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稀勢の里引退 [大相撲]

 今日も授業はぱんぱん。放課後は会議会議で一息つく間もなし。会議がすべて終わったところでやっと休憩。気がつけば退勤時間。明日からは時間に余裕があるので、滞っている事務作業を進めることができる。
 帰宅してポストから夕刊をとりだしたら一面に「稀勢の里引退」の大見出しが。ついに決断したか。帰宅して録画した相撲中継を見ていたら、幕下の取組の最中も稀勢の里引退の話題が中心。
 まあしかし、ここまで来たら引退しかないよね。引退会見で「横綱は大関とは大違いでした」と言うていたけれど、大関は陥落することがあるから、力が落ちても現役を続けることができる。今は琴奨菊が、かつては小錦や出島、雅山など多くの「もと大関」が若手の関門のように立ちはだかったりしていた。ところが横綱という地位は陥落が許されない特別な地位で、力が落ちたら引退するしかない。いつまでも強くあり続けんとあかんのが横綱なのですね。
 かつて41代横綱千代の山は思うような成績があげられなくなり横綱返上を申し出たけれど却下された。45代横綱初代若乃花(幹)は横綱に推挙されたら喜ぶどころか、その地位を守れんようになったら引退しかないと頭を抱えた。そういうものなんですね、横綱というのは。
 稀勢の里は新横綱の場所で優勝したくらいやから、強い横綱になる可能性は秘めていたと思う。そやけど日馬富士戦で大胸筋を断裂し、それでも強行出場して優勝はしたもののその怪我がもとで力を出せなくなってしもうた。まこと不運としか言いようがないけれど、強行出場せずにすぐに治療にかかっていたらどうやったか。貴乃花も怪我を推して出場し、「鬼の表情」で優勝したけれど、それが最後の優勝になってしもうた。強くあり続けるのも横綱の責任というならば、稀勢の里は1度の優勝と引き換えに強さを失うてしもうたということになる。
 もし先代師匠が健在やったら、休ませていたかもしれん。そやけど先代の死後に後を継いだ現在の師匠はそれがでけなんだ。たとえ現役時代は格下やったとしても、師匠という立場になった以上、相手が横綱でもちゃんと師匠としての役割を果たすべきやったのに、それがでけなんだのですね。
 かくして数字の上では「弱い横綱」という記録だけ残して引退することになった稀勢の里。でもね、土俵入りの力強さや、相撲に取り組む姿勢などの「品格」の部分では立派な横綱やったと私は思うてます。そう「品格」では朝青龍より上やったかもしれんよ。横綱は強くなければならんけれど、強いだけでもあかんという、ほんま不思議な地位なのです。
 稀勢の里関、お疲れ様でした。

 1月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。

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