみることにした。
 店員さんが、今私のかけている度入りサングラスはいつ作ったかと聞くので、「30年、いや40年前かなあ」と答えると、「ビンテージものですねえ」といわれた。当時の主流やった茄子型のフレームで、一時は全くこの型がなく、細い枠の眼鏡ばかりやったけれど、最近復活しつつあるらしい。若い世代が1980年代に流行ったものを好むんやそうです。新しい眼鏡ができたら、このサングラスはまたカバンに常備してグラウンドに出た時などに使用することになる。なにしろレンズはガラス、フレームも金属製と、重いけれどしっかりした素材なんで丈夫ですよ、ほんま。
 帰宅後は、疲れて寝床でどぶさっていた。
 ミステリ作家森村誠一さんの訃報に接する。享年90。死因は肺炎。
 私は森村さんの熱心な読者やなかったけれど、一時期乱歩賞全冊読破などということに挑戦していて、確か鳥羽亮さんあたりまではすべて読破したはず。森村さんの本格的なミステリはこの時初めて読んだ。受賞作の「高層の死角」ですね。刑事コロンボの「構想の死角」というタイトルはここから取ったんやないか。ホテルマンをしながら執筆したという、ホテルもの。松本清張の系譜をひく社会派のミステリ作家なんやなあと思うたものです。ただ、「人間の証明」や「野性の証明」などベストセラーになったものはまだ読んでへん。一度読んでみたいなあと思いつつ、手つかずなのです。なにしろ1970年代後半、角川書店が横溝正史に次いで映画とのタイアップで大ブームを引き起こしたんやけれど、CMばかり印象に残ってそのイメージが強烈過ぎて高校生の私には食指が伸びなんだのです。横溝正史は読んでたのにねえ。で、そのあと「忠臣蔵」とか「悪魔の飽食」のシリーズなどミステリ以外のものを読んでいた。特に「悪魔の飽食」は衝撃的やったなあ。読み比べとして同じ細菌部隊を扱うた、吉村昭さんの「蚤と爆弾」も読んだ。日本もナチスドイツに負けんくらいとんでもない虐殺をしているというのに、なぜか口絵写真の取り違えをあげつらい、まるで本の内容まで森村さんが史実をねじ曲げているかのように攻撃した人たちがいたことは、忘れてはならんと思う。
 晩年も反戦という姿勢を決してくずさなんだ。芯の通った方やったんやろう。
 謹んで哀悼の意を表します。

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杉下茂と北別府学の死 [追悼]

 今日も定休日。もう今週は耳鼻科で通気してもらわんでええんやと思うと、それだけで気持ちが違う。午前中は録画したアニメ「王様ランキング」などを見て過ごし、午後からは午睡。
 夕刻起きて読書をしたりスマホをいじったりして過ごす。追っかけ再生でタイガースとホークスのナイターを見る。湯浅は二軍で再調整。その方がええ。同点にされたところでがっくり来て次の打者に不用意に甘い球を投げてしまうという現状ではクローザーはつとまるまい。今季は一軍復帰しても中継ぎに徹してもらい、来季こそクローザーとして活躍してもらおう。そのためには鳴尾浜に藤川球児さんに来てもらい、いろいろと心得を伝授してもらおう。
 というわけで、今日はサトテルのホームランも久々に出たし、岩崎が安定した投球でがっちりと締めたし、言うことなし。
 二人の大投手の訃報に接する。一人はもとドラゴンズのエースでドラゴンズとタイガースで監督をつとめた杉下茂さん。享年97。死因は間質性肺炎。亡くなる直前まで元気にしてはったらしい。球界の最長老として90になってもキャンプ地を巡り、フォークを得意としている投手にアドバイスをしてはったんやから、たいしたもの。数年前、初めてタイガースのOB会総会にもと監督として出席しはったという新聞記事を読み、少し嬉しくなった。というのも、タイガースはこのドラゴンズの至宝に対して非常に失礼な扱いをしたと思うていたから。もちろんリアルタイムでは知らんけれど、タイガースの歴史を書いた複数の本によると、藤本定義監督が勇退し、投手コーチをつとめていた杉下さんが監督に昇格した。固辞する杉下さんに、勝敗はいいから若手を抜擢して育ててほしいと当時のフロントが言うたので、それならばと引き受けたという。ところがふたを開けてみたら藤本前監督は「総監督」としてユニフォームは来てなんだけれども杉下さんの上にいて、しかも藤田平さんなど新人をスタメンで起用し、若手の育成に励んでいたのに、試合に勝てないことを理由に休養を命じ、藤本さんを監督に戻したという。ちょうどジャイアンツが川上監督のもとで連覇をしている最中で、そらこんなことをしてたんではチームがごたごたして優勝を狙うどころやないわなあ。
 そういう経緯もあったんやろう、もとタイガース監督という経歴はあまり語られんようになったし、タイガースOB会にも顔を見せるはずもなかった。それだけに、1度でもタイガースOB会総会に出席してくれはったのはなんか嬉しかったなあ。もっとも、私の記憶にある杉下さんは長嶋監督に呼ばれてジャイアンツの投手コーチをつとめていた頃の姿かな。独特の歩き方でマウンドに行って投手に声をかけてはった映像が印象に残っている。
 もう一人はもとカープのエースで投手コーチもつとめた北別府学さん。享年65。死因は帯状疱疹がきっかけの体調不良。もっとも、白血病で闘病したり、感染症による敗血症にかかったりしてもう体力的にも限界にきてはったんやと思う。岡田監督と同い年になるんか。早すぎるよね。
 実は、私は北別府さんのプロ入り初先発の試合を甲子園でじかに見ている。中学生の時、友だちと甲子園に行き、ダブルヘッダーの第2試合の先発が高校を卒業してすぐの北別府さんやった。むろんまだプロ野球選手の名前もよう知らなんだ私にとっては初めて聞く名前。しかも非常に珍しい名前やから、一発で覚えた。その試合は確かタイガースが勝ったはず。帰りが遅くなるので、試合の途中で帰ったんやったと思う。
 抜群のコントロールでカープのエースとなり、何度もチームを優勝に導いたのはプロ野球ファンならご存知と思う。解説も非常に丁寧でわかりやすかった。そういう歴史に残る名投手の初先発の試合を見られたのは幸運やったんやなあと、今になって思うのでした。
 ご両名に、謹んで哀悼の意を表します。

 6月18日は「たちよみの会」例会の予定です。新型コロナウィルス感染症については5類に分類されましたが、実は患者数は増えていたりするので、今月も13:00~15:00の短縮バージョンで行います。ご参加お待ちしています。

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上岡龍太郎の死 [追悼]

 台風一過、という感じで本日は快晴。朝から昨夜録画したアニメ「江戸前エルフ」などを見てから、昼前に出かける。今日は月例の京都の医者行き。阪急の準急で上洛。今日は患者さんがいっぱい。帰路は特急で帰阪。比較的すいていて、往復とも座れたのでよかった。
 帰宅後、午睡はせず読書をしたりスマホで社説のダウンロードをしたり。今日のタイガースのナイター中継はMBS。午後6時56分から9時までという限定的なもので、枠が取られへんのやったら中継を独占せずどこかのBSチャンネルにも中継させたらと思う。なにしろ他の試合はみんなデーゲーム。ナイター枠はどのBSチャンネルも空いているはずやないですか。
 というわけで、DAZNと地上波テレビとDAZNのリレーで試合を完全に見る。9回表、クローザーの湯浅が3点差を追いつかれ、延長11回、マリーンズの投手が格落ちしたところでなんとかサヨナラ勝ち。サヨナラ打の小幡選手はヒーローインタビューで「嬉しかったです」という表現だけを使い、どの選手もなんとかの一つ覚えみたいに絶叫する「最高でーす」という言い方はしない。それだけで好感度大アップです。
 もと漫画トリオの一員で、タレントの上岡龍太郎さんの訃報に接する。享年81。死因は肺癌と間質性肺炎。
 横山パンチ時代の上岡さんについては記憶にない。漫画トリオは記憶があるけれど、幼な心に強烈に残っているのは横山ノックさんだけ。手持ちのCDに昔の漫才の音源が残っているけれど、マスターテープの保存状態が悪いせいか非常に聞き取りにくい。映像もたぶん映画出演したものくらいしか残ってへんのと違うやろうか。
 そやから、私にとっては「ノックは無用」「ラブアタック」などの関西ローカルのテレビ番組の司会から入った感じかな。
 上岡龍太郎さんの笑いはいわゆる「大阪の笑い」ではなかったと、今も思う。上岡さんは京都出身で、私もそうやからわかる。「京都の笑い」なんですね。自分を一段上に置いておいて突き放して笑うという性質のもの。これは島田紳助さんにも共通する。むろんどこかで自分を落とす落とし所はあるんやけれど、ベースになるのは突き放し方。その突き放し方の理屈が屁理屈であればあるほど、笑いを生む。「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流。恵まれない天才、上岡龍太郎です」というフレーズもそうやし、「口は出すけど金は出さん、阪神タイガースの陰のオーナー、上岡龍太郎です」というフレーズもそう。引退すると決めたら、一切テレビやラジオに復帰せんまま最後まで通したのも、京都人らしいええかっこしいのところを感じさせる。
 ただ、そこに横山ノックという大阪のボケ芸の代表みたいな人が理屈抜きでからんでくるとその屁理屈がますますおかしげなものになる。横山ノックさんが上岡さんを見出したというのは奇跡的な出会いやないかと思うのですね。
 そやから「私が東京に行かんのは、関東は民度が低いから」と「笑っていいとも」のテレホンショッキングでタモリにはっきりというて、さすがのタモリもどう返してええかわからんようすやったことがあったけれど、東京の番組からも引っ張りだこで平然と出演してはったのには笑うてしもうた。屁理屈がねじまがって笑いになる最たるものですね。それを東京のテレビ局は「毒舌の上岡龍太郎」なんてポジションに立たせてたりするんやからおかしいよねえ。毒舌やなく、偉そうにしたええかっこしいというスタイルを芸として演じているだけのことやのに。
 こういうなんか屈折したインテリ風の放談で笑わせる芸人というのは、もう出てこないやろうなあ。なんでかというと、その下地は反骨精神やから。
 もし上岡さんが現役を続けていて、橋下徹と共演していたらいったい彼をどう扱ったやろうと、何度も思うたなあ。
 謹んで哀悼の意を表します。

 2日前の日記で、事実誤認と見える書き方をしていたので、一部訂正しました。オリラジ中田は松本人志批判をしているだけで東西の笑いの部分は私が勝手に膨らませたものです。

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中西太の死 [追悼]

 今日は定休日。朝からアニメ「推しの子」など、たまっている録画を見る。「推しの子」は、原作が書かれた当時に問題になったんやろう、リアリティ・ショーで悪者扱いされてSNS上で炎上し、自殺した女性の事件を下敷きにした話の展開。番組の演出の裏側などよく取材したんやろう。リアリティがあって実に面白かった。
 昼食後は午睡。やはり昨日までの2日間、かなり無理をしてたんやろうね。爆睡。目覚めたらもう午後6時を過ぎていた。妻は日帰り帰省で不在。まず、サンテレビのタイガースの試合を追っかけ再生で見る。録画が追いついた時点で、幕下以下からの相撲中継の録画に切り替える。十両の土俵の途中でBSで録画した分が終わったので、またプロ野球中継に切り替えて追っかけ再生。で、タイガースがドラゴンズに3連勝したのを見届ける。ゲスト解説の井上前タイガースヘッドコーチは、本来ドラゴンズの人のはずなんやけれど、タイガースの選手を慈愛をこめて語るのが非常によかった。タイガースのユニフォームを脱いでまだ数ヶ月。心はタイガースにあり、というところか。次回は矢野前監督とコンビで解説していただきたいな。地上波で録画した相撲中継を見てしまう。カド番大関の貴景勝が惜しい相撲で2敗。一度は軍配が上がったのに、差し違えで負けたのは気の毒やった。当代の伊之助は先代と違い特に差し違えが多い。先代がつまらない失態でやめてなんだら立行司の座は玉治郎に抜かれていたかもしれんな。早いところ玉治郎を庄之助に抜擢しなさいよ、などと思う。
 もとライオンズ、ファイターズ、タイガース監督でスワローズ、バファローズ、ブルーウェーブなどの打撃コーチをつとめ、西鉄ライオンズ黄金期の中心打者やった中西太さんの訃報に接する。年齢的には私の親の世代の人なんで、現役時代については残された映像や文献でしか知る由もないけれど、すごい打者やったということは知っている。私の場合、指導者になってからのことが印象に残っている。
 打撃コーチとしてどれだけの強打者を育てたかわからん。アトムズ時代は若松勉、タイガースでは掛布雅之、岡田彰布、バファローズ時代はラルフ・ブライアントたちいてまえ打線の面々。ブルーウェーブ時代はイチローたち。
 反面、監督としては現役兼任やった西鉄ライオンズ時代にウイルソン、ロイ、バーマの3人の外国人選手の力もあって一度優勝しているけれど、ファイターズ時代は張本との関係もあまりよくなかったりして低迷、タイガースではブレイザー監督の後を引き継ぐ形で監督になったものの江本孟紀さんに「ベンチがアホやから野球がでけへん」の名言を吐かせたという逸話を残してしもうた。
 とはいえ、日刊スポーツ紙での野球解説を読むと、打撃に関してはいろいろなことを素人ながら学んだし、野球の見方が広がった。学生時代、東京の放送局が自局の系列の解説者を全員放送席に座らせて何もしゃべらせなかったオールスター戦の中継の翌日、ABCが甲子園開催の試合で稲尾和久さんと中西さんの二人だけの解説でわかりやすく、かつ深い解説を聞かせてくれたことが印象に残っている。プロデューサーのスポーツに対する愛情の違いがここまではっきりと出た例はないなあと思うた記憶は確かに残っている。
 今ごろは岳父の三原脩さんや盟友の稲尾、仰木さんらと酒を酌み交わして野球論を戦わせていることやろう。ぜひ聞いてみたいものです。
 謹んで哀悼の意を表します。

 5月21日は「たちよみの会」例会の予定です。新型コロナウィルス感染症については5類に分類されましたが、決して流行が終わったわけではないので、今月も13:00~15:00の短縮バージョンで行います。ご参加お待ちしています。

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松本零士の死 [追悼]

 今日は入学試験。8時に受付開始なので、7時半にはお山の学校についてんとあかん。よって30分早く起き、30分早く朝食をとり、30分早く家を出んならん。この繰り返しがもう8回目になるんやね。5時45分ごろ、暗い中を歩く。新年度は再任用。できればもう少し余裕のある出勤のできるところに異動したいものです。
 入試業務を1日こなす。主に試験監督。これ以上は書くまい。昨年、こまごまと書いて校長に注意され、大幅に訂正した。不思議なことに「すぐに直します」と言うたら、「処分が決まるまではそのままにしておけ」と言う。守秘義務を破ったんやから、すぐに直さんとまずかろう。つまり、こまごまと書いたという事実に問題があるので、書いた内容には問題がなかったということになる。殊勝な気持ちでいたのがそれで吹っ飛んでしもうた。
 まあ、もうそんな失敗を繰り返したくないので、ここまでにしておきます。
 帰宅後、しばらく寝床でどぶさっていた。夕食後、しばらく読書。明日は定休日なんでゆっくりさせてもらおう。
 漫画家の松本零士さんの訃報に接する。享年85。死因は急性心不全。
 小学生時代、クラスの友だちに宇宙戦艦ヤマトにはまった奴がいてた。私は「アルプスの少女ハイジ」を見ていたんで、話についていかれなんだ。中学で友だちになったかげぼし君はやはりヤマトの、そして松本零士さんの大ファンやった。高校時代、同じクラブに入り、おがわさとしさんなどと漫画の話で盛り上がる仲間となった。ちょうど「少年マガジン」に「クィーン・エメラルダス」が連載されていて、それを読んでいたので今度は話に加わることができた。そやけど、私は実は松本さんの描くメカとか女性にあまり魅力を感じてなんだので、ちょっと引いた感じになっていた。なにしろ骨の髄まで手塚ファンでしたからねえ。手塚漫画の女性たちの性別を超えた魅力には勝てません。
 妻は「宇宙戦艦ヤマト」からテレビアニメにはまっていったという。いつぞやの誕生日にDVDボックスを贈ったこともあったなあ。数年前のリメイク版を妻は非常に楽しんでいたけれど、私はそれほどでもなかった。実はこの歳になっても、まだオリジナル版のアニメをちゃんと見てへんのです。「銀河鉄道999」をサンテレビやったかで再放送していた時も、妻は録画してずっと見ていたけれど、私は見てへん。
 とはいえ、アニメやSFが市民権を得るのに、松本さんの残した功績は大きいと思う。「アニメは子どものもの」という概念を「ヤマト」や「キャプテンハーロック」、そして「999」が覆したんやないかと思うている。60になっても高校生たちと深夜アニメの話ができたりするのも、そのおかげやろう。
 そして、松本さん自身がいくつになっても少年の夢を持ち続けるような活動をしてはったのも、社会的に大きな意味があったと思う。そういう意味で、その存在感はやっぱり大きかったなあと感じるのです。
 謹んで哀悼の意を表します。

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