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上方落語の現在 [演芸]

 今日は先週の土曜出勤の振り替えで休日。この11ヶ月の緊張の日々から半ば解放された感があるので(授業が終わった、成績もつけ終えた等)、気がゆるんでいるのか微妙に体調がよろしくない(風邪をひきやすい、下腹の調子が悪い等)。よって、本日は完全休養。
 昨日していた落語の話をつらつらと思い返す。
 三代目春團治師が亡くならはって、上方落語は今転換期に入っているんやないか、という話。この人の落語ならいつでも聞いていたいという、芯になる存在がほしい、ということですね。ええ落語家さんはいてはる。桂ざこば、桂南光、桂春之輔……。ただ、例えば「六代目の『らくだ』」「米朝の『たちぎれ線香』『百年目』」「三代目の『いかけや』『野崎詣』」「五代目文枝の『天王寺詣』」「枝雀の『代書』」というようにこの人ならこの演目、この演目ならこの人、という決め手に欠けるように思うのです。
 これはどういうことか。これは六代文枝師が創作派やから、ということもあるかもしれん。それでも「これだけは常にかける名作」をもってへん。「ゴルフ夜明け前」を常にメインにもってくるくらいでよいと思うんやけれど。数多く創作しているのは素晴らしいことやとは思うけれど、特に傑作と思うものはもっともっと磨きあげたらええんやないかと思うのですね。
 偉そうなことを書いてしもうたけれど、私自身、生の落語を聞きに行くことがほんまに少なくなったのは、この人の落語はとにかく今聞きたいという気にさせる人がいてへんからなんかなあと愚考する次第。テレビで放送されるものはすべておさえてはいるんやけれどね。ほたら今度は繁昌亭に行こうかな、というところまでいかんのです、残念ながら。

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コメント 6

雫石鉄也

私の職場にはSFはもちろん、落語の話ができる人はおりません。阪神タイガースの話ができる人は山ほどおりますが。
星群には落語好きが何人かいて、月例会の代わりに年になんべんか、連中と繁昌亭に行っております。
この噺家のこれ、というの、いまでもあることはあるのではないでしょうか。
例えば、桂雀々「ちょうづ回し」桂南光「初天神」桂ざこば「子はかすがい」など。四天王が亡くなったことはもちろんですが、私は笑福亭松喬師匠が亡くなったことがおしいです。60代の松喬師匠を楽しみしていたのですが。
by 雫石鉄也 (2016-03-03 09:17) 

t-kita

言わんとするところはわからないではないですけれど、例えば南光さんの「初天神」は米朝師の「たちぎれ」ほどの看板ネタでしょうか。他の人がとてもでけん境地まで行っているネタがほしいのですね。
先代小染、吉朝、松喬と、ほんまにもったいないです。松葉さんも「七代目松鶴」になってからの落語を聞いてみたかった。
この4人がいてるといてないではまた違うたと思います。
by t-kita (2016-03-04 00:06) 

雫石鉄也

あのう、お言葉を返すようですが、
南光さんの「初天神」は南光さんならではのモノだと思います。
南光さんの初天神のトラコ。これは、今の噺家の中ではもう極めつけだと私は思います。南光さん自身が「トラコ」そのものですからね。
by 雫石鉄也 (2016-03-04 10:52) 

t-kita

確かに、南光さんの「初天神」はええと思います。
それが「六代目なら『らくだ』」「米朝なら『たちぎれ』」というほどまでに落語ファンに認知されているかどうか、というところやないかと思うのです。
実はもうそこまでいっているのだとしたら、私の認識不足ということになるのでしょうね。
by t-kita (2016-03-05 00:10) 

壬

正直申し上げて上記のお話で名前の挙がった
各自の演目のうち
同意するもの、つまり
わたくし自身もたしかに名演と考えるものは
米朝「百年目」
枝雀「代書」
のたったふたつのみです。

「足を運ぶ」ということを念頭に置くならば、
結局評価はひとそれぞれ。
「○○の××」をやるらしいぞ、見に行こう
となるのも今の落語ファンにとっては
各自バラバラなのが現実でしょう。

ただ三代目春團治が亡くなられてしまい
上方古典を演ずるには
どなたも少々現代味が強すぎるとは思いますが。

ちなみにわたくしの考える
四天王以降の古典名演とは
(同じ演じ手でもそれぞれの時期にもよりますが)
亡くなられた方々では、

米朝「百年目」 「足上がり」 「東の旅 (発端)」
   「帯久」 「天狗裁き」 「地獄八景亡者戯」
   「はてなの茶碗」 「天狗さし」
   「宿屋仇」 「住吉駕籠」 「千両みかん」
五代目文枝「たちぎれ線香」 「鍬潟」
   「船弁慶」
三代目春團治「お玉牛」 「寄合酒」
枝雀「時うどん」 「代書」 「宿替え」
   「口入屋」 「阿弥陀池」
吉朝「子ほめ」 「質屋蔵」
松喬「花筏」 「持参金」 「上燗屋」

ね、ほとんどかぶってない

一方まだ現役の方々であれば、以下など
仁鶴「代脈」 「兵庫船」
ざこば「天災」
坊枝「骨つり」
米團治「親子茶屋」
ちょうば「肝つぶし」
南光「壺算」
雀々「満願寺」 「鷺とり」 「愛宕山」
文珍「饅頭怖い」 「算段の平兵衛」 「七度狐」
三喬「おごろもち盗人」
文之助「片棒」 「替わり目」

このあたりは十分に現代の看板ネタだと思う

by 壬 (2016-03-07 12:21) 

t-kita

おっしゃる通りかと思います。
客の好みもあり、また、旬の時に見たのか円熟期に見たのかということもあるので、これしかないと決めつけるのは確かによくないでしょうね。
演じ手の得手不得手や、芸の練り上げ方などで同じ噺でも味が全く違ってくるところが「古典」の醍醐味ですからね。
聴き手ごとに「看板ネタ」も変わってくるのかもしれません。
by t-kita (2016-03-08 00:10) 

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