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辻村寿三郎の死 [追悼]

 今日は出勤日。朝から小雨。昼にはあがったけれど、比較的温暖な上に湿度が高く、全体にだるかった。お山の学校では1年生と2年生の期末考査が始まっていて、私は今日は試験監督が一コマ。そのたった一コマがしんどかったなあ。
 もっとも、昨年の今ごろは新型コロナウィルス感染症の自宅隔離期間が終わったくらいで、あの時のしんどさとは比べようもない。なにしろあの時は立っているだけで辛かった。もっと休めば良かったと後で後悔したくらい。
 試験監督終了後は事務作業。そろそろ奨学金関係の書類の整理もし始めなあかんのやけれど、そこまで手がまわらず。
 定時に退出。校舎の外に出たら、えらい寒かった。風も吹きおろしはじめてるし、また寒波が来るという予告みたいな感じかな。
 帰宅してからはしばらく寝床にどぶさってた。夕食後も寝床でスマホをいじったりなんかしていたし、とにかく動くのがおっくうです。
 人形作家辻村寿三郎さんの訃報 に接する。享年89。死因は心不全。
 辻村さんというたら、私らの世代にとってはNHK人形劇「新八犬伝」と「真田十勇士」に尽きる。特に「新八犬伝」の第1話で「玉梓が怨霊」の登場してきた時の衝撃たるや、今でも脳裏に焼き付いている。
 「新八犬伝」の前は「ネコジャラ市の11人」やった。「ひょっこりひょうたん島」にスラップスティックとナンセンスの味付けをした人形劇で、人形は口をパカパカ開けたり、手足に操りの棒が見えていたりしたもので、文楽人形もそうやけれど、お肌はつるつるで顔は左右対称。
 ところが辻村ジュサブロー(当時)さんの人形は肌にちりめんじわがあり、顔も左右が微妙にずれたりしている。特に瞳は寄り目になっていたり離れていたり。ところが、それがなんともいえん味になっていた。
 また、同じ人形を改造して別な人物に流用するなど、なかなか大胆なこともしてはった。例えばさもしい浪人網干左母二郎と怪盗ウンタマノギルーとか。中にはこれ、人間の顔かというくらいデフォルメしたものもあった。例えば弥々山蟇六なんて化けもんみたいな顔をしていた。
 衣装は豪華絢爛。子どもは手抜きをすぐに見破る。全ての人形に魂がこめられていた。私はノートによく「新八犬伝」の登場人物を落書きしていたものです。
 この前再放送していた「平家物語」の川本喜八郎さんの人形も精巧で贅沢な作りやったし、そこまで人形劇に贅を尽くせるのはやはりNHKにしかでけんことですよねえ。
 子ども時代にこういう本物を毎日見ていたわけやから、私らの世代はほんまに文化的に恵まれていたしか言いようがない。
 子どもたちに本物を見せ続けてくれた。それが大事なんやということをわかってはったんやね。そのおかげで「子どもだまし」にはそう簡単にだまされんようになったもんなあ。感謝の一語しかない。
 謹んで哀悼の意を表します。

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