正司玲児の死 [追悼]
昨日は職場の忘年会。自分ではそんなに飲んだつもりはなかったんやけれど弱くなったんかなあ。一次会で遠慮することにしてタクシーで帰宅。へべのれけれけというところまではいってなかったけど、ひたすら眠く帰宅してすぐ着がえて寝る。
今朝の新聞で漫才師、正司玲児さんの訃報 に接する。享年71。死因は成人T細胞白血病リンパ腫。
相方の敏江さんとの「どつき漫才」は、私の小さいころやったのでそれほど記憶にない。それよりも離婚してから「慰謝料」ネタが中心やったことの方が印象に残っている。
ずいぶん昔、親戚一同でヘルスセンターに行った。20年以上前になるのか。その時に「正司敏江・玲児ショー」をやっていた。とにかく歌がうまかった。敏江さんとコンビを組む前は「ピスボーイ」とかいうコミックバンドにいたというから、もともと音楽関係に進みたかったんかもしれんな。
結婚して食いつめて敏江さんの師匠であるかしまし娘さんの許可を得て「正司」の亭号を名乗ることを許され漫才に転向。敏江さんも正司家の家政婦をしていたのを松竹芸能の勝社長の目にとまって「ちゃっかり娘」というトリオを組まされたという経緯があるから、二人とももともと漫才師志望やなかったみたいなんやけど、それやからこそ「邪道」といわれる「どつき漫才」もできたということやったんやろうと思う。
「どつき漫才」というこれまでにない形を作ったというだけでも上方漫才史に名前を残す存在やったといえる。
謹んで哀悼の意を表します。
今朝の新聞で漫才師、正司玲児さんの訃報 に接する。享年71。死因は成人T細胞白血病リンパ腫。
相方の敏江さんとの「どつき漫才」は、私の小さいころやったのでそれほど記憶にない。それよりも離婚してから「慰謝料」ネタが中心やったことの方が印象に残っている。
ずいぶん昔、親戚一同でヘルスセンターに行った。20年以上前になるのか。その時に「正司敏江・玲児ショー」をやっていた。とにかく歌がうまかった。敏江さんとコンビを組む前は「ピスボーイ」とかいうコミックバンドにいたというから、もともと音楽関係に進みたかったんかもしれんな。
結婚して食いつめて敏江さんの師匠であるかしまし娘さんの許可を得て「正司」の亭号を名乗ることを許され漫才に転向。敏江さんも正司家の家政婦をしていたのを松竹芸能の勝社長の目にとまって「ちゃっかり娘」というトリオを組まされたという経緯があるから、二人とももともと漫才師志望やなかったみたいなんやけど、それやからこそ「邪道」といわれる「どつき漫才」もできたということやったんやろうと思う。
「どつき漫才」というこれまでにない形を作ったというだけでも上方漫才史に名前を残す存在やったといえる。
謹んで哀悼の意を表します。
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