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桑原和男の死 [追悼]

 今日は完全休養日。午前中は例によって録画した番組を見、午後は読書と午睡。夜は追っかけ再生でナイター中継を見る。今日はサンテレビ。解説は佐藤義則さんと濱中治さん。佐藤さんの投手に関する分析が細かく鋭く、これこそが解説という感じで、さすがいろいろなチームでコーチとして引っ張りだこやっただけのことはある。試合は延長12回5時間19分という今季両リーグ最長のもの。佐藤輝のサヨナラ犠牲フライでタイガースが9連勝。実況の湯浅アナウンサーが「犠牲フライといっても、そう簡単に打てるものじゃないですよね、濱中さん」と聞くと、濱中さんは「まあ、そうなんですけど」と少し言葉を濁す。と、佐藤さんはぼそりと「簡単ですよ」。これは、今日のスワローズ田口投手からなら簡単に打てる、という意味。それくらい球が高くフライを打ちやすい状態やったということなんやけれど、それを一言で言い切る鋭さに感服。佐藤さんの解説を聞いて勉強したらどうですか、宮本和知さん。
 というわけで、野球を見てるだけでもうばてばて。
 吉本新喜劇の桑原和男さんの訃報に接する。享年87。死因は老衰。吉本新喜劇の貴重なバイプレーヤーで、喫茶店のマスターなどの役からおばあちゃんの役までこなす芸達者な喜劇役者やった。何より貴重なのは、あのいとしこいしさんの数少ない直弟子やったということ。宝塚新芸座時代に原あち郎こち郎というコンビを組んで漫才をしていたという。いとこい師匠はそれ以降は「漫才は師匠が弟子に伝えられるもんやない」と弟子を取らなんだ。寛太寛大さんが晩年に「弟子」を名乗っていたけれど、これは寛太寛大さんの方から「弟子と名乗らせてほしい」と言うてきたのでそれを許したということなので、直弟子で笑芸の世界に残ったのは桑原さんだけということになる。そこらあたり、確認せんと寛太寛大さんをいとこい師匠の弟子と書いたりしている人がいてるので、お気をつけください。
 なんでも心残りは漫才を続けられなんだことやったという。いとこい師匠の貴重な直弟子やのに、喜劇に転向したことを師匠の期待にこたえられなんだと思うたはったんかなあ。そやけど、宝塚新芸座は小林一三翁の意向で喜劇の一座として作られ、協力した秋田稔さんは漫才をする場を求めてたという食い違いもあって、漫才師であっても落語家であっても喜劇役者として舞台に立ってはったんやから、そちらの流れで吉本新喜劇に行っても不自然やないし、漫才師というのはええ相方と出会えるかどうかによって決まってくるから、桑原さんにとっては喜劇役者の道の方が合うていたということやったんやと思う。
 一番印象に残っているのは、おばあちゃん役をしている時に布製の垂れ乳をつけてはったこと。なんと奥さんといっしょに作った手作りのものやったそうで、どうすれば役になり切ってお客を笑わせることができるかということを考えてはった一つの成果やったんやないかと思う。
 岡八郎、花紀京、船場太郎といった看板役者を支えながら、他の誰にも出せん存在感のある役者やったし、子どもの頃からずっと楽しませてもろうたことに感謝したい。
 謹んで哀悼の意を表します。

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