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阪急電車~片道35分のドラマ的なナニ [日常生活]

 今日は阪急電車に乗って京都へ。今津線やないから様々な人間ドラマが織り重ねられるというようなことはないのであります。いや、今津線でも有川浩さんの小説みたいなことが立て続けに起こっているはずはないのですけどね。
 自分の乗ってる車両に中谷美紀さんみたいな人がそんなにしょっちゅう乗り込んでくることなんてそうそうないのです。そらまあそやね。
 阪急電車は会社ぐるみでキャンペーンをはっていて、自動販売機でラガールカード(阪急のプリペイドカードです)を買うと映画の写真のデザインのものが出てくる。ポスターには有川さん書きおろしの新作スピンオフ短編が掲載されている。つい読んでしまいます。
 ではなにもドラマ的なナニが何もないかというというとそうでもない。
 私は茨木市駅でなんとか座れて、そこから爆睡。目的の桂駅ではっと目を覚ます。もう少しで出発しそうな雰囲気やったので、あわてて忘れ物がないか確認して席を立つ。私と入れ替わるように子ども連れが乗ってきた。
 で、その子どもが私に向かって頭を下げて一言。
「ありがとう」
 あ、私なにか例を言われるようなことをしたかなあ。その子に席を譲るために立ったわけでもないし。でも、その子にはそう見えたんかな。
 私の後方からお母さんがその子に言うてるのが聞こえてきた。
「お礼は言わんでもええのよ」
 子どものボケにちゃんとつっこんでおります。
 で、そこからその母親と私の間に何か交流があってドラマが生まれたら面白いんやけれど、入れ違いですからね、そんなものが起こるわけがない。せいぜいドラマ的なナニという程度ですわ。

若い者には負ける [日常生活]

 今日は完全休養日。
 4月初めからの疲れと昨日の遠足の疲れでもうなにがなんだか。
 録画してあった番組をなんとか見つつも、基本的には日中はよく寝ました。完全に疲れは取れてへんけどね。
 高校生たちは一晩寝たら疲れが取れるんやろうなあ。
 ええなあとは思うけど、うらやましいとは思わんな。うらやましいと思う人もいてるんやろうし、そういう人が回春剤みたいなもんを買わはるんやろう。
 老いた自分を受け入れられん人ということなんやと思う。
 そやけど、老いることで見えてきたこともあるはず。若くて元気な時には見えなんだことが、今は見える。目は老眼に苦しめられてますけどねえ。
 まだまだ若い者には負けん、なんて力みかえる必要はない。体力などは落ちていても、経験や見聞やその他もろもろ、若い者よりも勝ることは多いと思うから。
 というわけで、老いた自分を受け入れ、とにかく疲れをとる連休にしたいものです。

遠足は天候次第 [教育]

 今日は学級単位での遠足。私の担任クラスは嵐山天龍寺観光。朝に梅田に集合し桂経由で嵐山に。渡月橋を渡り天龍寺の庭園に入り、庭を楽しむ。ごぞんじの方もいてはると思うけど、とにかく広い。そして美しい。
 さて今日はここからが大変やった。渡月橋中の島公園で昼食をとるべく天龍寺を出発したら、途中から本降りに。
 中の島公園には一応屋根つきの休憩所があるんやけれど、狭い上に一般の観光客やら他の学校の遠足の生徒やらも入ってきて全員が同じ場所で昼食、というわけにはいかん。そこでフリータイムということにして各自で昼食をとる場所を確保したら、決まった時間までに休憩所に戻ること、ということにした。
 で、昼食をとったあと、なんと日がさしてきて雨も上がり始めた。これやったらあともすんなりいくかと思うたのが甘かった。集合時間になるとまた雨が降り始めてきたのです。生徒たちに風邪をひかせたりしたくないんで、集まってきた生徒から嵐電の嵐山駅に送りこむ。
 ほんまは路面電車と太秦の風景などを楽しんでもらおうと思うてたんやけれど、生徒たちはおしゃべりに夢中。まあええか。
 というわけで、四条大宮で解散したんやけれど、今日という日を迎えるまであれこれすったもんだがあっただけになんとか事故なく終了してほっとしている。
 帰宅後、すぐに寝床に。小一時間寝たらかなり楽になったけど、まあ疲れました。
 遠足を左右するのは天候やというのは長年の経験で実感しているけど、今日なんかほんまにころころ変わる天気にふりまわされてしもうたなあ。

このわからずやめっ [日常生活]

 私は鉄腕アトムがうらやましい。
「えーい、このわからずやめーっ」
 そういうと「たーたーたたったたー」という音楽をバックに十万馬力のパワーと七つの威力で相手をぼっこぼこにしても許されてしまうからであります。
 科学のこのわりには暴力的手段で解決できてしまうんやもんなあ。
 ああ、アトム、世の中はそう単純にはいかへんのよ。
 もっとも手塚先生の原作ではそう簡単にすまん展開が多いですけどね。
 現実にはこうやってぼやくのが関の山なのですわ。
 ああしんど。

国産煙草は品薄 [日常生活]

 東日本大震災の影響で、私が一番困っているのが煙草なんですね。国内産の銘柄は軒並み出荷停止。私が愛用している「ピース ミディアム」という銘柄なんか生産再開のめどは全く立ってません。
 外国産の煙草はなんとか切れずに入荷されている。そこで10数年ぶりに「マールボロ」を購入。吸いごたえはあるので、味はまだ慣れないけれど、当分はこちらに切り替えです。
 それにしても5月中旬まで主要銘柄が出荷できなくなるほど煙草の生産を東北に依存していたとは知らなんだなあ。
 いろんな意味で東北地方の重要性を思い知らされているけれど、普段からそういうところのアピールを全国に向けてやってなかったというところが東北らしさというものなのかもなあ。いや、勝手に東北らしさの定義なんかできるほど判断材料があるわけやないんですけどね。

時にはおめでたいニュースも [教育]

 愛すれどTigers「新井兄弟がサヨナラ競演」を更新しました。

 今日は「時事問題」で先週のニュースのまとめ映像を見せたけれど、とにかく原発や被災者の話題が当然多く、生徒にとってもきついやろうなと思う。私かて見てて胸が苦しくなる。
 そのせいかしらんけれど、NTV系「シューイチ」の映像では来週の話題となるはずのイギリスのウィリアム王子とケイト・ミドルトン嬢の結婚式の話題をたっぷりと見せていた。ニュース番組としてはちょっと早すぎるという感じなんやけれど、暗いニュースばかりやと視聴者も苦しいと判断してこういうおめでたいニュースを1週間先に見せたのかもしれんな。
 去年の今ごろはバンコクのデモやら電子書籍の話題をとりあげていたなあ。それからサッカーW杯とか。なんかずいぶん昔のことのように感じてしまう。それくらい大震災のショックが大きいということやろうね。

日本芸能再発見の会 難波利三さん [演芸]

 昨日の夜は心斎橋で「日本芸能再発見の会」。今回の講師は直木賞作家の難波利三さん。この会では2度目になります。

 話の内容は、「取材裏話」みたいなもので、直木賞受賞前の「覗く」という官能小説でも実際に覗きをしている日人たちからかなり綿密な取材をしていたことなども語ってくれはった。むろん、話のメインは演芸関係の小説について。
 直木賞作品の「てんのじ村」や「小説吉本興業」、「奇芸人がゆく」などでの取材を通じて見た芸人さんたちの姿を楽しそうに語ってくれはった。
 温厚そうで常識人といった風に見える難波さんやけれど、その根っこには作家の方たちがもつ「書くこと」への飽くなき執着があるんやと、私には感じさせられた。
 講演の後は心斎橋の居酒屋で打ち上げ。難波さんと他の方たちのやり取りを聞きながら角ハイボールをちびちびと。次はまた半年後かな。新野新先生がまたちょっと小さくならはったような(もともとスリムな方なのですが)気がしたのが少々寂しい。とはいいつつ、焼酎の水割りをくいくいと飲んではる姿を見たらまだまだお元気でありますね。
 今日は一日休養日。テレビを見ながらダラダラと過ごしておりました。

相撲中継中止 [大相撲]

 大相撲夏場所は「技量審査場所」という位置づけで興行としてではない形で行われることが決まり、相撲ファンとしては安堵したんやけれど、なんとこれ、「興行ではない」ということがネックになってNHKでは中継しないことになった。しかも昨年の名古屋場所みたいにダイジェスト放送もしないんやって。
 たしかに契約としてはそうなのかもしれんけれど、ファンとしてはショックなんよねえ。「技量審査場所」というても優勝回数や勝敗は公式のものとしてカウントされるわけやし、無料とはいうても観客を入れてやるものやから、本場所として公開してるといえる。それならなおのこと国技館に足を運ぶことのでけんファンのために中継をしてほしいんやけどなあ。
 相撲協会はインターネット配信をすることも検討中やそうやから、それで見るしかないわけやけど、お年寄りのファンの方の中にはインターネットなんかぜんぜん無縁の人もいてるやろう。相撲ファンの平均年齢はおそらくけっこう高いと思うんで、協会としてもできたらテレビ放送はしてほしかったんやないかな。
 どこか民放でダイジェストだけでも放送してやろうというような心意気のある放送局はないものか。これまでNHKに義理立てして民放の相撲中継を断り続けてきた協会に対し、恩を売ることもできると思うしな。
 相撲ファンにとってまだまだ厳しい状況は続きそうやなあ。

 明日は都合により日記の更新はお休み。次回更新は日曜深夜の予定です。

審判の技量とは [プロ野球]

 昨日のタイガースとジャイアンツの試合で、ジャイアンツの脇谷内野手がフライを落球したのに、一塁塁審がアウトと判定した。ビデオを見たら明らかに落球しているけれど、審判の判定は覆らん。それは仕方ないと思う。
 ただ、判定をするときに塁審は脇谷内野手の背面から見ていてボールは視界に入ってない。脇谷内野手がボールを高々と掲げてアウトをアピールしたのでアウトと判定したんやろう。
 この場合、塁審は脇谷内野手の動きをみるべきやなかったと思う。どうせボールそのものは見えんのやから。それよりも、ボールが目の前で見えていた長野外野手の動きを見て判定を下すべきやったと思う。なんでかというと、ビデオで見たら長野外野手は脇谷内野手が落球したのを確認した瞬間、はっきりと指で本塁方向に送球するように指示を出していたからですわ。脇谷内野手がちゃんと捕球したのを目の前で確認してたら、長野外野手はそのような動きはせなんだやろう。
 審判の技術というのは、つまりそういうところまで目配りできるかどうかということやろうと思う。タイガース球団はコミッショナーに審判の技量向上を要望することにしたらしいけれど、その技量というのはもしポジション取りを失敗しても、総合的な野手の動きから判断して正確に判定ができるというようなたぐいのものやないかと思う。
 それでこそほんまもんのプロといえるんやなかろうか。

誤差ですよ [教育]

 今日は生徒の健康診断。私は座高を測る係。きちっとした姿勢をとらせてかっちりと頭に計測器をあてる。これ、なかなか難しいんだ。
「わあ、去年より1ミリ座高が伸びた!」
「うちはちぢんだもん。足が長くなったもんねー」
 誤差ですよ、誤差。
 そういうことでもきゃあきゃあ楽しめるのは若さの特権かもねえ。
 うらやましいとは思わんけど、おっさんにはでけんことやなあ。まあ、48歳にもなってそんなことで一喜一憂し大騒ぎしてたらただのあほですな。