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1月17日の記憶 ブログトップ
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震災と自衛隊 [1月17日の記憶]

 今朝は朝食中にあの5時45分を迎え、少し黙祷。なんとか出勤できそうやったんで、通常通り出る。授業は3コマ。そこだけは気合を入れてなんとか普通に授業ができた。
 単元は「平和主義と安全保障」なので、自衛隊について説明するわけやけれど、教科書には災害出動について一切触れてへん。我々が自衛隊の活動として目にするのは、多くは災害出動やのにね。なんか、集団的自衛権ができるように解釈改憲したことについてその事実のみを記述してあったりして、そこはあまりさらりと流したくないんで、「安全保障」の意味がここで大きく転換したということを強調したり、元日に起きた能登半島地震で、どのような手順を踏んで自衛隊が災害出動したのかなどを解説した。むろん、29年前の阪神淡路大震災のことにも触れたし、東日本大震災のことについても触れた。1月17日に自衛隊について講義するのに、災害出動に触れんわけにはいかん。
 というか、震災について若者たちに語り継ぐのが私ら年配の者のつとめやと思う。私らの親が戦争について話してくれたのと同じ。生徒たちにとっては阪神淡路大震災はもう歴史上の出来事なんやから。
 授業がすべて終わった後はもうへろへろ。来週の授業に向け、生徒たちに見せるような動画がないかネットで探したりし、定時に退出。帰宅後、すぐに録画した相撲中継を見る。今日はデッキ2台を駆使して昨日みたいに録画が途切れんように予約を入れたので、すべてテレビで見ることができた。貴景勝が今日から休場。勝ちっ放しは豊昇龍、琴ノ若、朝乃山。霧島は翠富士に肩透かしを食らう。幕下に落ちた、震災の日に産まれた照強は今日は取り組みがない。審判部もそこらあたりはちょっと考えて今日に取り組みを入れたらええのになあ。
 夕食後、寝床にどぶさってたら動けず。明日はしっかり休みを取ろう。天気もようないみたいやし、外に出ることはまずなかろう。いや、この3日間はほんまにしんどかった。よう休まんと仕事ができたなあ。

 1月21日は「たちよみの会」例会の予定です。インフルエンザなどの感染症があちこちで増えておりますので、今月も13:00~15:00の短縮バージョンで行います。ご参加お待ちしています。

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風化する前に上書き [1月17日の記憶]

 今日は定休日。目覚めた時にはもう阪神淡路大震災が起きた時刻を過ぎていた。昨年までならその時刻には出勤の準備をしていたりしていて、できる限り黙祷したりしていたもんやけれど。
 あれから28年。若い同僚やと、震災後に産まれていたり、ものごころついてなかったりする人も増えてきている。これって、戦後生まれが社会の中心になってきて、政治家などでも戦争体験から「二度と戦争をしてはいけない」という意識を持つ者がいなくなってしまうという図式に近くなっているのかもな。
 もっとも、不幸なことに震災ということで言えば、東日本大震災というまた違う形の被害経験があったりしているので、阪神淡路大震災の記憶が風化していっても、東日本大震災の惨禍が上書きされ、「南海トラフ地震」への構えは忘れられんという状況にはなっている。それに、数年前には北大阪地震というかなり強めの地震もあったりして、天が「忘れたらあかんぞ」と警告してくれたりしているかのようではあるからね。
 午前中は例によってたまっている録画をひたすら見て、午後は午睡。昨日、寒風にさらされて体力をもぎ取られたということもあるからか、一日中体がだるいし重い。夕刻、大相撲初場所10日目の録画を見る。震災の日に産まれた照強は、土俵際の投げで勝ったかと思われたけれど、物言いがつき、一瞬早く手をついていて、無念の黒星。今日だけは何としてでも勝ちたかったという執念を感じさせる相撲やった。惜しかったけれど、その気持ちは伝わった。もっとも、見る側の私がそういう思い入れであったからそんな風に見えたのかもしれんけど。
 夕食後も相撲を見続け、その後は寝床で社説のダウンロードなど。寝落ちはしなかったけれど、やはり体がだるくて重くてなかなか寝床から起き上がれん。明日からまた寒さが厳しくなってくるという気象情報もある。しんどいことであるなあ。

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憶えていますか? [1月17日の記憶]

 あれから10年。テレビでNHK以外のどの局をつけても「たーのしーいなーかまーが、ぽぽぽぽーん」というACの広告がしょっちゅう流れていた。
 憶えていますか?
 タイガースの赤星外野手が赤い車椅子を寄贈している宣伝が何度も何度もテレビで流れていた。
 憶えていますか?
 私ら大阪に住む者は日常を送っているのに、テレビの画面では何度も繰り返して東北の町が海に呑まれていくところをこれでもかこれでもかと見せつけていた。
 憶えていますか?
 サンテレビやKBS京都はすぐに通常の編成に戻し、テレビ東京系も深夜アニメや旅番組を放送して、日常というもののありがたさをとくと感じさせてくれたことを。
 憶えていますか?
 当時の菅直人首相が批判されながらもいち早く被災地に行っていたことを。
 憶えていますか?
 当時の枝野官房長官が毎日ほとんど徹夜で仕事をしていて「枝野寝ろ」がトレンドワードとなったことを。
 そして今、新型コロナウィルス禍が長引く中で、五輪大会さえ開けば自分の政権が安泰になれるということしか考えてへん菅義偉首相のもと、総務官僚たちは接待漬けになり、与党の議員は特権階級だと言わんばかりに夜の街で会食をしている。
 10年前は、まだ政治家は国民の方を見ていたように思う。
 あれから10年。大阪にはコストカットを改革と言い放つモンスターが現れ、最長不倒政権は未曾有の危機の前にガーゼマスクの配布など悪夢のような手しか打てなんだ。
 そして私は、今日は長時間の会議でまったく頭が働かなくなって帰宅し、夕食後布団の上にどぶさっていました、とさ。
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風化と社説 [1月17日の記憶]

 朝、目が覚めて時計を見たら、午前5時44分。急いで起きて手洗いをすませてテレビをつける。ちょうど黙祷を始めたところ。トランペットの音が響く中、黙祷はせずにテレビの画面をじっと見つめる。
 阪神淡路大震災から26年。毎年書いているけれど、風化するのは仕方ない。そやけど、今日という日だけはあの朝のことを思い出すよすがにせんならんと思う。
 26年たつと、新聞の社説に掲載される論調にも濃淡が出てきていて、興味深い。全国紙では唯一毎日新聞がとりあげてへん。明日の社説には書くかな。神戸新聞や京都新聞など近畿の地方誌はむろんとりあげているし、近畿に近い岡山の山陽新聞もとりあげているけれど、広島の中国新聞、福岡の西日本新聞、北海道新聞は別の話題。東日本大震災を経験した宮城の河北新報はわがことのように書いている。中日新聞(東京新聞)の社説がかなり丁寧にとりあげてくれている。沖縄の2紙、沖縄タイムスと琉球新報は別の話題。毎日巡回している新聞の社説を見ただけやけれど、全国紙の方が義務的にとりあげているように感じられる。それなら毎日や各地方紙のように一切触れん方が逆にきっぱりしていていい。
 平成は地震と豪雨の時代。そして令和は感染症の時代なんて切り分け方は乱暴かもしれんけれど、地震や豪雨は損害状況が目に見えるけれど、感染症は見えざる敵に毎日おびえているという感じで、感染症の方がたちが悪い。
 今日は全日休養日。本来なら「たちよみの会」例会で京都に行っているんやけれど、ここ数日告知していたように、「緊急事態宣言」で不要不急の外出を控えるようにというお達しが出ているので、自分の身を守るという気持ちもあり、休止にした。京都の感染者は本日過去最多となったということで、休止しててよかったのかもしれん。
 午前中は例によってテレビを友とし、午後は午睡。夕刻起きてきてスマホで新聞のサイトを巡回したりしたあと、録画した相撲中継を見る。明瀬山と正代が敗れ、大栄翔は輝の押しに危なかったけれど、辛うじて土俵際で逆転勝ち。今のところ相撲の神様は大栄翔に頬笑みを向けているらしい。逆に見放されているのが貴景勝で、玉鷲に押し負けて6敗目。横綱昇進どころか負け越しの危機やね。押し相撲は連勝連敗の多いもんやけれど、貴景勝は迷いの森に踏みこんだみたい。
 一日休んでも休み足りないなあ。そやけど3年生はいよいよ大詰め。ここはこちらも気合を入れていかんとね。

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1月17日に生まれて [1月17日の記憶]

 早朝起床し、昨夜録画した深夜アニメを見つつ、5時46分には黙祷。
 あれから25年か。日刊スポーツの裏一面は大相撲の幕内、照強が特集されていた。あの阪神淡路大震災の起こった日に震源地の淡路島で産まれたので、クローズアップされているのですね。私は照強がまだ幕下以下の時から注目していたので、今さら大きくとりあげてもなあと思うたりもするんやけれど。ちなみに阪神タイガースの近本光司外野手は震災の2ヶ月前に淡路島で産まれている。
 今日は授業はひとコマだけやけったけれど、放課後に1年生の保護者会があり、そこで奨学金に関する説明を依頼されていたので、その準備などに追われる。保護者会で説明したあとは、入試の担当者の打ち合わせに遅れて参加。帰り際には来年度に入学する生徒の修学旅行に関する調査の依頼を受け、来週はそこらへんの仕事もしていかんならん。いろいろとやることが多いなあ。定時に退散。
 帰宅して録画した相撲中継を見る。中入りの時間には、「照強~1月17日に生まれて」と題して特別インタビュー。照強関にしたら、その日に産まれたことで特別な役割を課せられてしもうたわけになる。その日に産まれたということは、震災の記憶もあるわけがないんやけれど。それでも、その日に産まれたことを宿命として受け止め、自分が活躍することで故郷の人たちを力づけたいと語る。偉いなあ。大河ドラマ「いだてん」で、1964年東京五輪の聖火ランナーの青年が8月6日生まれであることで点火役に選ばれ、自分個人を見てほしいと訴える場面があったけれど、照強関かてそう言うてもええのにね。でも、プロの力士として震災の記憶の象徴であることを自覚しているのはたいしたものです。
 あの日から25年、日本各地で自然災害がたびたび起こり、阪神淡路大震災で得られた教訓が生かされている。阪神淡路大震災そのものの記憶は風化したとしても、そこから得られたものが風化することなく生きているということを多くの人が意識していれば、1月17日という日付の持つ意味は風化していくことはないんやろうなあと感じた次第。
 私はこの日になるとこの日記で必ず震災についてなにかしら書くことにしているけれど、それは自分の中で震災を風化させたらあかんという意識があるからなんですよね。そしてまた来年以降も書き続けるのです。
 相撲は正代が単独で勝ちっ放し。どこまで続くか快進撃。追うのは貴景勝、遠藤、照強、輝ら。後半に向けて優勝争いが白熱していくのを楽しみにしていますぞ。

 1月19日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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新潟で震度六 [1月17日の記憶]

 大阪北部を震度六の地震が襲うてまる一年。ちょうどその日に新潟で震度六の大地震が起きるとは。
 ぱんぱんにつまった授業をなんとか終えると、奨学金の資料一式を会議室に運びこむ。専門学校志望の生徒たちに向けた説明会を行う。明後日には大学・短大志望の生徒に対する説明会の予定。とりあえず今日の説明会は完了。
 資料一式を仕事部屋に持ち帰り、一息つく。もう何もでけん。定時に退散。すっと帰宅して、追っかけ再生でプロ野球中継を見る。試合はさくさくと進み、3時間くらいで終わる。先週とえらい違いや、負けたけど。
 今日は「スポニチタイガース川柳」の掲載日。先週は満足のいく投句がでけなんだからどうせ落選してると思うたら、佳作入選。
 土壇場で あっぱれ浜地 オリを断つ
 なんでこれが選ばれたかようわからんけれど、今シーズン2度目の入選。今週も続いてと勢いこんでも肝心のタイガースが負けると気持ちが乗らんなあ。
 で、パソコンを立ち上げてみたら、新潟で地震。現地の様子はニュースではほとんどわからず。
 それにしてもきっちり1年後に場所を変えて大規模地震が起こるとは。新潟には友人もいてる。心配であります。

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怖さ自慢 [1月17日の記憶]

 早朝、朝食前に黙祷。あの地震の起きた時刻とはずれていたけれど、細かいことは言いっこなしや。とにかく忘れたらあかん。それだけ。昨年6月の地震で、薄れかけていた恐怖がよみがえった。家の中で揺れるのも怖いけれど、外で歩いていて揺れるのも怖い。どっちにしても怖い。一番怖かったのは入浴中に揺れた時やったなあ。一番無防備なんやから。
 というわけで、阪神淡路大震災からまる24年たちました。あれから東北では津波と原発事故があり、熊本では城が壊れた。北海道では電気が止まった。町の地震、海の地震、山の地震とそれぞれに被害の規模や形は違えど、地震の恐ろしさをその度に思い知らされる。とはいえ私が受け持っている生徒たちは当然震災後に産まれた子どもたちなわけで、6月の地震で初めて地震の怖さを知ったということになる。そやからというて「大震災はあんなもんやなかったんやでえ」などと怖い思い自慢をしても仕方ない。
 今日の各新聞には防災について社説でとりあげているものがもちろん多かった。東北は河北新報、九州は西日本新聞。豪雨で大きな被害が出た中国地方は広島の中国新聞と岡山の山陽新聞がそれぞれ気合の入った論陣を張っていた。それに比べたら全国紙の論説の通り一遍なこと。
 やはり他人事なんですよ。でもしかたない。24年前、あの揺れを体感してなかったら、私にとっても他人事。そういうものです。
 というわけで干支でふたまわり目。平成も終わり、大震災は少しずつ「歴史」の一部になるんや。大正時代の関東大震災のように。でも、神戸ではまだあれをただの「歴史」にすることのでけへん人がまだまだいてはるということは忘れたらあかんのです。

 1月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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記録は風化しない [1月17日の記憶]

 また今年も阪神淡路大震災の日がめぐってきた。
 今年に入り、慰霊碑に「馬鹿」など書かれた落書きが発見されたという。
 毎年のように書くけれど、記憶というものは年々風化していくものやから、こういう落書きをする輩が現れても何の不思議もない。おそらく震災の記憶どころか、震災そのものを体験してへんもしくは幼すぎて記憶してへんというような者の仕業やろう。そして記憶の伝達に失敗したため、あの日に失われた多くの命や、親しいものを失うた遺族のことなど「他人事」でしかないんやなかろうか。
 各新聞の社説でも、以前とはトーンが変わってきている。
 以前は「この震災の記憶を風化させるな」という主張が多かったんやけれど、東日本大震災以降は「教訓を生かせ」が大勢を占めているように思う。そのかわり、「東日本大震災の記憶を風化させないように」という論調がかつての阪神淡路大震災のポジションに立っているような感じや。
 これもまた当然といえるやろうね。記憶に新しい方が風化の度合いは少ないし、だいたい論説委員なんて東京の人が中心やろうから、阪神淡路大震災なんて正真正銘の「他人事」なんやろうからね。
 ただ、数年前に読んだ、関東大震災の時に書かれた、震災の様子を描いた小説などに触れると、当時の状況が目の前に現れてくる。年老いて「記憶」を「物語」で強化して風化や忘却から防ぐ「語り部」の言葉が若い世代の心に響かなくなったとしても、まだ記憶が生々しいうちに書かれた物語や記事や映像がいずれ心を揺さぶるんやないかと思う。その時に刻まれたきれいごとやない記録は、記憶のように風化したりはしないと思う。
 そんなことを考えながら、23年目の1月17日のまだ夜の明けぬ朝、雨の強く降る中、駅に向かうて歩いていたのでありました。

 1月21日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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復興大臣の本音 [1月17日の記憶]

 朝から雨。夕刻、帰る頃にも、降るや降らずやという微妙な小雨。そのせいか体が重い。日照がないもんやから、仕事部屋も寒々としております。念のために冬用の下着を着用していたんやけれど、ちょうど間に合うたね。
 新聞では復興大臣の失言辞任が大きくとりあげられていた。思うていても口にしてはならんことをいうたんやから、まあやむを得んな。
「これがまだ東北で、あっちの方だったから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な、甚大な被害があったと思っている」
 この人、2回目やからね。自主避難した人らは自己責任と突き放した人やもんね。腹の中でこれくらい思うていたとしても何の不思議もない。それを口に出してしまうんやから、どうしようもないな。
 何回も書いてきたけれど、阪神淡路大震災の時、東京のマスメディアは被災地そっちのけで「もしこのクラスの地震が東京で起きたら」という番組を作ったりしていた。さすがに東日本大震災では関東にも被害が出たからそういうしょうもない番組は作られなんだけれど。
 国会会期中に、永田町に直下型地震が起きでもせんと、まあわからんやろうね、この人らは。
 そう、つまりは他人事なんです。他人事やからこそ、思いやらなあかんのです。他人事であることを自覚した上で、そこから自分に何ができるかと考えなあかんのです。2年前、仕事で東北に行って、地元の人とじっくりと話をする機会があった。そやからよけいにそう思う。
 アホに議員や大臣をやらしたらあかん。

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今こそ「ぽぽぽぽーん」を [1月17日の記憶]

 大相撲小言場所「平成二十九年春場所場所展望~新横綱、稀勢の里~」 を更新しました。

今日は完全休養日。昼食後、午睡爆睡。今週末は二連休なんで、少しでも疲れを取っておきたい。
 そして、今日は東日本大震災の日。もう6年、まだ6年。どちらやろう。どちらも、やろう。ただ一つ言えるのは、福島第一原発の処理はまだまだ終わってへんということ。まだまだ時間がかかるやろう、ということ。
 原発再稼働を主張している読売と産経の2紙が、社説では今日に限ってそのことに触れへんのはおかしいと思うんやけれど。被災者の心に寄り添えというならば、原発再稼働なんて口が裂けても言われへんと思うんやけれど。そやから、まだ6年。
 記憶は必ず風化する。6年前には「がんばろう東北」と言うていた人でも、6年たてば「被災者には賠償金があるだろう」と平気で言えるようになる。そやから、もう6年。
 今日くらい、テレビはすべてのCMをあの日からしばらくやっていたように「ぽぽぽぽーん」ばかり流したらどうやろう。

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