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震災と人生観 [1月17日の記憶]

 今年もこの日がきた。
 記憶を風化させたらあかんと、毎年無理にでも阪神大震災について書き続けてきた。
 ところが、去年の3月11日、記憶の風化どころか、さらに厳しい現実を突き付けられた。
 腹の立つことに、17年前は他人事として通常の番組編成をしていた各テレビ局が、東京でも揺れたということもあったか、今回は地震関連の番組ばかりこれでもかこれでもかと傷口に塩をもみこむように放送した。
 驚いたことに、関東の人間は水の備蓄もしていなければ手回し発電のラジオ付き懐中電灯のひとつも常備してなんだ。17年前の教訓は、近畿という狭いエリアでしか生きてなんだんや。いや、大阪では地震が起きたらあたりが液状化し、ビル機能がすぐに停止するような高層ビルに「災害対策本部」を置こうという愚かな府知事まで登場した。
 その人物と仲間たちは、東北で起きた大災害を目の当たりにしながら、それでもそんな場所に固執していたりする。
 あの震災の記憶はもうすでに風化していたんや。
 人の運命なんて、どうなるかわからん。そやから自分にできるだけのことをちゃんとしておきたい。そういうふうに人生観が変わった。東北の被災者たちもそうやろう。
 きれいに「絆」なんて言うてんと、生きている間にしっかり生きるということを思い出させてくれる、今日と3月11日ははそういう特別な日なんや。
 今年はそういう意味でも特別な意味を持つ1月17日になった。

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