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魁傑の死 [追悼]

 本日は「たちよみ」例会。2ヶ月ぶりに常連Mさんが来てくれて、ミステリの話などあれやこれや。夕食まで話は続き、いつもよりゆっくり目に帰宅。昼間に録画しておいた大相撲とプロ野球の中継を見る。
 大相撲元大関の魁傑さん(日本相撲協会前理事長、放駒親方)の訃報に接する。死因は不明。ゴルフをしている最中に倒れ、不帰の人となったという。享年66。
 若い頃は腰高でもろ差しにこだわり相撲が小さくなることもあり、解説の玉の海梅吉さんに「魁傑は未解決」などと言われていた。そやけど、初優勝した場所で横綱北の湖を押し出しに破り、翌場所も好成績で大関に昇進。輪島、北の湖の両横綱に対し、貴ノ花、魁傑の両大関が挑むという図式になった。ただ、大関昇進後は故障に泣かされ1年ちょっとで陥落。当時公傷制度があったので、一場所休んでも陥落しないですんだんやけれど、「休場は試合放棄」と最後まで勝ち越しを目指して取り切り陥落した。そこでついたニックネームが「クリーン魁傑」。これは一切八百長に参加してへんという意味合いもあったんやなかろうか。星の貸し借りに頼らず、正々堂々と負け越した潔さが、かえって好感をもたれたということやろう。
 大関陥落後、平幕まで下がりながら2度目の優勝を飾ると、再び大関昇進に向け快進撃を続け、若三杉(のちの二代目若乃花)と同時に大関昇進。大関の特権で陥落の翌場所10勝したら再昇格できるというルールがあるけれど、この場合は協会からの使者はなし。再大関を決めた力士では非常にまれな2度も協会からの昇進の使者を迎えた。この時の挨拶の前に「大関の名を汚さぬようにと言いたいけれど、俺は一度汚しちゃってるもんなあ」と恥ずかしそうに笑っていたのが印象に残る。
 引退後は放駒部屋を創設し、横綱大乃国を育てた。しかし、一番大変やったのは、八百長騒動などの中で理事長に就任したことやろう。「膿を出し切る」と、大量の十両力士に引退勧告をした。現役時代も、親方になっても八百長に一切関わらなかったからこそ理事長に選ばれ、あの苦境の中、必死で協会を支えようとしたんやろうと思う。
 やり方の是非を問う声があれこれ出たけれど、放駒親方が悪者になってもなんとか世間に対してきっちりとかたをつけようとしたことだけは間違いない。誠実さゆえにひかされた貧乏くじということになるか。
 そやから、定年退職後、NHKから退職記念に相撲中継の解説を依頼された時にも、それを固辞している。多くの力士を切り捨てざるを得なんだ、その力士たちのことを考えると、とてもテレビ出演などでけなんだんやろうなあ。
 定年して1年ほどでの急死。理事長職について必死で八百長問題や年寄株問題に取り組み、命を削ったんやないやろうか。
 魁傑さんは、文字通り相撲協会の恩人やないかと思う。現役時代の雄姿とともに、理事長としての功績もたたえたい。
 謹んで哀悼の意を表します。

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