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原爆忌の社説 [新聞]

 今日は全校登校日。前にも書いたけれど、以前は体育館に全校生徒を集めて平和学習なんてことをしていたんやけれど、今そんなことをしたら熱中症対策で大わらわになるので、各教室で学年ごとに独自の平和学習をしている。
 こういう時に担任を受け持ってへんと、なんか物足りないような感じやなあ。午前中は教材研究などに費やす。午後からは職員研修。私の出番はここから。研修会の司会役をせねばならんのですね。大事なところは校長などがしてくれるので、私は時計をにらみながら仕切るだけ。とはいえ、講師の方に不快な思いをさせてはいかんので、それなりに気は遣う。
 平和学習をこの日にするということは、つまり今日が原爆忌やからでありまして、全国地方各新聞のサイトで社説を読み比べてみても、たいていは核兵器廃絶などを訴えていたりする。ただ、全国紙では読売と産経が核兵器などには一切触れず、朝日新聞が従軍慰安婦報道に関して間違いがあったことを認めた件について、嬉々として「勝利宣言」(?)をしている。この2紙にとっては原爆忌よりもそちらが重要なのですね。それはまあ、新聞によって何が大切かは違っていてよいと思うけどさ。私は参戦権を行使できることになったら次は核兵器の所持を主張しようとするのかなあ、そのためには原爆忌など無視した方が都合がよいのかなあなんて勘繰ってしまうぞ。私の思い違いであることを祈ろう。
 地方紙では河北新報のみ「裁判員の判決を上級裁判所がくつがえすこと」についてとりあげていた。東北の新聞としてはフクイチの事故とからめて書くことになってしまうので、原爆忌についてはあえて避けたのか? ここらあたりは関西にいてると東北での思いが伝わりにくいので、なんとも判断がつきかねるところですね。
 とにもかくにも、子どもの頃、8月6日の8時15分には必ず黙祷するよう母にしつけられて育った身としては、読売と産経の社説は大いに気になるところであります。

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伊藤正一

ぼくは黙祷まではしませんが、8月のこの日は忘れてはいけないと思っています。しつこくこの日のことを書き続けるのが新聞の使命のはずですが、もはや記者も世代がわりして、忘却して良いことだとでも思っているのでしょうか…。

従軍慰安婦については、狭義の強制連行はなかったとしても、業者が軍の鑑札を持ってやっていた以上、裁判では広義のそれはあったと判断される可能性もあります。第一、軍に対する性奉仕があったことまでは、これまでの研究では否定されていませんよね。

仮にそれがある種の職業契約の上で成り立っていたとしても、そうすると今度は賃金などの待遇がどうであったのかという問題が出てくるし、契約と合意があっても、人権を抑圧する行為があったとしたら、当然批判されるべきでしょう。とてもじゃないですが、読売や産経のように浮かれている場合じゃない気がします。
by 伊藤正一 (2014-08-07 17:42) 

t-kita

8/7の日記に書きましたが、出し遅れの証文のように読売と産経は一日遅れで社説で原爆忌をとりあげました。
朝日に勝ったことの方が、原爆忌よりも優先度が高いという、これが両紙の現在の立ち位置であるということなのでしょう。
従軍慰安婦に関しては、強制であろうと合意であろうと、、中には身売りという形で慰安婦となった人もいるであろうと思われます。現在の人権感覚で当時のことについて断罪してもいいかどうかは難しいところですが、何らかの形で「慰安婦」が存在したという事実は否定できないわけですから、両紙の社説のように自分たちは正当であるとはしゃいではいられないでしょう。
また、軍は敗戦時に自分たちに不利な証拠はきっと隠滅しているはずですから、現在物証が残っていなくても、「軍の関与はなかった」と断定してよいものかどうか、疑問は残りますね。
また、慰安婦問題がなかったとしても閔妃暗殺や細菌部隊などはあったのですから、そのことについて触れないですませられないのではないかという思いもあるのですね。
by t-kita (2014-08-08 00:02) 

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