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連載コラムでのギャップ [新聞]

 今日は定休日。アラームをセットしてへんのに通常と同じ時間帯に目覚める。体内時計がそうなっているんやね。
 午前中は深夜アニメの録画を見て過ごした後、少し居眠り。昼食後、午睡。私が寝ている間に妻は日帰り帰省。
 目覚めたらもう午後6時。スマホを使うて各新聞の社説のダウンロードをする。そのあと、追っかけ再生でプロ野球を見る。今日の中継はサンテレビ。延長12回、5時間近くの試合をすべて放送してくれる。ありがたいことです。試合を見ている途中で妻が帰宅。スーパーで買うてきた寿司などで夕食。
 試合終了後、すぐにパソコンに向かう。
 先日、友人Y君からLINEでメッセージが送られてきて、産経新聞に掲載のコラム紙面を撮った写真も同時に送られてきた。「湊町365」という大阪の記者のコラムで、“一体いつ辞めるのか。プロ野球・阪神の矢野燿大監督のことである。昨季、独走態勢からまさかの逆転2位に転落し、世紀のV逸を記録しながら辞任しなかった。が、逆風を感じてか、春季キャンプ直前、今季限りの退任を口にした。これほど腰の定まらない指揮官で勝てるほどプロ野球は甘くない。9戦全敗は必然だ”とある。ここまで愚弄することもないやろうと思う。コラムはプーチンロシア大統領を引き合いに出したあと“矢野監督の罪は、他球団にひたすら白星を献上するかませ犬にチームを堕としたことだ。結果、セ・リーグは実質、5球団によるペナントレースとなり、球趣は殺がれた。しかし、たかが野球である。プーチン大統領の悪行に比ぶべくもない。球団経営陣はそううそぶいていることだろう。”と締める。私の推測ではサンスポの越後屋鬼筆植村氏が書いたんやないかと思われるけれど、確証はない。
 このコラム、産経新聞電子版では「浪速風」というタイトルで掲載されている。書き手日ごとに違うみたいで、ある日のコラムでは“悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするものではなく、われわれ自身の享楽を目的とする―。人間の心理を見透かした、けだし名言で、ドイツの哲学者ニーチェの言葉だ。会員制交流サイト(SNS)などにあふれる他者への誹謗中傷はまさにこのたぐい。在日ロシア人に向けられている差別的発言もそうである”と悪意ある言説を戒めていたり、またある日のコラムではサッカーの三浦知良選手について“いつまで現役を続け、いつユニホームを脱ぐかは三浦が決めればいいだけの話ではないか。幸い鈴鹿の監督は兄の泰年氏が務めている。通用しないと判断したら、そっと肩をたたいてあげればいい。世間が是非を論じる必要は、ないように思う”と書く。さらには“うれしいなあ、と昨日の朝は少し幸せな気分だった。6日から始まった新聞週間。いま最も輝いている若手俳優の一人、上白石萌音さんが新聞や活字に対する思いを聞かれ「文字で感性を磨く作業が私にとって不可欠だ」と述べていた。役に合わせ和菓子や看護に関する本を読んだという”“「新聞にはぬくもりがある」と上白石さんはいう。それは心温まる話題も心痛むニュースも伝えたいと願う書き手がいるからだ”と書いている。
 同じコラムでもここまで統一感がないのも珍しいかもしれん。矢野監督に対する誹謗中傷はSNSのものとどう違うのか。キング・カズなら世間が是非を論じる必要はなくても矢野監督にはいったいいつ辞めるのかと是非を論じてええんか。チームをかませ犬にしたという言葉のどこに「ぬくもり」があるというのか。
 同じタイトルで書かれている連載コラムなんやから、ここまでギャップが激しいのはいかがかと思う。朝日新聞の「天声人語」は4月に入って書き手が変わったのか内容の浅さに拍車がかかったという感じがするけれど、日によってここまで極端に論調が違うということはないぞ。いやほんま。

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