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山中峯太郎版ホームズの魅力 その2 [読書全般]

 前日に引き続き「怪盗ルパン全集」を読んでいる。
 活劇としては面白いけど、ミステリとしてはアンフェアかなあ。子どものころなら手放しで活劇に胸をときめかせていたんやろうけれど、おっさんとしては、正義漢の怪盗というのは魅力がないのね。悪人なら悪の魅力がないとなあ。南洋一郎さんの翻案で、子ども向けに正義漢らしさを強調しているのかもしれんけれど、シャーロック・ホームズに登場する悪人たちの方が魅力的であるなあ。
 南洋一郎というたら戦前の少年向けの小説で「吼える密林」などを書いた人気作家なわけやけれど、このルパン全集の文体も昔の少年向けのものやと読みながら思う。
 とくると、山中峯太郎版ホームズです。こちらの文体もやはり古風というたら古風なんやけれど、南洋一郎よりもぐっとくだけた感じ。
「ははッ。ワトソン君、今回ばかりはぼくを『ヘボ探』とよんでいいぜ」
 ホームズの言葉ですが、「ヘボ探」って、なあ。
「逆にこっちがやられた。ゼロ敗だ」
 野球でいうところの完封負けのことですな。ビクトリア朝時代のイギリス人が「ゼロ敗」なんて言葉を使うかね。
「この時計の持ち主はズベラな性格だね」
 おそらく関西弁でいうところの「すぼら」のことやろうね。「不精」くらいの意味か。「ズベラ」ってどこの方言なんや。ホームズは何県人?
 地の文のワトソンの語り口も全集の初期は口述筆記ということになっていて、「四つの署名」のメアリ・モースタンや「椈屋敷」のバイオレット・ハンタといった女性たちに語りかける口調なんで、非常にくだけている。
 このくだけ具合が非常に心地よかったんですわ。南洋一郎版ルパンの活劇紙芝居調とはまた違う魅力がある。文体に個性が満ちているというところにこの時代の「翻案」の楽しさがあるんやなあ。これが「超訳」という翻訳者の顔の見えない翻案とは違うところですな。最近は古典新訳文庫などでわかりやすく面白く読める新訳ということが強調されたりするけれど、「翻案」の面白さとはまた別次元の問題やしね。
 「翻案」の面白さを満喫できるものというと一番最近でも田中哲弥訳「悪魔の国からこっちへ丁稚」くらいかなあ。あれはぜひどこかで再刊してほしいものです。創元推理文庫あたりでどないですか、小浜君。
 早く南洋一郎版ルパンの復刊が終わって、峯太郎ホームズの復刊となってくれへんかなあ。
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