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読みやすさの難しさ [日常生活]

 振り替え休日のため、本日で3連休。この3日間はとにかく寝た。疲労回復はこれで万全とはいかんけれど、日常の仕事のことは忘れてほんまにゆっくりできた。明日からまたあれこれと仕事に追われる毎日となるわけやけれど、とりあえずすっきりとして出勤できそう。
 テレビ脳から読書脳に少しは切り替えられたのもよかった。クィーン「エジプト十字架の秘密」を読了し、ディクスン・カー「夜歩く」創元推理文庫新訳版を半分ほど読む。これは実は初読。カーは「帽子収集狂事件」くらいしか読んだことがないのですが、ストーリーテラーやないので、読むのにちょっと集中力がいるね。翻訳にもよるんやろうけれど。
 自分もものかきのはしくれなんで、読みやすい文章とはどういうものかといつも頭を悩ませる。しゃべるように書くとうまくいくかというとそうはいかん。毎日書いているこの日記にしても、常体と敬体と標準語と関西弁を和漢混淆文のように混ぜて使うてるんやけれど、この混ぜ具合が非常に難しい。
 関西弁というても京都弁と大阪弁、神戸弁ではかなり違う。そこらあたりうまくつきあわせて「関西標準語」みたいな語り口を生み出したのは桂米朝師やないかと思うている。大阪で仕事をする時に苦労したのは京都弁がなかなか抜けなんだこと。言葉のきつさやニュアンスが違うのですね。で、お手本にしたのは米朝師の語り口。そやから、私の「大阪弁」は米朝落語がベースになっているのです。
 これがまた文章となると、そのまま使うと関西以外の方にはわかりにくいやろうと思い、「それらしい言葉」で書くようにしている。
 さて、カーの場合、もともと読みにくい文章なのか、翻訳家の文章がこなれてないのか、ここらあたりは読み比べてみんとわからんけれど、ホームズなどと違うて複数の翻訳が存在しなかったりするので、それも難しい。新訳版でも、読みやすくしたためにかえって作品の持つ品を落としてしまうこともあるしなあ。うーむ。

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