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吉田義男の死 [追悼]

 今日も出勤日。この冬一番の寒波。あちこちで積雪のニュースがある中、大阪市内も坂道の学校近辺もちらりとも雪は降らず。ただ、寒いばかり。こういう日に限って登校指導の立ち番。ダウンパーカーを着て、手袋をしていても寒い。
 火曜日は午前中3コマ連続授業の日。例によって午後はぐったり。それでも教材の印刷やら、同じ科目を教えている先生と試験範囲の調整などをしたりする。
 定時を少し過ぎて退出。帰路も寒い寒い。
 帰宅してからは読書。夕食はうどん。寒いときはうどんに限りますねえ。
 夕食後は社説のダウンロードなどをしてから読書の続き。感想は明日以降に。
 元プロ野球の名内野手にしてタイガース監督も務めた吉田義男さんの訃報 に接する。享年91。死因は脳梗塞。
 さすがに現役時代は見てへんけれど、亡き父からそのすごさは聞いていた。人呼んで「今牛若丸」。私が知るのは第一次の監督時代から。当時の背番号は、ビリー・マーチンにちなんで1番。江夏豊さんの伝記などでは「チビ1」などというあだ名をつけられていたみたい。1976年には中村勝、藤田平、ラインバック、田淵、ブリーデン、掛布、池辺、東田といった布陣であと一歩で優勝というところまで行った。そのころに私は甲子園で4人連続ホームランという試合を見ている。ほんまに惜しかったなあ。翌年はBクラスに落ちて退任。1985年の第二次監督時代に真弓、弘田、バース、掛布、岡田、佐野、平田、木戸の「新ダイナマイト打線」で日本一に。「チーム一丸」「挑戦者」を繰り返してついに優勝。神宮球場の胴上げをテレビで見ていて、涙が止まらなんだ。生きているうちにタイガースの優勝が見られるなんて思わなんだからねえ。そのあとはフランスのナショナルチームの監督を務め「ムッシュ吉田」と呼ばれるようになり、藤田平監督の後を受けて第三次の監督に。暗黒時代真っただ中で、ドラゴンズから大豊と矢野を獲得したり、補強もあれこれとしたけれど、結局チームを浮上させることはできなんだ。監督として最後となったシーズンの最終戦は私も甲子園に見に行ってました。
 確か私の父と同い年くらい。京都の山城高校から立命館大中退でタイガースに。2023年の岡田監督の日本一の時も甲子園に足を運び、日刊スポーツで解説をするなど、年齢を感じさせない元気さで、今季はタイガース90年という記念行事で、藤田平さんや鳥谷敬さんと一緒にセレモニーに出る予定やった。
 最初は関西テレビ、のちにはABCで解説をしてはった。野村克也監督が就任したころやったか、アナウンサーに「同じ京都出身で……」と言われて、「えっへへへ」と笑うていなしてはったのを覚えている。吉田さんは京都市内、野村さんは丹後の出。「同じやおへんで」と言いたいところを笑いでごまかしてはったのかな。
 あと、岡田彰布さんが2008年に監督を辞任した翌年、吉田さんとのダブル解説で岡田さんが後任監督の真弓采配をボロカスに言うていた時、しばらく吉田さんと岡田さんの解説が全くなく、アナウンサーの実況だけになったときがあった。二人して放送席から離れていたのかな。で、解説に戻ってから岡田さんの口調がおとなしくなった。あれは吉田さんが岡田さんに指導をしてはったんやと今も信じている。
 これでタイガースOBでは小山正明さんが最長老ということになったかな。小山さんは今もデイリースポーツで解説をしてはる。もう一度サンテレビの解説席で共演してもらいたかったなあ。
 吉田監督には3度の監督時代にそれぞれ楽しませてもろうた。タイガースを愛し続けたムッシュ吉田。決して忘れることのでけん監督です。
 謹んで哀悼の意を表します。
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冬木透の死 [追悼]

 今日は午前中に「光る君へ」を最終回まで一気に見てしまう。これで「べらぼう」をほぼリアルタイムで見られるぞ。よしよし。
 昼前には、毎年恒例の正月向けの買い物のために梅田へ。阪神百貨店でタイガースカレンダーのほか、私と妻の実家への手土産を買う。今年は定番のクッキーの詰め合わせにする。とにかく人が多いのと、阪神百貨店の改装でタイガースコーナーが遠くなったり、昼食をとるための地下のフードコートが離れていたり。うろうろと歩き回って疲れた。
 東梅田の地下の「旭屋書店」に寄ったりしてから帰宅。帰宅後、午睡。夕刻からは読書をしたりスマホをいじったりして過ごす。郵便局でやっとこさ年賀はがきを買うたけれど、まだ図案が決まらず。巳年は毎回悩むのです。12年前はウロボロスにしたんやけれどね。今年はあまり凝らず、ネットの無料デザインサイトで拾った画像を使うか。なんかありきたりなデザインになるなあ。去年は辰で、遺跡の壁画やとかキングギドラやとか面白いのがあってどれにしようかと楽しみながらもいろいろ悩んだんやけどね。今年は逆です。
 というわけでプリントアウトは明日。投函は年が明けてからになるなあ。
 作曲家の冬木透さんの訃報 に接する。享年89。死因は誤嚥性肺炎。
 「ウルトラQ」と「ウルトラマン」の音楽はジャズ畑の宮内國郎さん。そして「ウルトラセブン」や「帰ってきたウルトラマン」はクラシック畑の冬木さん。方向性は逆やったけれど、どちらも子ども心に「かっこいいなあ」と感じたものです。特に「ウルトラセブン」の挿入歌の「ワン・トゥー・スリー・フォー」で始まる曲「ULTRA SEVEN」は全部英語の歌詞で、意味は分からんまでも親に買うてもろうたソノシートに書いてあったルビ付きの歌詞カードを見ながら空で歌えるまで練習したものです。「帰ってきたウルトラマン」のBGM「ワンダバ」とか、今、おっさんになってから聴いても子ども向けの番組やからというて子ども騙しにはしない良質の音楽。むろん初期のウルトラシリーズは脚本から演出まですべて子ども相手やからこそほんまもんを作るんやという熱気が感じ取られる作品なんやけれど、楽曲にもそれが表れていたと思う。「ウルトラセブン」の主題歌にはトラでN響のホルン奏者が入っていたというのを聞いたことがある。記憶に頼っていて文献とかは示せんけれど、今聴いてもホルンの音はええ音ですよ。ほんま、私らは贅沢なものを幼時からいっぱいいただいて育ったんやなあと感謝するしかない。
 謹んで哀悼の意を表します。
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森田拳次の死 [追悼]

 今日は定休日。朝は6時半ごろに起きて、朝食をとりながらたまっているアニメをほぼ見る。久しぶりに録画のたまっている「光る君へ」も1話だけ見る。まだ9月に録画した分までしか見てへん。なんとかせっせと見て、次の「べらぼう」はリアルタイムに近いときに見たいものです。蔦重が主人公ということは当然写楽も出てくるはずなんで、江戸時代でも特に好きなところなのですよ。
 昼食後、午睡。夕刻目覚めて社説のダウンロードなど。
 夕食後はずっと読書。一気に読み切ってしまいたかったけれど、まあ焦ることはないか。
 漫画家の森田拳次さんの訃報に接する。享年85。死因は老衰。ネット上のニュースでは「丸出だめ夫」や「ロボタン」の作者という報じ方がされていたけれど、それは間違いやないしテレビ化されたからある程度の年代以上の者にはその方が通りがいいんやけれど、実は代表作はそちらではないんやなあ。膨大な量のヒトコマ漫画の描き手として評価されていた人なんで、そちらをもっと強調してほしかったし、ネット上の報道では、ちばてつやさんのブログからの引用ばかり。ヒトコマ漫画の描き手なんていうのは世間的にはマイナーな存在やろうけれど、その人物をちゃんと評価するためには、一時的にメディアの表面に出たものよりも、その人のライフワークをちゃんと紹介すべきやないかと思うた次第。
 謹んで哀悼の意を表します。
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桂雀々の死 [追悼]

 今日も定休日。午前中は例によってたまっているアニメの録画を見て過ごす。昨日あまり見られなんだので、まだまだ未視聴のものが残っている。昼食後、午睡。夕刻起きて録画した相撲中継を見る。三段目で優勝をかけて炎鵬が土俵に上がるけれど、藤闘志に敗れて優勝を逃す。それでも来場所は三段目上位か幕下復帰がみこまれるのは、ファンとしては嬉しい。幕内では琴櫻と豊昇龍が1敗を守る。このまま千秋楽までいって結びの一番で相星決戦になるのを期待している。
 夕食時にはサンテレビ「熱血!タイガース党」を見る。今週のゲストは中野拓夢内野手。内野フライを背面で追いかけて捕球した場面を湯浅アナウンサーとともに深掘り。プロの技のすごさを改めて知る。
 夕食後はしばらく読書。それから社説のダウンロードなど。なかなか疲労が取れんのは歳のせいなんやろうなあ。
 落語家桂雀々さんの訃報に接する。享年64。死因は糖尿病からくる肝不全。東京に進出してから、こちらでの露出が減っていたけれど、かつては生の高座でもよく笑わせてもろうた。師匠の枝雀師とはまた違う形で明るくにぎやかな「雀々落語」を作り上げたと思う。生で聞いて一番笑うたのは「運回し」やったかな。「南瓜」という言葉が出てくるところをそうと思わせておいて「パンプキン」とやった。この工夫には驚き、笑うた。映画では「かぞくのひけつ」で主人公の父の役が印象的。女性にだらしない男で、そのせいで家族が大荒れになる話なんやけれど、雀々さんの愛嬌のあるキャラクターで話がちっとも嫌な感じにならん。今は亡きテントさんも怪演してます。今はDVDも手に入りにくいかな。著書「必死のパッチ」ではかなり悲惨やった子ども時代を綴っているけれど、こちらもそれが陰鬱な感じにならんのは、いつも前向きな雀々さんの筆致が効果的やったからやろう。もし三代目枝雀を継ぐ落語家がいてるとしたら雀々さんやろうと思うたりもしたけれど、枝雀の名はワンアンドオンリーか。そういう意味では雀々の名も誰かが継げる気がしないなあ。いよいよこれから円熟期に差し掛かる年齢やというのに、ほんまもったいない。地獄八景に出てくる寄席にまた一人看板が加わった。そんなに早く枝雀師のもとに行かんでもよかったのになあ。
 謹んで哀悼の意を表します。
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北の富士勝昭の死 [追悼]

 今日はいつもより少しばかり早めに起き、消防点検ができるように積ん読などを移動させてひと汗かく。それから朝食をとり、いつもの時間に出勤。体がぬくもっていたんで、少し歩くともう汗ばむ。寒いくらいの気温やったんやけどね。
 今日は1日同内容で4公演。間に会議があったりして空き時間はへろへろでなかなか仕事がはかどらず。それでも来週の授業プランはなんとかたてられた。定時に退出。
 帰宅後はしばらく寝床でどぶさりながら社説のダウンロードなどをし、夕食時に録画した相撲中継を見る。琴櫻、豊昇龍、隆の勝がそれぞれ勝ち、1敗で3力士が争う展開は変わらず。阿炎らが敗れ、2敗力士がいなくなる。大の里は4敗目を喫する。明らかにスタミナ切れという感じ。場所前の予想通りやね。新大関で優勝というのはほんまに難しいのですよ。
 相撲を見た後、寝床で本を読もうと思うたけれど、疲労には勝てず寝てしもうた。目覚めたところでスマホにLINEニュースの通知が来ていて、元横綱で相撲解説者の北の富士勝昭さんの訃報とわかる。享年82。四半世紀にわたってNHKの解説で楽しませてくれたけれど、ここのところずっと入院したりしてて休場続き。しかも琴風さんが正式に解説者としてNHKと契約したので、これはもう北の富士さんの復帰が難しくなったということなんやろうなあと覚悟はしていたけれど、現実のものとなると、やはり辛いね。もう一度、あの辛辣で、でも相撲愛にあふれた切れ味の良い解説を聞きたかったなあ。
 私が相撲を見始めた時はもう晩年で、現役時代の記憶はほとんどない。それよりも親方として千代の富士と北勝海の両横綱をはじめとする弟子を育て、九重部屋全盛時代を築いたというあたりの印象が強い。親方時代に解説席に座ったときから、その回転の速い頭脳から発せられるユーモアのある表現や、ズバリと本質を突くような言葉で楽しませてくれた。千代の富士が引退したら、自ら身を引いて九重部屋を継承させたり、理事選挙で落選したら協会からも身を引いてNHKの専属解説者になったりと、その行動力の潔さにまたしびれた。
 もし、ライバルの横綱玉の海が現役死しなければ、本格的な「北玉時代」を作っていたやろうと惜しまれている。そうすれば台頭してきた輪島や北の湖に対しても分厚い壁として君臨していたやろうし。相撲中継で畏友玉の海の話をする時だけはやはり辛さを隠せなんだのも印象に残る。村松友視さんの「北の富士伝」をよむと、その人柄にどれだけ多くの人が惚れこんでいたかわかるはず。最初に入院して休場した時、相撲中継内で電話で「もう駄目だよ」みたいなことを言うと、吉田賢アナウンサーから「あなたのファンは多いんだから軽々にそんなことを口にしないでください」とたしなめられて平謝りしてたこともあったなあ。その時はすぐに復帰できたけれど。八百長で角界が揺れていた時もコロナ過の時も北の富士さんの相撲愛はぶれることはなかった。暴露本などで現役時代の暗い噂が書かれたりしていたりもしたけれど、相撲への情熱に嘘はなかったというのは言葉のすべてにあふれていた。
 晩年の白鵬の相撲に対してもはっきりと物言いをつけられる存在やった。こういう「男の色気」を体現したような人はもう現れんのやないかと思う。北の富士さんと舞の海さんのコンビは、玉の海さんと神風さんのコンビと並ぶ名解説やった。相撲の楽しさをただのファンである私らにどれだけ伝えてくれたか。感謝してもしきれん。
 謹んで哀悼の意を表します。
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谷川俊太郎の死 [追悼]

 今日も出勤日。昨日に続いて寒く、マフラーと手袋をして出勤。朝は小雨が降ったりして、余計に寒い。こういう日に登校指導の立ち番なのはきつい。午前中、3コマ連続で同じ内容の授業をする。昼食をとったらもうへろへろ。午後は明日以降に使う教材作成など。定時に退出し、帰宅後寝床で社説のダウンロードなどをする。
 夕食時に相撲中継の録画を見る。大の里が3敗目。1敗には琴櫻、豊昇龍、隆の勝が並ぶ。阿武剋は隆の勝に瞬殺されて脱落。キャリアの差が出たな。2敗は阿炎と尊富士。さすがに尊富士は強い。新入幕優勝はフロックやなかったということやね。向正面解説に元碧山の岩友親方が座り、部屋の鉄砲柱がその圧力で傾いた写真なんてのまで出てきた。碧山怪力伝説として語り継がれる……のかな。
 夕食後、しばらく読書。ついうとうと。気候の急変で自律神経がびっくりしてるんかなあ。
 詩人の谷川俊太郎さんの訃報に接する。享年92。死因は老衰。
 むろん谷川さんの作詞した「鉄腕アトム」の主題歌が私にとってのファーストコンタクトということになるんやろうけれど、それが谷川さんの詩とかいう意識はなかったわな。その名を覚えたのはチャールズ・シュルツの漫画「ピーナッツ」(チャーリー・ブラウンやスヌーピーの出てくるアレです)の翻訳やったと思う。鶴書房から出ていた最初の版のものですね。そのあとは教科書に載っていた詩とか、市川崑監督の映画「火の鳥」の脚本とか、講談社文庫版のマザーグースの訳とか。
 一番好きやったのは和田誠さんと組んだ絵本で「これはのみのぴこ」という作品。1ページ目に「これはのみのぴこ」と蚤の絵が描かれていて、ページをめくると蚤のぴこがいついている猫が出てくる。さらには猫の飼い主やのなんやのページをめくるごとに連想ゲーム的につけ加わり、最後にまた蚤のぴこに戻ってくるというもの。言葉のセンスが違うんやなあ。しかもそれが和田誠さんの絵によってさらに楽しいものになっている。何度読み返したことか。ただの詩人やなく、ほんまに何を書いても多才ぶりを見せられ、その完成に圧倒されていたと思う。
 鉄腕アトムを「科学の子」と表現したセンス。「空を越えて星の彼方」と広がるイマジネーション。「鉄腕アトム」の歌詞が谷川さんによって作られたことは非常に幸せなことやったんやないか。手塚治虫先生と谷川さんという2つの大きな才能が奇跡的に出会った、その時代に生まれた私たちがなんと恵まれていたことか。
 謹んで哀悼の意を表します。
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楳図かずおの死 [追悼]

 今日は出勤日。懇談週間という事で、授業は午前中のみの短縮。とはいえ火曜日の私のスケジュールは午前中に3コマ連続授業というものなので、そういう意味では普段とさして変わらず。
 午後は教材作成などをしてから退出。帰りにコンビニに寄り道をしたりしていたので少し帰りが遅くなってしもうた。夕食前後に社説のダウンロードや読書などをして過ごす。明日出勤したら、また休み。今週は土曜出勤が入っているので、なかなか生活リズムが安定しませんねえ。
 漫画家楳図かずおさんの訃報 に接する。享年88。私がまだ子どもやったころ、「少年サンデー」で連載したはった「おろち」が楳図さんとのファースト・コンタクトでありました。そらもうあなた怖かった。「おろち」という不思議な力を持つ少女がいろいろな家庭に入りこみ、人の持つ醜さを観察するというシリーズで、そんなに怖かったら読まなんだらええのに、人間の本質をえぐり出す筆致に思わず続きを読まずにいられなんだのです。私の母はこういう怖い話が好きやったみたいで、母に頼まれて「おろち」のコミックスを全巻買いに行ったり、「鬼姫」などほかの作品も買いに行きました。ちなみに「少年サンデー」では「ウルトラマン」のコミカライズもしていて、テレビのウルトラマンとは違い、やはり怪奇趣味が満載のものでした。大人になってから復刊されたのをそろえた。実は「ウルトラセブン」は桑田次郎さんがコミカライズしていて、こちらはとてもスタイリッシュなウルトラセブン。どちらもテレビの方とはかなり味わいが違うのが面白い。
 で、「アゲイン」という新連載を読んだら、おじいさんが若返って学校でドタバタな大騒ぎをするというナンセンスギャグで驚いた。ホラーとギャグは表裏一体であるという事をこの時に知った。ホラーも視点を変えるとギャグになる。それを実作で示したのが「アゲイン」と、そのスピンオフとして始まった「まことちゃん」やったのですね。そあ、「まことちゃん」は「アゲイン」の主人公の孫やったのです。そして「漂流教室」でホラーに戻った。これがまたもう怖くて怖くて、さすがに続きを読む事ができなくなった。なので、そのあとの作品はもう最初から読んでないのです。
 それでも子ども時代に楳図さんの作品に触れたことで、ほんまに怖いマンガとはどういうものか、そしてホラーとギャグの関係性などを知る事ができたのは、貴重な体験やったといえる。まさに鬼才というべき漫画家やった。長いこと「おろち」を読んでへんなあ。実家に行ったときに貸してもろうて読み直してみようかな。今読んだらどんな風に感じるのやろう。子どもの頃とは見え方がかなり違うと思う。
 謹んで哀悼の意を表します。
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旭國斗雄の死 [追悼]

 本日も採点三昧。出勤時、いつもはやり過ごして次に来るバスに余裕をもって乗っているんやけれど、大急ぎで早い方のバスに乗り、5分だけでも早く職場につき、すぐに採点を始める。そんなこんなで、日程的に本日までに返却しなければあかんクラスの分はすべて採点をすます。
 午後からは明日返却する分の採点を始めたけれど、昼食後、腹の皮が突っ張ると目の皮がたるむというやつで、20分ほどうとうと。それがかえってリフレッシュになったか、ひとクラス分が完了。残業1時間で最後のクラスの4割まで完了。とはいえもうゲシュタルト崩壊を起こしかけていて、これ以上やるとミスが増えてしまう予感がしたので、中断して退出。まあ、明日返却できるめどはついたかな。
 帰宅してすぐに夕食。食後は社説のダウンロードなどをして、すぐに寝落ち。そらあんたもうへろへろですねん。なに、あと1日。それにもう返却さえすませたら昨日今日みたいな強行軍はする必要はないしね。
 大相撲元大関の旭國斗雄さんの訃報に接する。享年77。相撲を見始めたころ、とにかく小兵でしぶとく食らいついたら離れん力士がいて、膵臓病で入院しているのに「土俵で死ねたら本望」と病院から場所に通うた力士に夢中になった。旭國斗雄。「ピラニア」の異名を持つ力士。
 本命は貴ノ花やったけれど、私は地味に旭國を応援していた。旭國は少しずつ実力をつけ、とったりなどの技の切れだけやなく、正攻法でも相手を圧倒する相撲を見せるようになり、ついに大関に昇進。ただ、一度も優勝をすることはかなわなんだ。
 惜しかったのは14勝1敗という星を残した場所。普通なら文句なしに優勝という星なんやけれど、この場所優勝したのは15戦全勝の横綱北の湖。横綱最盛期でした。小兵の旭國は真っ向から突っこんでいき、圧倒されて寄り切られた。
 引退後は大島部屋を創設し、横綱旭富士、関脇旭天鵬、小結旭鷲山、旭道山など個性豊かな力士を輩出し、名伯楽としても知られた。特にモンゴル力士を初めて入門させ、現在のモンゴル力士の活躍への道を開いた。定年後は部屋を閉じ、力士を友綱親方に預けた。弟子の旭天鵬が友綱を継ぎ、友綱部屋の師匠となったけれど、名跡を交換して大島親方となり、師匠の開いた部屋を再興した。旭國さん、嬉しかったやろうなあ。あとは大島部屋から次に旭國のしこ名を継ぐ力士が出て来てくれたらもっと嬉しかったやろうに。
 常に満身創痍で、膵臓に爆弾を抱えながらも大関まで上り詰めた旭國の異名は「ピラニア」から「相撲博士」に変わっていた。それだけたゆまぬ努力を周囲が認めたという事なんやろうね。
 高見山のまわしを取って出し投げを繰り出した相撲をリプレイで見たら、まわしではなくサガリやったという一番も忘れ難い。横綱輪島との優勝決定戦で惜しくも叩き落とされた相撲も強く印象に残っている。その決定戦に出たことで大関に昇進できたんやもんな。
 目いっぱい相撲を取ってはったからやろうか。77歳で逝くのはまだ早いと思わんではないけれど、それだけ中身の詰まった力士、親方人生やったんやろう。関脇麒麟児といっしょにサントリービールのCMに出演し、アサヒ国とキリン児がサントリービールを飲む加山雄三さんに「あんたが主役」というコミカルなものやった。そういう仕事も受ける茶目っ気のある一面もあったんやね。横綱三重ノ海、大関貴ノ花とは大の親友として知られていた。もと三重ノ海の石山五郎さんは寂しい思いをしてはるんやろうなあ。
 書き出したらいっぱい思いがあふれてくる。それくらい大好きな力士やった。
 謹んで哀悼の意を表します。
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西田敏行の死 [追悼]

 今日は定休日。やはり疲れていたんやね。朝はかなりゆっくり目に目覚める。昨日までの深夜アニメをがしがしと見て、昼食後すぐ午睡。その間に妻は日帰り帰省。
 夕刻起きて社説のダウンロードなどをしてからナイター中継を見る。ジャイアンツがベイスターズにリードを許していたんで、そのまま試合終了まで見てしまう。一度同点になって、オースティンのホームランでベイスターズの勝利。何か流れを変えるきっかけがなかったら、このままベイスターズが日本シリーズに進出するかも。短期決戦の怖さ、やね。これがもしタイガースが勝ち上がっていたら、その勢いで勝ち進んでいたかもと思われるくらい、ジャイアンツ打線が低調。
 妻が帰宅して、夕食。食後は寝床でどぶさってました。明日はサービス出勤できるような気がしない。一度緊張感の糸が切れたから、そこをつなぎ合わせるのにはかなりのエネルギーが必要やからね。
 俳優の西田敏行さんの訃報 に接する。享年76。死因は病死とみられる。
 私が最初に西田さんという俳優を意識したのはNHKのドラマ「新・坊っちゃん」やったと思う。山嵐の役で、原作にはない元自由民権運動の闘士、なんていう設定になっていて、「オッペケペー節」を熱演していたのなんかが今でも印象に残っている。ただ、特に好きも嫌いもなかったけれど、NTVのドラマ「西遊記」の猪八戒役でそのコミカルな演技に目を見張った。そやから第2シーズンで猪八戒が左とん平さんに変わったときはがっかりした。そのときにはもうすっかり売れっ子になっていたんやろうね。
 そして、タイガースが1985年に日本一になったときに大のタイガースファンやという事がわかって、大好きになりました。福島県出身の西田さんがタイガースファンになったのは、西田さんの親戚にタイガースの佐藤正治選手がいてたことからなんやそうです。代走屋で背番号は8。江夏投手といっしょに南海ホークスにトレードされるところやったけれど、トレードを拒否してそのまま引退した選手。そやから、サトテルが背番号8を背負い、ネームに「SATO」と入ったユニフォームを着た時、実はむちゃくちゃ懐かしく感じた。西田さんはどう感じてたのかな。
 そやからABC「探偵!ナイトスクープ」の局長で顧問として田淵さんが来たりしたとき、ものすごくうれしそうにしてはった。そうやね劇場版アニメ「がんばれ!!タブチくん」でタブチ選手の声をあててはったけれど、オファーが来たときは喜んではったんやないやろうか。たとえタブチくんがライオンズのユニフォームを着ていたとしても。
 大河ドラマでは常連。「おんな太閤記」の秀吉役とか、「八代将軍吉宗」の吉宗役とか。そう、秀吉、家康、秀忠、吉宗と天下人役も多かった。ただ、信長役はやってへん。役柄に合うてなんだとは思うけれどね。「鎌倉殿の13人」での後白河法皇が最後の出演になったのかな。緒形拳、石坂浩二、西田敏行の御三方はほんまに大河ドラマに多数出演してはる。それだけ役作りも達者やったという事か。
 思えばいろいろな場面で西田さんの演技を見てはなんか力をもろうていた気がする。三谷幸喜監督の映画でも常連やったから、もう三谷作品で西田さんの姿を見られんようになるのもさみしいね。
 でも、亡くなる前にもう一度タイガースの日本一を見られてよかったね、ほんま。
 謹んで哀悼の意を表します。

 10月20日(日)は「たちよみの会」例会です。今月も13:00~15:00の短縮バージョンです。ご参加お待ちしています。
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大山のぶ代の死 [追悼]

 今日も定休日。昨日見られなんだ分も含めて、午前中は昨晩録画した深夜アニメを見る。午睡の間に妻は日帰り帰省。私は夕刻起きて社説のダウンロードやら読書やらスマホをいじったり。妻が帰宅し、夕食後、サンテレビ「熱血!タイガース党」を見る。今週のゲストは引退したばかりの秋山拓巳投手。新人のころからの映像、ナゴヤドームでの特大のホームラン、そして引退試合の様子などを編集したVTRを見ていたら、いろいろなことが思い出される。できれば指導者としてタイガースに残り、様々な経験を生かして若手を育ててほしいものです。
 そのあとはしばらく寝床で本を読んだりスマホをいじったり。
 声優の大山のぶ代さんの訃報 に接する。享年90。死因は老衰。
 ニュースではもちろん「ドラえもん」の大山さんという見出しになっているけれど、私には「ブーフーウー」の長男、ブー、そして「ハリスの旋風」の石田国松の方が印象が強い。顔出しでは「ウィークエンダー」の事件レポーターなんかもしてたんやなかったか。元気なやんちゃな男の子という役柄が多かったし、そういう意味では野沢雅子さんと双璧やったかな。とにかく国松ははまり役で、虫プロがリメイクした「国松さまのお通りだい」でも同じ役をしてはった。
 ABC「霊感ヤマカン第六感」というクイズバラエティに出演した時、向かい側の席には桂文珍師匠が座ってて、師匠が自己紹介で「大山さんがドラえもんなら、私はのび太君です」とやったら大笑いしてはった。文珍師匠はまくらでよく「のび太君」ネタをしてはったから師匠はまさかそんなに大山さんに受けると思うてなんだのと違うかな。
 声だけでなく顔出しでも活躍していて、顔出し単体でも認知されている数少ない声優さんやったなあ。なにしろ「ブーフーウー」のソノシートを子守歌代わりにして育った私ですから、大山さんの声は物心つく前から耳にしていたわけで、そういう方の訃報というのは、やはり寂しいものがありますね。
 謹んで哀悼の意を表します。
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