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風化させるなという言葉 [1月17日の記憶]

 朝は6時30分ごろ起床。特別な日やから早起きするというのは、性やないのです。
 新聞でもテレビでも「震災の記憶を風化させるな」とやかましく書いたりいうたりしている。こういうことを書く人ほど、記憶が風化しているのです。そやからわざわざ「風化させるな」と言うのです。
 風化させたくても風化でけへん、そやから今も辛かったりするのです。20年たっても、まだ生々しく記憶に残っていて、震災のことを思い出さないことはないという人はようけいてると思うのです。そういう人たちは声高に「風化させるな」とは言わんと思うのです。それどころか、忘れてしまいたいことも忘れられなくて苦しんだりするのです。ちょっと地べたが揺れただけで恐怖がよみがえってしまう人もいてるのです。
 私は、あの後被災した人に対してでけなんだことがあったとか、神戸とは比較にはならんけれど住んでいた団地の自治会長やったことでいろいろと苦労したり人にお世話になったことなど、忘れたくても忘れられんことが、やはりあるのです。
 ニュースを見ていたら、祈りに来た被災者を待ち構えて古傷をえぐるような質問をしたりしています。見ているだけで辛くて泣いてしまいました。
 もう一度書きます。記憶が風化しているからわざわざ「風化させるな」と言いたてるのです。そういうものだと思います。
 でも、当事者やなかったら風化するのは当たり前です。そこは自覚しておかねばならんことでしょう。そのために、風化させたくてもでけん人は「語り部」の役割を背負わされるのでしょう。
 それが証拠に、9月1日に「関東大震災の記憶を風化させてはならない」とは誰も言いません。なぜなら、「語り部」すらもういないからなのです。先月読んだ文庫「幸福の持参者」というアンソロジーには、関東大震災のあとの状況を描いた小説が何本も選ばれていました。ああ、語り部はこんなところにいてたんや。
 きっと阪神淡路大震災も、東日本大震災も、100年後にはそんな形でしか語り継がれへんのやないかと思います。そういうものなんやということに無自覚なまま「風化させるな」とわざわざ言うべきやないんやないかと、そんな風に思うたのでありました。

 明日1月18日(日)は「たちよみの会」例会です。今月は例会後、新年会を予定しています。多数のご参加をお待ちしています。

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